今回のツアーの密かな楽しみ③

今回のツアーで大々的に宣伝はしていないのですが、実はムンバイのマハーラクシュミー寺院参拝も密かな楽しみです。
1785年に建立されたこの寺院は、ムンバイの海岸沿いの街中にあり、参拝のためバスを止めることもままならない混雑した幹線道路に面しています。
もともとは地元の方々のための寺院なのです。
ここの寺院はラクシュミーとサラスヴァティ、さらにカーリーも一体となって祀られています。
さらには参道の途中には美しいハヌマーン寺院もあり、ご利益満載という感じです。
前回2016年に訪れた時は、シルディ寺院にも負けないほどの大変な混雑に驚きましたが、同時に地元の方の熱心な信仰心を強く感じました。
元々は寂れた港町だったムンバイがアジア有数の大都市に成長した背景には、この街の守護神と言われるガネーシャと、そしてこのラクシュミーの恩寵もあったのかもしれません。
この寺院のプージャーは、実はこちらシーターラーマから申し込むこともできます。そのくらい世界的に有名なのです。
ご利益満載の寺院のプージャーに申し込むもよし、もっと大きな成功を望むならツアーに参加していただき、現地に行って直接拝むもよし。
せっかくこの世に生まれたからには、ラクシュミーの恩寵をいただいて、霊的な豊かさと物質的な豊かさ、両方の獲得を目指そうではありませんか。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
ガネーシャギリ同行「星の力に守護された西インド・南インド至福の旅」

ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

シャクティ・ムドラー

世界のあらゆる存在の背後にある動的なエネルギーである女神たちは、古来よりシャクティとして崇められてきました。
創造を担い、変化を生み出すシャクティは、世界に均衡を図る重要な存在です。
そのエネルギーは、私たちの内なる世界にも生きています。

そんなシャクティの名を持つムドラーがあります。
シャクティ・ムドラーは、一般的に質の良い睡眠をもたらすムドラーとして知られています。
それは、心身を落ち着かせる鎮静効果があるとされるためです。
また、女性においては、月経を緩和させる効果があるとも伝えられます。

シャクティ・ムドラーでは、まず左右の親指を手の平側に曲げ、その親指を包み込むように、人差し指と中指を曲げます。
そして、左右の薬指と小指の先端を合わせます。
また、曲げた人差し指と中指の背を合わせます。
この手の形を、下腹部のあたりで組むのがシャクティ・ムドラーです。

親指は火、人差し指は風、中指は空、薬指は地、小指は水というように、5本の指にはそれぞれ5元素の象徴があります。
シャクティ・ムドラーでは、火を風と空で包み込み、地と水を合わせます。
地と水の要素から構成されるものに、3つのドーシャの1つであるカパ(カファ)があります。
カパ(カファ)は、安定をもたらし、大地のように落ち着いた性質があるとされます。
その特徴は、寛大で、慈悲深く、愛情に溢れるとされ、まるで女神のようです。

そして、このムドラーは、仙骨のあたりにあるとされるスヴァーディシュターナ・チャクラを活性化させると伝えられてきました。
スヴァーディシュターナ・チャクラは水の要素を持ち、「自らが宿る場所」という意味を持ちます。
水があらゆる生命の源であるように、自分自身の全てが眠っていると伝えられる場所です。
また、このムドラーを実践する時、下向きのエネルギーともいわれるアパーナが活性化されるとも伝えられます。
そうして自分自身のあるべき場所に繋がる時、より大きな安定を感じ、心身は落ち着きを得ることができるはずです。

季節の変わり目となり、心身ともに不安定になりがちな時、こうした叡智を通じて、内なる世界に安定を生み出すことを心がけたいと感じます。
世界を動かす偉大な女神のエネルギーが、内なる世界を祝福してくれるはずです。

(文章:ひるま)

