204、アーユルヴェーダ音楽療法入門66 (ヤントラ・マンダラと脳機能-9) (Yantra/MandalaとKosha論-5-)

前回、Vol.201でご説明致しましたのは、「Shri-Yantra」の多数の三角形が織り成す「一番外側」でした。これは、「Shri-Yantra」の原型である「Shri-Mandala」に於いて、チベットや日本密教同様に、「様々な意味を持つ神々が配置されていた」「本来の曼荼羅の意味」が踏襲され継承されているものです。
しかし、前回も述べましたように、その事をしっかり説く人もあれば、全ての三角形を上向き下向きで、Shiva神とDurga(Shakti)女神の象徴としてしまう説き方が現在混在しています。
言い換えれば、シヴァ派の一派が、もし恣意的な画策をした結果ならば、伝統的な「様々な神々が意味深く配置されていること」は、語りたくないことでしょう。
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ところがこの一方で、
古今東西のあらゆる信仰・宗教・神秘・スピリチュアルに共通して、確かに存在するテーマがあります。
それは「答えを言わない・教えない」ことと「正体をバラさない・見せない・教えない・隠す」ことです。
この二つは、しばしば同源同義にもなりますが、しばしば全く次元が異なる場合もあります。

前者については、以前「ウパニシャド」に関連してご説明しました。幾つかの解釈がありますが、このテーマで大切なことは「ウパ(留まる)ニシャド(手前)」という意味合いです。
「禅問答の原点」とも言える、師弟の間の問答に於いて、師の教えは、常に「手前で留まり・答えを言わない」のです。
単純に「考えさせる」という意味合いも確かにあります。
が、例えば「インド音楽」の場合、ひとつの格言に「インド音楽は、Sa(Sadaj/ド)で始まりSa(Sadaj/ド)で終わる」というものがあります。これは、「開始音と終止音」のことではなく、あくまでも「極論的な格言」です。

しかし、だからと言って「Saをひとつ弾いた(歌った)だけでオシマイ」とはなりません。否、実は、「成り立ってしまう」のですが、それでは、数千のRaga(旋法)の存在する必要も意味もなくなってしまいます。

ヴェーダの叡智は、「この原理は、全てに通じる」と説きます。そもそも「生命体」は、「宇宙より出で、宇宙に帰る」であり、シヴァ神が司る「創造と破壊」は、「始まりは終わりであり、終わりは始まりである」ということです。

分かり易く「Upanishad」を言うならば、
もし師が「答え」を言ってしまったらば? それは「弟子」の「終わり」を宣告したことになってしまう。というように解釈することが出来ます。「謎・問い」が「蝋燭に火を付けること」だとすれば「答え」は、「火を消すこと」のような。
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紀元前5,000年以上前に、袂を分かったペルシア教とブラフマン教ですが、後にペルシアで宗教改革が起こり、生き残ったゾロアスター教が、それ以前の信仰を継承したのが「拝火」ですが、(実際は「拝土」「拝水」「拝気」のセットですが)、上記で「蝋燭」を引き合いに出しましたが、もしお手元に「蝋燭」があれば、灯して眺めてみて下さい。

向かい合わずに何気に見ているだけならば、「ああ、蝋燭の炎が燃えている」程度ですが、
「よし!同じ形が、何分後に現われるか確かめてやろう!」とでも思った途端。何時間経っても「二度と同じ形が現われないこと」に気づかされることでしょう。

信仰と共に、ヴァーダ音楽(後のインド音楽)も、ペルシア音楽と袂を分かったのですが、共通する「即興演奏」の基本は「再び同じ形は二度と現われないが、常に動いて(即興演奏を繰り広げて)いて、常に同じ様相(同じRagaやDastgah:いずれも古くは様々な名称)が保たれている」ということです。

