ヒンドゥー教の代表的な聖典の一つである「ラーマーヤナ」は、霊的な解脱についての教えが含まれた万人に読まれる叙事詩です。その中に、偉大な王であるジャナカにまつわる神話があります。ジャナカ王はリシであり、理想的なカルマ・ヨーガの実践者でもありました。リシとは賢者や聖者を意味し、あらゆる知識を得た者を意味します。ジャナカ王はカルマ・ヨーガを達成し、輪廻から解放され、解脱を得たリシとして崇められています。
このジャナカ王が達成したカルマ・ヨーガは、「行為のヨーガ」を意味します。聖典バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナ神はこのカルマ・ヨーガの教えを深く説き、四大ヨーガ(カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガ)の中でもとりわけ重要な位置付けがなされています。結果に執着せず、義務をまっとうし、正しい行為を実践するカルマ・ヨーガは、私たちのあらゆる行為を人生の創造と目的に調和させ、やがて創造主である神に結びつけます。
カルマ・ヨーガを毎日の暮らしで実践することは、私たちの心を浄化する優れた手段です。それは、真の知識を得るための能力を向上させるでしょう。あらゆる行為において、結果への執着や果報への期待を捨てる時、それは瞑想となり、献身となり、私たちの人生に真の価値を与えます。
このカルマ・ヨーガの実践者となるための最初のステップは、創造主である神の行為の偉大さを理解することです。その理解は、決しても難しいものではありません。ただ心を神の探求に向けるだけでも、その行為はヨーガとなるでしょう。その行為を実践すればするほど、神の存在に引き寄せられるはずです。
カルマ・ヨーガにおいては、すべての行為が義務として、正義を達成するために為されます。それは、神に向かうことを意味します。人生におけるさまざまな行為を通じて学びを得ながら、私たちは自分自身の本質を理解しなければなりません。
どんな行為も、多岐にわたる能力を身につける貴重な学びの機会です。例えば、仕事は技術や専門知識、時間、集中力、意思決定など、さまざまに異なる要素を求められます。カルマ・ヨーガの実践者は、これらをすべて、スヴァダルマ(自己の義務)に従ってまっとうします。私欲のないその行為の先には、神との結合が待ち受けているでしょう。
ギーターの中でクリシュナは、自己の義務を献身的に行うことで、出家や隠遁生活をすることなしに、究極の解脱に達することができると説いています。私たちに与えられた義務を、私欲なく、行為の果実を求めずに、神への捧げものとして行うことは、カルマ・ヨーガの理想の姿であり、ブラフマンへ融合する正道となります。
(SitaRama)
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