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雑記帳

ダンダカの森

女神を讃えるナヴァラートリを終えた後、今年は10月24日にダシャハラーが祝福されます。
ダシャハラーは、正義の象徴であるラーマ神が羅刹王のラーヴァナを倒した日として祝福される喜ばしい時です。
このラーマ神とラーヴァナの戦いは、誰しもが心の奥底に抱える葛藤、善と悪、正義と欲望の戦いに例えられてきました。
その戦いは、ラーマ神の妃であるシーター女神がラーヴァナに誘拐されたダンダカの森に始まります。

ダンダカの森は、人間の心の深淵に潜む、野蛮で制御がきかない欲望に満ちた暗闇を象徴するとされます。
シーター女神を救い出すラーマ神の戦いは、その邪悪な傾向から心を救う内なる戦いを示していると伝えられます。
このダンダカの森の起源を辿ると、私たちが抱える暗闇を見ることができます。

かつて、イクシュヴァーク王の息子であるダンダ(ダンダカ)が、偉大なグルであるシュクラーチャーリヤの弟子となり、強大な王になりました。
しかし、ダンダは欲望に突き動かされ、シュクラーチャーリヤの娘の貞操を汚します。
激怒したシュクラーチャーリヤが呪いをかけると、ダンダの領土から日の光さえも通さない鬱蒼とした暗い森が出現し、その地を引き裂きました。
それ以来、この森は「ダンダカの森(罰の森)」を意味するダンダカーラニヤとして知られるようになり、多くの魔物がはびこるようになります。

しかし、そんなダンダカの森に人間の世界から隠遁を求める多くの聖仙や賢者たちが集まり、気高い霊性修行を行うようになりました。
そうしてダンダカの森は呪われた森であると同時に神聖な森になり、美しさと恐ろしさが交錯する光と闇を作り出します。

ラーマーヤナでは、継母の策略によって王国を追放されたラーマ神やシーター女神らが、このダンダカの森で14年間の亡命期間を過ごすことになります。
そこでラーマ神は偉大なグルたちから多くを学びました。
それと同時に、森の木々は芽吹き始め、方々に花が咲き誇るようになったと伝えられます。

時として、私たちの心はダンダカの森のように暗く、鬱蒼として混乱しています。
しかし、そこには神聖な力が粛々と宿り、私たちの心を守り続けています。
その力がラーマ神という正義によって照らされると、私たちの内なる暗闇は払拭されていきます。

ひとえに生きる日々の中では、せめぎ合う善と悪の葛藤に押しつぶされそうになることがあります。
ラーマ神とラーヴァナが繰り広げたような、大きな試練に打ちのめされることも少なくありません。
しかし、そこで経験する苦難は解放に向けた歩みを進める力になるものであり、ラーマ神への祈りがあれば、それを克服する光を得ることが可能になります。
ダシャハラーを迎える時、内なる世界に宿る力を信じ、日常の葛藤から人生の挑戦まで、すべてを乗り越える信念を呼び覚ましたいと感じます。

(文章:ひるま)

※ダンダカの森については、この他にも異なる言い伝えがあります。

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