私は、30歳代のインド弦楽器シタールやペルシア弦楽器タールの即興演奏の練習に、何度も「蝋燭」を用いたことがあります。「炎の方向が、旋律の方向(上行や下行やジグザグ)、高さが音の高さ、太さが音の強さ、形が展開の発展性」として、「即興の譜面」として「蝋燭の炎」で練習するのです。

これはかなり真髄に迫る修行法と確信しています。
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「答えを言わない・教えない」ことと「正体をバラさない・見せない・教えない・隠す」の共通点(同源同義性)は、前者が「答えを提示した時が、終わりの時」であるとするならば(解釈のひとつに過ぎませんが)、後者もまた「正体を現した時が、終わりの時」である、ということでもあります。

これが「古今東西に普遍的に存在する(観念なのか?真実なのか?はさておき)」簡単な証拠が、例えば「スーパーマン」は、日常は「うだつの挙がらない下っ端新聞記者」である「正体」を公表しません。
しかし、女性記者仲間(でしたっけ?)は知っています。しかし、そもそも「新聞記者」も、「地球人に化けている姿」に他ならず、もしかしたら、宇宙人としての正体は、例の「火星人」の様相かも知れませんし、映画「エイリアン」に登場するような化け物かも知れません。

そして、実際(事実)世界中の人間が、少なくともアニミズムの時代に於いては、このことを良く理解していました。そして、世界の宗教の中でも、最もアニミズム性が強く残っているヒンドゥー教は、(本来日本の神道も、でしたが)、例えば、神々の名前は、化身とは別にも、それぞれ百はあるという事実。

無論、ヒンドゥー教がインドを支配する過程で、地域の土着信仰を「取り込んだ」という政治的側面もありますが、「同じ地域で多数の名がある」ことの方が顕著です。
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この意味に於いては、
「神々の姿を描いたMandala」に対し、「それを三角形で表した:Shri-Yantra」は、「置き換え・転換・転化・隠し」の意味合いもあり、それを考えると「シヴァ派うんぬん」ばかりではない、深い意味もあろう、ということです。

今回の図を見て下さってお分かりいただけるように、前回の「一番外側の三角形」が、いずれも「臨機応変」即ち「外因=外部からの刺激や情報や力」に対して、真っ先に立ち向かう「外堀の警護」のような要素が強かった。逆に言えば「反応性が強い神々が配置された」のに、対し、

今回の「ひとつ内側の三角形(に象徴された神々)」では、「外因・環境・条件・タイミング・時期」が何であれ、「生きる目的・歩み」に常に欠かせない「基本的な力」を象徴しています。言わば「警護」だとするならば、外堀外側が、番兵、対外的な防衛軍(行政的に言えば:外務省、)だったのに対し、内側の警護兵は、日常的な実務も司る、内政的・警察的な要素を持っている、ということです。そして、次回ご説明します、更に内側には、「人間力の様々な要素」つまり、厚生省・文部省・農林省的な性質が見られ、更に内側には、「個々個人の基本的な力=生命力」が象徴されています。

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(文章:若林 忠宏

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ビーシュマ・アシュタミー2020

2020年2月2日はビーシュマ・アシュタミーです。

ビーシュマ・アシュタミーは、沈黙の新月(マウニー・アマーヴァシャー)として知られるマーガ月(1~2月)の新月から8日目(アシュタミー)にあたり、ビーシュマを讃える吉日です。

ビーシュマは古代インドの叙事詩マハーバーラタにおける英雄として知られ、この日、ビーシュマが死を迎えたと伝えられます。

戦いで傷を負ったビーシュマは、ウッタラーヤナに肉体を去ることを望み、ウッタラーヤナが訪れるまで、矢でできた臥床で死を待ったといわれます。生涯を通じ禁欲を忠誠したビーシュマは、父より、自身の死す時を選ぶことができる恩恵を与えられていました。

