18日間に渡る大戦マハーバーラタが始まろうとしている時、バガヴァッド・ギーターでは、その戦場で苦悩するアルジュナの姿が映し出されます。その姿はまるで、人生という荒野で苦悩する私たちの姿に重なります。
アルジュナの苦悩は、戦場において愛する親族や友人を敵とし戦わねばならないことにありました。心がよろめき、気が狂いそうだと、アルジュナはクリシュナ神に訴えます。そうして戦車の床に座りこんでまったアルジュナに、クリシュナ神は教えを説くと、離欲について語り始めました。
私たちが人生で経験する苦悩は、そのほとんどが過度の愛着から生まれます。例えば、アルジュナが経験したように、愛する者を失う恐怖は計り知れず、実際に多くの悲しみや苦しみが伴います。それは、愛する者に限らず、自らの所有物、仕事、その結果、地位や名誉など、愛着を抱くものであれば何でも、私たちに多くの苦悩を与えます。
そんな中で、クリシュナ神はまず魂の永遠性を説くと、その魂とは反対に、物事が常に変化をしているということを説きました。そうした物事への過度の愛着こそ、私たちを不変の幸福から遠ざけていくものです。この物質世界では、喜びを与えるものだけが、苦しみを与える力を持っていることを、私たちは常に理解していなければなりません。
そうした事実を通じてクリシュナ神が説いた離欲とは、決して、物事を手放すことではありませんでした。ただの一瞬といえども活動せずにはいられない私たちにとって、離欲とは、あらゆる物事に対し中立を保つことを意味します。それは、万物の源に安住することでもあり、そうして離欲を実践することで、私たちは万物を平等に見ることが可能となります。そこで自分自身の本質を理解するとき、心は平安に達し、あらゆる苦悩は消えていきます。
自分自身の本質は、永遠の魂であり、決して変わることのない幸福です。何があっても進まなければならない人生において、離欲を実践する時、私たちは苦悩のないその永遠の幸福に気づき、より大きな愛を知ることができるに違いありません。
(文章:ひるま)
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