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雑記帳

真我と現象世界

二元論を学びながら目の前で展開される世界には、実に興味深いものがあります。例えば、エクササイズ的な体を動かすヨーガが世の中に定着する今、人々はなぜここまで肉体というものに引き込まれるのか、それが単に物質の次元ではなく、精神に働きかけるものであるからと言うことを、改めてここで実感することがあります。
ヨーガのアーサナは、自分の肉体というプラクリティを通して真我というプルシャに気づく機会でもあるとそう述べる人もいるように、肉体という物質の世界の中で、究極的に経験する心地よさや痛みは、様々な現象を与えながら私たちに静かに語りかけます。それは、好きや嫌い、喜びや苦しみ、称賛や非難といった、心の中で繰り返される戦いを客観的に見る術を示すようなものかもしれません。
なぜその戦いが生み出され、そしてその戦いの場で自分は何をしているのか。
強靭さと柔軟性を必要とするアーサナの修練では、その戦いと向かい合う一方で、過去にも未来にも行くことができない今と言う瞬間に完全に留まらねばならない集中力を要します。そして心に戦いがあり続ける時、それは痛みや不安となって現れあっという間にバランスを失い、その戦いを静めようと気がつけば全力を注いでいる自分がいます。
それは、日常生活の中でも同じことのように思います。日々の生活の中に生み出される不安定さは、物質を通して経験する心の波です。それこそが自我であり、プラクリティの現れであり、それを拭い去ることがヨーガの目的そのものです。
心の動きに惑わされ引き込まれることによって苦悩を経験している私たちは、それを客観的に見つめる術が時に必要となります。体を動かすエクササイズ的なヨーガが広く伝えられるのは、肉体と言うもっとも感じやすい世界を通して、きっとその心の働きが落ち着く感覚を多くの人が経験しているからに違いありません。
私自身今日もこうして、肉体と心から無意識に、そして常に現れる様々な動きを、ヨーガを通してじっくりと観察しながら二つのものの均衡を保つ修練を続けています。
(文章:ひるま)

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