ウッタラーヤナはマカラ・サンクラーンティ以降の太陽が北方への回帰を始める時にあたります。インドでは太古より、ウッタラーヤナの期間中に肉体を去ることは、成就に至るために重要であると考えられ、バガヴァッド・ギーターでは、以下のように説かれています(バガヴァッド・ギーター第8章第24節)。

अग्निर्ज्योतिरहः शुक्लः षण्मासा उत्तरायणम् ।
तत्र प्रयाता गच्छन्ति ब्रह्म ब्रह्मविदो जनाः ॥२४॥

agnirjyotirahaḥ śuklaḥ ṣaṇmāsā uttarāyaṇam |
tatra prayātā gacchanti brahma brahmavido janāḥ ||24||
祭火燃え、光明あり、昼、白月、太陽が北進する6ヶ月の間、
その時に逝去するブラフマンを知る人々は、ブラフマンに赴く。

参照:2020 Bhishma Ashtami

ラタ・サプタミー2020

インドでは2月1日に、ラタ・サプタミーの祝日を迎えます。
ラタ・サプタミーは、マーガ月(1~2月)の新月から7日目にあたり、スーリヤ神(太陽神)を讃える吉日として祝福されます。

スーリヤ神はこの日、7頭の馬に引かれた自身の乗り物(ラタ)の向きを北方へ変えると信じられています。
その乗り物の御者が、アルナと呼ばれる暁の神です。
アルナとは「赤い」を意味し、暗闇を切り開く太陽が空を赤く染める輝きの神格として崇められます。

このアルナ神の誕生には、興味深い神話が伝わります。
アルナ神は、有名な聖仙の1人であるダクシャの娘、ヴィナターの卵から生まれました。
しかし、ヴィナターは偉大な息子の誕生を待ちきれず、その卵を自ら割ってしまいます。
割れた卵からは閃光としてアルナ神が飛び出すも、時期が早すぎたために、その光は太陽のように明るくなることはなかったといわれます。

そんなアルナ神は、後にスーリヤ神の乗り物の御者となり、7頭の馬を操りながら、その乗り物を導きます。
この7頭の馬は、太陽の光から生まれる7つの色を意味しているといわれます。
それは、7色とされる虹の色であり、私たちの身体に点在する7つのチャクラの色でもあります。

この7色の光を象徴する7頭の馬は、アルナ神の手綱にしっかりと収まり、まっすぐに走り続けています。
毎朝、太陽が昇り真っ赤に染まる朝の空ほど、生きることの美しさを見る瞬間はありません。
時を超えて変わることなくその暁をもたらすアルナ神は、太陽の光が万物を支えていることを確信しているようです。

ラタ・サプタミーは、太陽からの光とその恵みを授かる吉兆な時です。
皆様にも太陽の大きなお恵みがありますように、心よりお祈りしております。

参照:2020 Ratha Saptami

バガラームキー寺院の最強ホーマ1(星の力のインド紀行2)