サーブーダーナー・ヴァダーのレシピ

ヴラタ(誓願)に勧められるサーブーダーナー・ヴァダー(साबूदाना वड़ा)のレシピをご紹介いたします。

ナヴァラートリーやエーカーダシーなど、インドではそれぞれの信仰に基づいて、さまざまなヴラタ(誓願)が行われます。ヴラタにおいて広く実践されるのが、断食や食の節制です。完全な断食を行うこともあれば、身体を浄化する果物や牛乳などの摂取は進んで行うこともあります。

インドには、こうしたヴラタの際に勧められるさまざまなレシピがあります。その一つ、サーブーダーナー・ヴァダーをご紹介いたします。

サーブーダーナー・ヴァダーは、タピオカパールやサゴパールを用いた軽食です。サーブーダーナーとは、タピオカやサゴヤシのでん粉で作られる白いタピオカパールやサゴパールを意味します。ヴァダーは、ワラー、ワダ、ワダイなどとも言われ、主に豆を用いた甘くないドーナツのような軽食です。サーブーダーナー・ヴァダーは、サーブーダーナーをスパイスで味付けし、丸めて揚げるもので、ヴラタの際に好んで食されます。ヴラタの際は、米と小麦粉の摂取は勧められないため、米と小麦粉を除いた食材が用いられます。

★サーブーダーナー・ヴァダー★

【材料】
・サーブーダーナー:1カップ(水に浸して、150グラム)
・じゃがいも:5個(茹でて、300グラム)
・岩塩:小さじ1と1/4
・グリーンチリ:2本(細かく刻んでおく)
・生姜:小さじ1(ペースト状にしておく)
・ブラックペッパー:8〜10粒(粗く砕いておく)
・コリアンダー・リーフ:大さじ2〜3(細かく刻んでおく)
・ピーナッツ:1/2カップ(炒って粗めに砕く、100グラム)
・揚げ油:適量

【作り方】
・サーブーダーナーを水でよくすすぎ、水を一度切ったら、2時間ほど1カップの水に浸しておく。
・茹でたじゃがいもの皮をむき潰す。
・水に浸したサーブーダーナー(余分な水は捨てる)、潰したじゃがいも、岩塩、グリーンチリ、生姜、ブラックペッパー、コリアンダー・リーフ、ピーナッツをすべてよく混ぜ、生地を作る。
・出来た生地を少し取り、丸めて手の平で潰し平たくする。
・熱した揚げ油で、きつね色になるまで揚げる。
・チェツネやソースと一緒に頂く。

※ヴラタの際は通常の塩ではなく、ミネラルを多く含んだセーンダー・ナムク(सेंधा नमक)と呼ばれる岩塩を用いることが勧められます。
※心身に刺激を与える玉ねぎや大蒜の摂取は控えます。

サーブーダーナー・ヴァダーの作り方は、以下の動画が参考になります。

193、アーユルヴェーダ音楽療法入門55 (ヤントラ・マンダラと脳機能5:Yantra/MandalaとKosha論)

前回(Vol.193)で、ご説明した「曼荼羅の神々の配置の意味」は、なんと!と言っても、当然、必然ではありますが、Kosha論と完全に一致するのです。
逆にもし、かなり隔たりがあるように思えた場合、それは「ご利益宗教・大衆向けに歪曲した(ごく一面を過剰に強調した)」結果であることは間違いありません。
……………………………………………………
近年、と言ってもヴィヴェカナンダ没後20世紀初頭、或る一方方向に偏ったヴェーダーンタ学派などの「不二一元論(梵我一如)」ではなく、ヴェーダの叡智が説く伝統的解釈に於ける「不二一元論(梵我一如)」の意味は「Pursha(宇宙原理)は、個々の人間の魂(Prakriti)に相似・転写している」ということです。
例えば、
ジョティーシュに於いて、惑星の動きが、個々の人間の運気を大きく左右するのも、この概念が存在するから説明出来るものに他なりません。
とは言っても、
「宇宙の変化→個々の人間の内面に現われる」の逆。すなわち、人間が地球の有様や宇宙の様子を変えることは、超越した聖者が数万人集まっても無理なのでしょう。
ところが、逆に、
「人間の邪悪(悪気が無いものから、悪気を何らかの観念や世相・常識・通念で正当化したものも含む)の念の集合体(自然に寄り集まり縒られてしまう)」は、地球に異変、宇宙にさえも弊害を与えることも事実のようで、故に、私が理解されにくくても、シーターラーマさんのご支援を受けて、こうして説いている(説かねばならない)のですが。
…………………………………………………..
「輪廻転生」を信じる考え方に於いて「魂」は、前世から引き継がれたものである以上、それは或る意味「神々からの預かり物」として、私たちの内面に保管されている訳ですから、それが中心や奥底以外にある筈はないのです。
その「魂」には、現代医学・科学やようやく(この一二年?)辿り着いた「親の経験が胎児のDNA(Swich)に反映する」ようなことも含め。積み重ねられた多くの前世の記憶やKarmaが凝縮されている訳ですが。同時に、その「魂(Prakriti)」こそは、「宇宙との連絡窓口」に他ならない訳です。

