निर्विचारवैशारद्येऽध्यात्मप्रसादः॥४७॥
Nirvicāravaiśāradye'dhyātmaprasādaḥ||47||
ニルヴィチャーラヴァイシャーラディエーディヤートマプラサーダハ
無伺定が熟達する時、至高の自己は静澄になる。
簡単な解説:前節までに、有尋定(問いのある定)、無尋定(問いのない定)、有伺定(識別のある定)、無伺定(識別を超えた定)の四つの定について、それらは有種子三昧(種子のある三昧)であると説かれました。本節では、無伺定(識別を超えた定)について、その修習が熟達すると内面が清浄となり、真実を見る光に満ちると述べられます。
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