今回のツアーでは、最初にインド中部のナルケーダという名の小さな街のバガラームキー寺院に行きました。
インド国内にバガラームキー寺院は3か所と言われています(チェンナイの新しい寺院を除く)。
さらにネパールのカトマンドゥ盆地にも1か所あるそうで、広大なインド亜大陸のすべてのバガラームキー寺院を合わせても5か所くらいでしょう。
私ガネーシャギリは2006年にバガラームキー女神の礼拝を始め、2014年に最初のバガラームキー寺院を参拝いたしました。その後2018年にもう一つのバガラームキー寺院への参拝を果たし、インド国内の古いバガラームキー寺院の参拝はこれでコンプリートになります。
個人的な体験から言わせていただければ、バガラームキー寺院への参拝には必ず、何かしらの困難が伴います。
今回も日本からインドに着いたあと、(飛行機の到着が遅れたため)ホテル滞在時間はわずか1時間で、全員一睡もせずバガラームキー寺院へ向かうこととなりました。しかもバスが故障したとのことで、急きょ3台の車に分乗して向かいました。
インドの道路は日本ほど整備されておらず、小さな車は結構揺れるので大変でした。
しかし、インドールという小さな空港からさらに車で4時間半も行ったところにポツンと存在する寺院のため、やはり外国人としては初めて参拝するらしく、お寺の方にはとても歓迎していただきました。
寺院の外観はまるで地方の街の遊園地のようですが、マハーバーラタの時代から礼拝が行われていたらしいです。
ご本尊は、スワヤンブー(いわゆる自然に造形されたもの)で、バガラームキー女神とサラスヴァティ女神とラクシュミー女神が1体になっています。参加者28人全員の参拝が終わるまで、私とサポートの方の2名でバガラームキー・ムーラマントラを唱え続けました。パンデット(僧侶)のマントラの詠唱と相まって、狭い祠の中に波動の渦が巻きあがっていくのが見えて壮観でした。祈りが届いたのか、最凶の畏怖の女神と言われるバガラームキーの波動は意外にも優しく、全員を包んでくれたように感じました(次回に続きます)。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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スーリヤ・ムドラー

インドでは1月15日に、日本の冬至にあたるマカラ・サンクラーンティが祝福されました。
太陽が北方へ回帰するウッタラーヤナ(冬至から夏至の6ヶ月間)に入り、神々の昼が始まっています。
これからは日に日に暖かさが増すとともに、太陽の明るい光が満ちていく季節となります。

万物に命を吹き込む太陽は、古来より世界の各地で尊ばれ崇敬されてきました。
ヨーガでは、その恩恵を享受するためのさまざまな行いが実践されています。
その一つに、スーリヤ・ムドラーがあります。
太陽のムドラーを意味するこのムドラーは、その名の通り、太陽のエネルギーを身体に呼び覚ますムドラーです。

親指は火、人差し指は風、中指は空、薬指は地、小指は水というように、5本の指にはそれぞれ5元素の象徴があります。
スーリヤ・ムドラーで重要となるのは、火と地を象徴する親指と薬指です。
まずは、薬指の先端が親指の付け根にくるように両手の薬指を曲げ、曲げた薬指を親指で軽く押さえつけます。
残りの3本の指は、まっすぐに伸ばしておきます。
この手の形を、座位でも立位でも、身体の前で組むのがスーリヤ・ムドラーです。

火を象徴する親指で、地を象徴する薬指を押さえつけるのは、火で地の要素を支配することを意味します。
地の要素は、どっしりと落ち着いた穏やかな安定を生み出しますが、時に、無気力になったり、保守的になったり、物事に執着したりする傾向を生み出すとされます。
春を迎える頃には、冬の間に蓄積された地の要素が活発になり、火の要素が弱まるとともに、憂鬱や怠惰、肥満や浮腫といった不調が生じるとされてきました。

そんな地の要素を押さえるのが、燃えるようなエネルギーに溢れる火の要素です。
このムドラーは、痩せるためのムドラーともいわれるほど、体内の熱を増加させ、代謝を活性化すると伝えられます。
そのエネルギーは、太陽が万物に輝きを与えるように、私たちに自信や行動力を与えてくれると信じられてきました。

少しずつ日が伸び始め、これからは太陽の光が満ちていきます。
スーリヤ・ムドラーを通じて、そのエネルギーを自分自身の内なる世界で礼拝したいと感じます。
自然に調和するこうした叡智を取り入れることで、健やかで豊かな日々を過ごすことができるはずです。

(文章:ひるま)

マウニー・アマーヴァシャー2020

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1月24日は新月です(日本時間では25日)。マカラ・サンクラーンティを終え、太陽が北へ回帰するウッタラーヤナ(冬至から夏至の6ヶ月間)に入り最初に迎える新月は、霊性修行を行う重要な時であるといわれます。