「Kosha論」でも説かれているように、「心」は、逆に「個々の人間のオリジナル」でありますが、「魂」を守る力はありません。むしろ、現代人の多くの場合、「破壊され機能不全に陥った論理思考領域」を通り過ぎた「外因反応の気分感情思考」と「魂」の板ばさみになっていることが多く見受けられます。

例えば。良くある話しですが、
幼い少年少女が学校の帰り道に「捨て子猫」を拾って来た。「助けたい」という無垢な感情は、気分感情と矛盾しないにしても、かなり奥底の「心」が発想したと考えられ、その背後には、「魂」のサジェスチョンも考えられます。逆に、少年少女と言えども「え~!私は嫌だ!汚いし噛むかも知れない」と即座に考えられる子も居ます。(或る意味子供の心理と子供の小社会は『大人社会』の縮図・相似・転写でもあります)。現代社会では、これを「個々の子供の多様な個性・多様な考え方・価値観を認めるべきだ」という方向に猛進していますが。「汚い・噛まれる」は、「親が駄目と言うに決まっている」と同様に、幼いながらも身につけた「経験則」や「親の影響」があることは紛れもありません。
…………………………………………………………………………………………………………………….
つまり、
「本来の心」は、デフォルトに於いては恐らく個人差は無く、一様に「子猫=可愛そう・助けなきゃ」と感じ・考えるのでしょう。それを覆い隠し、異なる考えに至らしめるものは、既に「後天的に教育された気分・感情思考」であり、それは既に幼児の頃に見につけてしまっているのです。
近年の西洋医学が発表した「DNAスウィッチは胎児の頃に既に切り替えられて居る」に沿うならば、「後天的な思考回路」は、既に胎児の頃に基礎が得られているということになります。
…………………………………………………………………………………………………………………………
そして、
「Kosha論」が説く「論理思考領域」もまた、「個人差」は、さほどないものです。
当然ですが、そもそも「論理性」とは、「樹木の太い枝や幹」のようなものを視座に、「おびただしい個人差の枝葉世界を俯瞰する」ことと言えますから、「普遍的であり、不偏的。そして不変的」に他なりません。「個人差が無い」と言うより「誰にも共通している」ということです。
言い換えれば、
近現代は、あまりに「枝葉感覚=個人・個性」と思い、信じ切ってしまっている訳です。
ある意味で、
「誤った(歪曲した)全体主義(20世紀前半)やグローヴァリズム(20世紀末~21世紀初頭)」の弊害で、世界中の人間が、「本来の太枝や幹の視座を持ち得なかった」とも言えます。
………………………………………………………………………………….
これは、「人間と神の歴史=人間の信仰心と宗教の歴史」を見れば明白です。
近現代では、「原始宗教」のように説かれ、多分に「未開・無知」的に卑下されていますが、
ブラフマン教・ヴェーダの叡智の多くにその基本が見られる「アニミズム」の時代では、
「もの皆神(及び精霊・聖霊)が宿る」「全ての人間の中に神とのリンクがある」
つまり、「元祖:不二一元論・梵我一如」だった訳ですが、
その時代
「お前の感じている神とは何だ?」と問う者も居なければ、確かめる必要もなかった。
ところが、
宗教の時代になると、全く逆転し、
「お前たちの信じる神は無能だ!嘘だ!」「正しいのは、我々が信じている神だ!」
などとなり、
信仰・信心は、「アニミズム」が淘汰され「宗教」の時代に至ります。

つまり「アニミズム」の時代には、
人間の心・論理思考の中にあり、魂というリンク機能で相似性=一体化=リンクしていた「神」は、
「個人差の無い幹」のような視座・価値観・思考性だった訳ですが。
「枝葉の時代(既に紀元前)」になると、
例えば、
「敵対する部族の神」は、必然的に「悪神」となり、「総体的な悪」の観念も生じます。
逆に言えば、
「アニミズムの時代=幹に視座がある時代」には、
「絶対悪」というものも、しっかり悟って居た。ということです。

これらのことは、
全て「曼荼羅」にも、明確に現われ、描かれ、説かれています。

……………………………………………………………………………………………

何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。
本連載は、インドスピリチュアル・グッズweb-Shopのシーターラーマさんのご好意で長年連載を続けさせていただいております。皆様の応援も大きな支えです。少しでもお役に立てる内容がございましたら、ぜひ「いいね」の応援を下さいますよう。よろしくお願い致します。

この度、一年ぶりの若林の新著「日本の伝統楽器(ミネルヴァ書房:19年8月20日発売)」が出ます。
アマゾンで予約開始となっておりますので、是非、宜しくお願い致します。
「インドに関係ないじゃないか!?」と思われるかも知れませんが、無論、当書では書き切れませんでしたが、「日本の楽器→ルーツ(ペルシアとインド)」の物語の背景には、「Naga-Sadhu(裸形上人)」や「Saraswati(妙音天)派修行僧」などの活躍が大であるという解釈が存在します。機会を得る度に、その核心に迫って行きますので、どうぞ応援下さいませ。

…………………………………………………………………………………………………

若林は現在、福岡及び近郊の方の「通いレッスン」の他に、全国の民族音楽・民族楽器ファンの方々にSkypeでのレッスンを実施しています。体験の為に、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」も行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui(毎月の実施日時も掲載しています)」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

また、本連載コラムのテーマでも重要な、「現代人に大きく欠落している論理性」につきましては、論理力育成Mail-Lessonをご教授しています。
心と体の健康(本来のバランス力を取り戻す)の為に欠かせない。脳機能を本来の姿・力に戻すための講座です。ヨガ、瞑想、アーユルヴェーダ音楽療法の全てにとっても、極めて重要な基本です。論理力を高めると、世界観さえ変わって(むしろ神秘・スピリチュアルなことが、新鮮に敏感に深く理解出来るようになります)来ます。
更に、貴方の論理力を簡単にチェックする「論理力・無料Mail診断」を受け付けています。
お気軽にメールか、Facebookメッセージでお尋ね下さい。
chametabla@yahoo.co.jp 若林

……………………………………………………………………….
また、Hindu Chant講座Vol.1 https://youtu.be/_UPLRjMFFpo 「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」https://youtu.be/wWmYiPbgCzg をはじめとした多くの「紹介動画」をYou-Tubeにアップしております。是非ご参考にして下さいませ。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

ヨーガ・スートラ第4章第31節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


तदा सर्वावरणमलापेतस्य ज्ञानस्यानन्त्याज्ज्ञेयमल्पम्॥३१॥
Tadā sarvāvaraṇamalāpetasya jñānasyānantyājjñeyamalpam||31||
タダー サルヴァーヴァラナマラーペータスヤ ジュニャーナスヤーナンティヤージジュニェーヤマルパム
かくして、すべての覆いと汚れが除去された知識は無限となるため、さらに知るべきものはわずかとなる。

簡単な解説:前節において、法雲三昧と呼ばれるもっとも純粋な三昧が生じた時、無明から生まれる煩悩と、蓄積されてきた無数の行為は消滅すると説かれました。本節では、そうしてすべての覆いと汚れが除去された知識は無限となるとため、さらに知るべきものはわずかになると説かれます。