マーガ月(1月~2月)の新月となるこの新月は、マウニー・アマーヴァシャーと呼ばれ、1年に訪れる新月の中でもとりわけ重要な新月とされます。マウニー・アマーヴァシャーは沈黙の新月を意味し、インドの各地ではさまざまな行いが執り行われます。

満ち欠けをする月は、変化をする私たちの心の象徴として捉えられてきました。喜びや悲しみ、慈しみや憎しみ、月はそうした変化に富む私たちの心のようであり、実際に、月の満ち欠けのエネルギーは、私たちの心に大きな影響を与えるといわれます。この神聖な新月の時、心の平安を得るために実践されるのが、沈黙の行いです。

沈黙は、マウナと呼ばれるヨーガの修練の一つであり、霊性を育む大切な術として広く実践されています。自分自身の本質に気づくための大切な行いとして、実際にヨーガの修練においては、沈黙を実践する時間が度々あります。

心にふとあらわれる感情や思考から生まれる言葉に自分自身を重ねる私たちは、簡単に自分自身の本質を見失う瞬間にあふれています。湧き出る感情や思考のままに言葉を操り、その結果に苦しむことも少なくありません。しかし、決して嘘をつくことがない沈黙は、いつも変わらずにある自分自身の本質に気づかせ、確かな平安を授けてくれるものです。

マウナとは、単に言葉を発しない沈黙を意味するものではありません。それは、心の動きが静まった、静寂を意味するものです。この新月を通じては、内観する時間を過ごして見るのも良いかもしれません。その実践を通じて、大きな平安が授けられますよう、心よりお祈り申し上げます。

203、アーユルヴェーダ音楽療法入門65 (今、なぜスピリチュアルか?-4-)

「アニミズムに立ち戻って考えてみよう」
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そもそも「スピリチュアル」という言葉の意味は? そう問われても、実のところ曖昧な返答しか出来ない人が多い。つまりは、そもそも論理的な概念は構築されていないのです。
しかし、人間文化史の中では、既に紀元前から存在したことは明らかで、アニミズム信仰が宗教に取って代わられる頃(インドの場合は世界的にみてもこの変遷の構造がかなり違いますが)、「宗教的理念・道徳・死生観と人生観」がメイン・カルチャーの地位を確固たるものにしたのに対抗して、スピリチュアルは、常にサブ・カルチャー的に、しばしばアンチテーゼとして存在し続けました。例えば、キリスト教が旧約聖書の信仰を取り込んで新たに新約聖書を創作して社会と文化の中心の権力を得ようとした時代、旧約聖書を堅持したい人々(ユダヤ教に限らず)や、アカラサマなアンチテーゼの性格が強い悪魔教や、グノーシス派などが台頭したのも、この構図の典型例と言えます。
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その後、中世後期には、キリスト教自体が分裂、多様化したため「メインとサブの二極構造」が分かりにくくなったことで、アンチテーゼ的な存在感を持つ思想・信仰は比較的終息していました。しかし、近代になると再び、「神智学」「人智学」などが、哲学の衰退と入れ替わるようにして民間の信心を集め始めます。
同じ構造は、日本の仏教でも見られましたが。仏教の場合、当初から多様化していたため、やはり「メインとサブの二極構造」が分かりにくい状況でした。
分かり易く言うと、キリスト教社会の場合、キリスト教の善悪観念・理念・道徳観では、どうにも説明し切れない矛盾や不条理を納得せんが為に、全く逆の価値観にその答えを求めたのです。現代人の「無信仰」や、イスラム教(の中の過激で多分に歪んだ)原理主義教団に欧米人の若者が憧れたりするのも、全体を俯瞰すれば、同じ心理の表れと考えることが出来ます。
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日本の場合は、1990年代に、多くの新興宗教が生まれ、若者の入信が盛んになりましたが、幾つかの教団が反社会的な事件を起こしたことで、「何となくの嗜好」程度のレベル、「個人的な興味・好奇心」のレベルであれば「文句は言わせない」ような感じで収まっています。しかし、逆に言うと、その正当性や、真実、誠意というものは問われないまま。その意味では、本当に人間を救うこともなければ、社会も救えない訳です。
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言葉で読み書きする程簡単なことではありませんが、一旦「アニミズム」の視座に立ってみて、考えて欲しいと思います。

簡単に言えば「もの皆神(や精霊や魂)が宿っている」ということと、「一人ひとりの人間の中にも宿っている」ということ。そして「森羅万象=身の回りの全ての事柄・存在・出来事=大自然=地球全体=宇宙、というものの俯瞰。その一部としての人間世界。その僅かな微細な存在としての個々の人間」というサイズ感を抱いて生活し生きる、という感覚です。
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この感覚に立って世の中を見渡しますと、如何に強烈に「人間本位の世界観」が成り立ち、何千年もの間、殆ど疑われることなく、まかり通って来たことに驚愕することでしょう。

例えば、最近になって世界中で慌てて「地球温暖化問題」が問われているように。例えば、同じように「自然保護」「動物愛護・絶滅危惧種の保護」などが語られているように。

人間は、その歴史の殆どの時期、「自然や生き物」のことや「目に見えないもの」「科学がまだ解明していないものごと」について、殆ど考えもしなければ、向かい合いもしなかった、ということです。
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スピリチュアルなことに興味関心がある人のみならず、インド文化やアーユルヴェーダに関心がある人の中にも、人間本位の世界観にさほど疑問を持たない人は少なくありません。「間違っている」とか、「何が正しいか」とかいうテーマで申し上げたいのでは決してありません。重要なテーマは、「スピリチュアルは信仰なのか?」それとも「生き方・価値観なのか?」「単なるファッションなのか?」ということや、「生き方・価値観・信仰」であったとしても、「アニミズムの要素と宗教の要素はどうなっているのか?」というテーマです。
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例えば、キリスト教の場合、「人間以外の生き物」について、さほど関心や慈愛を抱いている様子は見受けられません。私には敬虔なクリスチャンの友人が沢山いますし、そもそも私の母方の家系は、明治維新のころからクリスチャンで、祖母は教会のオルガン(ハーモニウム)弾きでした。なので、「決め付け・印象論」で申しているのではありません。
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私が昆虫飼育にハマっていた頃(元々は小学生時代ですが2000年代初頭に再発しました)。房総半島の先端の村で集団生活をする、アメリカ人宣教師の友人たちの小さな共同社会にホームステイしました。彼らの賛美歌CDに民族楽器の音を提供しつつ、昆虫採集に明け暮れたのです。
面白かったのが、町の道ですれ違うアメリカ人ごとで、挨拶の言葉が違うのです。「おはよう!どうだい!?Beetle(カブトムシ)は採れたかい?」と声を掛けてくれる人もあれば。「おはよう!どうだい!?Insect(昆虫)は採れたかい?」と言った人。「おはよう!どうだい!?Bug(虫けら)は採れたかい?」と言った人。と様々なのです。無論、言った人はいずれも優しく、私に親愛の気持ちを抱きながら、良い意味で言っているのですが、「Beetle、Insect、Bug」と、ご自分が、如何に無意識に(如何に段階的に)昆虫を卑下しているか、について気づいていないのです。
そして、
残念ながら、
「おはよう!どうだい!?お友達は見つかったかい?」と言った人はいませんでした。