知識の始まり

季節が移り変わろうとしている時、インドの各地では、大自然を動かす女神たちの力を礼拝するナヴァラートリー祭が盛大に祝福されます。
この祝祭の最後を祝福するように迎えるのが、ダシャラー祭です。
ドゥルガー女神が悪神マヒシャースラを倒した日として、また、ラーマ神が魔王ラーヴァナに打ち勝った日として、悪に対する善の勝利を象徴する吉日です。

この日は、「ヴィディヤーラムバム」と呼ばれ、主に南インドでは、学問の女神であるサラスワティー女神への祈りが捧げられる日でもあります。
「ヴィディヤー」は「知識」、「アーラムバ」は「始まり」を意味します。
自分自身の内で無知という暗闇を倒し、知識という光が満ち始める吉祥な時、私たちは真の学びを開始します。
それは、清らかな心身の中で、自分自身の本質に気づく学びでもあります。

多くの情報を瞬時に手にすることができるようになった現代、該博な知識を身につけることも容易になりました。
しかし、溢れる情報に飲み込まれることも少なくありません。
時には、そうして得た知識が成長の妨げになることもあります。
事実、魔王ラーヴァナは4つのヴェーダと6つのシャーストラを習得し、知識に卓越した存在であったにも関わらず、その知識を正しく用いることができなかったために、ラーマ神に倒されました。

一方で、サラスワティー女神は、あらゆるものを清めると崇められてきた聖なる川の神格です。
そんなサラスワティー女神は、識別力の象徴である白鳥を乗り物とします。
白鳥は、混ざり合った水とミルクから、ミルクだけを飲むことができると伝えられることがあります。
それは、善と悪、正と誤を見分ける力だけでなく、本質を見る力として崇められてきました。

毎年、自然の巡りに調和をしながらこの祝祭を祝う時、私たちは本質から遠ざかることなく、日々の歩みを着実に進めることができるはずです。
今年も、ナヴァラートリー祭の間に自分自身を清め、その最後をサラスワティー女神に捧げたいと感じます。
終わりは新たな始まりであることを心に留めながら、本質に立ち返る時を過ごすことで、サラスワティー女神は新たな成長を祝福してくれるに違いありません。

今年のナヴァラートリー祭は、9月29日から10月7日、そして、ダシャラー祭は10月8日に祝福されます。
この時が、皆様にとっても実りある時となりますよう、心よりお祈り申し上げております。

(文章:ひるま)

ダシャラー祭(ヴィジャヤ・ダシャミー)

2019年は9月29日から10月7日まで、秋のナヴァラートリー祭が祝福されます。そのナヴァラートリー祭を終えると、10月8日には、盛大なダシャラー祭(ヴィジャヤ・ダシャミー)が祝福されます。

ダシャラー祭は、秋のナヴァラートリー祭を終えた後に祝福され、ドゥルガー女神が悪神マヒシャースラを倒した日として崇められます。また、ラーマ神が魔王ラーヴァナに打ち勝った日として、悪に対する善の勝利を象徴するとても吉兆な日でもあります。街のあちこちでは魔王ラーヴァナをかたどった人形が燃やされるなど、盛大な祝福が執り行われます。

ダシャラー祭に深く関わりがある魔王ラーヴァナは、10の頭を持ち、自らの頭を切り落としながらブラフマー神への苦行を行ったことで有名です。この10の頭に象徴されるものは、色欲、怒り、執着、強欲、慢心、嫉妬、自己中心、偽り、酷薄、自尊心といった、私たちの心を支配する悪質な感情や思考の数々と言われます。一方で、それは4つのヴェーダと6つのシャーストラを象徴し、ラーヴァナが知識に卓越した存在であることを象徴していると言われることがあります。そんなラーヴァナが唯一成し得なかったこと、それは感覚の制御でした。

ラーヴァナの10の頭は、5つの知覚器官と、5つの行為器官であるとも伝えられ、それは、目・耳・鼻・舌・皮膚(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)の5つの知覚器官、そして、口・手・足・生殖器官・排泄器官・(発声・操作・移動・生殖・排泄)の5つの行為器官にあたります。ラーヴァナは大きな王国を築くも、こうした常に変化を続ける肉体の知覚や行為を制御することができず、決して幸せに留まることはなかったと伝えられます。

一方で、ラーマ神は、この地において邪悪な力を破壊するために誕生したと言われています。信じがたいほどの超越的な資質に恵まれ、不屈でいて勇敢であり、無比の主として崇敬されています。ラーマ神の人生は、信心深い従順さ、比類のないの純真さ、汚れのない純潔さ、称賛に値する充足、自己犠牲、自我の放棄、そのものであったと言われます。ラーマ神への礼拝を行うことにより、心は守られ、崇高な真実を理解するための備えとなる信念を与えられると信じられています。

肉体をまとう私たちの内には、ラーヴァナの質も、ラーマの質も存在しています。悪質に苛まれる時、人は死の時まで、無数の不安と焦燥に苦しまねばなりません。それが、自分自身の内の無知から生じるものだからです。これらの悪質を滅し、至福に至るための唯一の方法が、自分自身の内にある神性に究極的に気づくということであると古くから示されてきました。ダシャラー祭は、9日間のナヴァラートリー祭を通じて清められた自分自身の神性を讃える日でもあります。

皆様にとって実りある時となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

192、アーユルヴェーダ音楽療法入門54 (ヤントラ・マンダラと脳機能4)

今回の図は、先にご紹介した左上の「日本の密教曼荼羅」の部分を取り出したものです。
左下には、二列の回廊(院)の内側にある、中心的な円形の院を取り出しました。
最も中心には、絶対神的な存在がありますが、この連載では、敢えて「Ishvar(普遍的な絶対神)」もしくは「宇宙の真理」としておきましょう。
その上下左右に紫色の円で示した「四如来」が配置されています。それぞれが、やはり上下左右に従神を従えています。同じように、最も中心の如来も上下左右に波羅蜜菩薩を従えていますが、先に述べたように、チベット曼荼羅には無いことがあります。
中心の上下左右の「四如来」の間には、黄色い丸で描かれた「四供養妃」が置かれています。チベット曼荼羅では、後世、チベット独自の女神に置き換えられ、更に発展したようです。
これらの左下の図の「如来と菩薩」の院の外周を囲む四角い城壁は、内側の回廊の内壁と接します。その内側の四角には、書かれている通りの「地神、火神、水神、風神」が守護神として置かれています。
………………………………………………………………………………………………………….
その外側には、二重の回廊(院)が置かれています。内側には八尊、外側には、二重尊が置かれていますが、実は、内側の回廊には、八尊の他に、宗派によっては「十六尊」もしくは「千仏」が置かれていますが、今回は割愛させて頂きました。チベット曼荼羅では、この内側回廊に八尊が見られず、「千仏」が回廊状に置かれているものを多く見ます。チベット曼荼羅では、外側回廊の中心の各一尊が、内側に移動し門(Dwara)に置かれます。
………………………………………………………………………………………………………….
「密教」という言葉を見れば、誰しもが「秘密の宗教」と考えると思いますが、それは二つの意味合いで正解ですが、その二つは全く異なる次元と考えられます。ひとつは、史実として、弾圧を逃れるために地下に潜った経緯があったからでありますが、他方は、奥義が秘密であったからです。私自身は、「今日もその多くは秘密の奥義とされる」という解釈に賛同しています。