つまり、一切の悪気もなく。人それぞれで、人間以外の生き物に対する意識が全く違う。ということはキリスト教の教えでは、「生き物のに対する基本的観念を教えていない」ということに他ならないのです。
これは仏教もほぼしかりです。ところが、アニミズムの場合は、「もの皆神(精霊)が宿る」ですから、かなり身近に感じている。アニミズム性が強かった日本の神道系の信仰も(本来は)しかりです。
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そして、インドのブラフマン教~ヒンドゥー教もまた、基本に強いアニミズム性がありますから、サラスワティー女神が「白鳥に乗り」「孔雀をお供にし」。ガネーシャ神が「ネズミをお供にし」。ドゥルガー女神が「ライオン(虎)に乗り」。シヴァ神が「生きた毒蛇をネックレスにし」。ヴィシュヌ神が「多頭の蛇をお供にし」。ラクシュミ女神が「象をお供にし」。そもそもガネーシャ神は、象頭ですし、ラーマ王子の側近ハヌマーンは猿。ガルーダは鳥。と「生き物だらけ」です。

この感覚は、仏教にも受け継がれ、中国、日本でも様々な動物がお供として描かれますが、大概は一種一頭がせいぜい。その感覚から見るとインドは異様です。
それでもインド~中国~日本と伝わった釈迦涅槃図には、昆虫から蛇、蟹迄が描かれています。
そもそも仏教の重要な教えのひとつ「衆生済度」の「衆生」は、人間以外の生き物を含んでいるのですが、そのニュアンスが「人間を含む全ての生き物」が本来だったのが「人間以外の生き物を含む」に変わった辺りでかなり本質が失われた感が否めません。

一方チベット仏教では、ブラッド・ピット主演の「チベットの七日間」という実話を基にした映画では、映画関係者であるピットが演じた遭難した登山家が、チベットに映画館を造らんとするが、工事が何度も中断する。それは、地面を掘る度に「ミミズ様が出た」と作業が中止になるから。という場面がありました。
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このように、理屈で言えば、本来「インド系スピリチュアル」に造詣、関係が深い人々は、いずれも「自然保護、動物愛護」に理解、関心が強く、その必然性、重要性を深く想っているはずなのです。

また、2011年の東日本大震災以降、様々な懸念・気配が一気に現実化し、年々その規模は広がる一方で、より深刻になっていると誰もが分かり始めて来ています。

しかしながら、相変わらず「枝葉執着」、自分たちの身の回りの安寧を願うばかりで「樹を見て森を見ない」。今こそ、スピリチュアルに理解がある人々が、論理的に地球・世界・社会を俯瞰して、精神的な活動を始めて貰いたいものです。

図:サラスワティー女神
意外に、白鳥(ハンス)を乗りもの(ヴァーハナ)としているポスターは少ないみたいです。すると「お供」が白鳥と孔雀の「どっち?」となってしまい、最近では、一方のみ描かれることが多いようです。

サラスヴァティー・ポスター
https://sitarama.jp/?mode=cate&cbid=58553&csid=18

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(文章:若林 忠宏

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2020年のサンクラーンティ

Woman meditating in sitting yoga position on the top of a mountains above clouds at sunset. Zen, meditation, peace

2020年は1月15日に、太陽の北方への回帰を祝福するマカラ・サンクラーンティを迎えます。
このマカラ・サンクラーンティは、冬の終わりを告げる祝祭です。

ヒンドゥー教の暦には、サンクラーンティと呼ばれる重要な時があります。
サンクラーンティは「変遷」を意味し、太陽がラーシ(インド占星術における12星座)からラーシへと移ることを意味します。

2020年の12のサンクラーンティ(日本時間)をご紹介いたします。

1月15日 マカラ(山羊座)・サンクラーンティ
2月13日 クンバ(水瓶座)・サンクラーンティ
3月14日 ミーナ(魚座)・サンクラーンティ
4月14日 メーシャ(牡羊座)・サンクラーンティ
5月14日 ヴリシャバ(牡牛座)・サンクラーンティ
6月15日 ミトゥナ(双子座)・サンクラーンティ
7月16日 カルカ(蟹座)・サンクラーンティ
8月16日 シンハ(獅子座)・サンクラーンティ
9月16日 カニャー(乙女座)・サンクラーンティ
10月17日 トゥラー(天秤座)・サンクラーンティ
11月16日 ヴリシュチカ(蠍座)・サンクラーンティ
12月16日 ダーヌ(射手座)・サンクラーンティ

12のサンクラーンティは、以下のように4つのカテゴリーに分けられます。

マカラ・サンクラーンティとカルカ・サンクラーンティは、アヤナ(半年)・サンクラーンティと呼ばれます。
マカラ・サンクラーンティよりウッタラーヤナ(ウッタラ・アヤナ、太陽の北回帰)が始まり、カルカ・サンクラーンティよりダクシナーヤナ(ダクシナ・アヤナ、太陽の南回帰)が始まります。

メーシャ・サンクラーンティと、トゥラー・サンクラーンティは、ヴィシュナヴァ・サンクラーンティと呼ばれます。
春分と秋分と同じ概念があります。

シンハ・サンクラーンティ、クンバ・サンクラーンティ、ヴリシャバ・サンクラーンティ、ヴリシュチカ・サンクラーンティは、ヴィシュヌパディー・サンクラーンティと呼ばれます。

ミーナ・サンクラーンティ、カニャー・サンクラーンティ、ミトゥナ・サンクラーンティ、ダーヌ・サンクラーンティは、シャドシティームキー・サンクラーンティと呼ばれます。

参照:2020 Sankranti Calendar

スタッフ日記:第54回アンナダーナ終了しました!

第54回アンナダーナにお気持ちを寄せていただきました皆さま、本当にありがとうございます。
今年最初の実施は、首都ニューデリーのAIIMS病院となりました。

病院では16回目の実施となり、今回も滞りなく終えることができました。
今冬、首都のデリーは記録的な寒い冬となっています。
年末には過去119年において最も低い気温となり、最高気温は9度、最低気温も1度台まで下がりました。
路上で生活をする人々の中には、シェルターに避難をし過ごす人々もいます。

年が明けると寒さは少しずつ和らぎ、アンナダーナを実施した日は朝から太陽が照る清々しい日となりました。
病院の周辺では常にアンナダーナが実施されているため、食事を求める路上生活者の人々が多くいます。
また、病院へは、一年を通じて常夏の地域など、遠方から訪れている人々も多くいます。

慣れない寒い冬を過ごしている人々が多いため、今回はいつも以上にスパイスを効かせたサブジー(野菜のカレー)を作ることにしました。
インドでは、季節や体調に応じ、絶妙な加減でスパイスを使い分け、食事を通じて心身の調和をはかることが多くあります。
極寒の冬が続いていた今回は、スパイスの効いた風味豊かで少し刺激のあるサブジーを配り、食事を楽しんでいただくことができました。
準備から配膳まで滞りなく進み、1000食分以上を配り終えています。
今回も配膳を始めると大行列となり、食事は2時間半ほどで配り終えることができました。

インドでは、1月15日にマカラ・サンクラーンティという日本の冬至にあたる祝祭が祝福されます。
太陽が北方に回帰し暖かくなり始め、3月には40度近い気温になることもあります。
厳しい自然環境の中で生きる人々の生活を通じては、自然ととも生きる術を学ぶことがとても多くあります。
環境対策の一環として、首都デリーではアンナダーナの実施を禁止するというニュースが出ましたが、現在のところ、周辺に気を配りながら実施をすることができています。
究極の霊性修行の一つでもあるアンナダーナを通じ、今年も少しでも社会のお役に立つことができますよう、尽力して参りたいと思います。

今後も温かいご協力のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
アンナダーナを通じ、皆様にも大きな恩寵がありますように。

(スタッフ:ひるま)

第62回グループ・ホーマ(パウシャ・プールニマー)無事終了のお知らせ

第62回グループ・ホーマ(パウシャ・プールニマー)にお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

ナヴァグラハを礼拝する、第62回グループ・ホーマは、1月10日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

第62回グループ・ホーマの実施内容はこちらよりご覧いただけます。