しかし、その一方で、ご存知のように、空海自身や門弟(空海が分身の術を使ったのかも知れませんが)は、創始直後から百年の間に、日本全国津々浦々物凄い布教活動をしています。そこでは、多分に「ご利益宗教」的な説法を行っており、今日の「密教曼荼羅の解説」は、「この全く異なる二つの次元」がかなりごちゃ混ぜになっていると思わざるを得ません。
「ご利益宗教」という表現に、違和感・反発心を抱く人が居ると思いますが。やはり多分に「大衆迎合的」であり、その深い意味を説かず。極論的に言えば、「説いてもどうせ分からんだろう」と考えていたとさえ思えるほどに「分かり易く」のみならず「大衆が喜びそうな」教えを説いて来たことは、事実であり反論は無い筈です。
ところが、南西アジア~アフリカの「イスラム系神秘主義」の多くの宗派のように、「大衆化=俗化」を嫌い、出家信者のみで構成され、厳しい奥義を厳格に学ぶ宗教も少なくありません。日本の密教もまた、例外ではなく、前述した「大衆向けの教え」と「出家者向けの教義」には、大きな隔たりがあるということです。問題は、ネット情報では、これが中途半端に混同されている、ということです。

尤も、洋の東西を問わず、時代の変遷(大衆心理の変化)に伴って、一部奥義を公開したり、翻訳して新たに出したりのことは、多くの宗教がしていますから、ネット情報の中には、背後にその意図があるものもあるのかも知れませんが。
………………………………………………………………………………………………………….

例えば、
前述した、中心の上下左右の「(紫色の)四如来」の間の、黄色い丸で描かれた「四供養妃」は、それぞれ「(時計回りに)隣の如来を供養する為に置かれた」と説かれます。
これを「ご利益宗教的」に解釈すると、例えば、右下で「技」と書いた供養妃は、隣の「安」と書いた如来を供養するために置かれたと大衆には説かれた訳です。
これでは「へ~そうなんだ」以上の理解も学びも気づきも得られません。
しかし、そもそも「如来」が、菩薩の供養を必要とするのでしょうか?
逆に考え、それぞれの如来が、自らの上下左右の従菩薩の他に、特別な使命を与えて「供養妃」を出生させたならば、理解・学び・気づきは深まります。また「供養」を、「誰かが誰かを癒す」という短絡安直敵に理解してしまっては元も子もありません。ヴェーダの叡智では、それは「自浄能力・自己治癒能力」だった筈です。
………………………………………………………..
例えば、四如来の上に置かれ「時」と書いた如来は「阿弥陀如来」で、それを供養するために右に置かれた「歌菩薩」は、「歌で阿弥陀如来を供養する」と説かれるのです。やはりこれでは何も始まりません。そもそも「阿弥陀如来」は、一般大衆には、「寿命を司る」などと説かれ、「祈願して長生きしなさい」では、全く「ご利益宗教」の粋を出ません。

私が「時」と書いたのは、「命=時」であると共に、「時」は、絶対値のようであって、その密度や意味・価値によって、大きく変化し得るものだからです。またヴェーダの叡智は、アインシュタインの数千年も前に「時間」を物質的に捉えてました。つまり、「時の意味や価値」は、「軽い時もあれば重い時もある=質量がある」ということです。
そして、
それを「Yantra/Mandraは、個々の人間の精神領域(脳機能)と深く強い相似性(転写)がある」というヴェーダの叡智に沿って述べるならば。「人間には『時の質量』を感じる能力が(本来)ある」ということです。
更に、「日本の密教曼荼羅(原典ではチベット曼荼羅とほぼ共通します)」に於ける「阿弥陀如来」は、「その能力を活性化させる力を与えてくれる存在(DNAのSwichかも知れません)」であり、それは同時に、如来の上下左右に置かれた「法/剣/言/悟」の菩薩によって細分化されると共に、右の菩薩の「歌」によっても更に活性化される、と解釈出来るのです。
………………………………………
法菩薩の「法」も一般向けには「(守るべき)Dharma」で終わってしまいますが。より深い説明では「清浄・覚醒」を強く伴うと説かれます。つまり、私たちが日常の世知辛さに対応・反応して鈍らせ・曇らせた感覚(論理思考)が、この菩薩を想い・念じることで「覚醒・活性」され、「物事の真の正誤を判断し」始めて「Dharma」の実践に至る訳です。つまり、現代人のように「法で裁かれるからしないでおこう」という「抑止力」の「法」ではなく、それとリンクした「内面的なものさし」としての「Dharma」を覚醒(思い出す・取り返す)する、という意義です。

「剣」は、そのような「正しさ」の実践の為の「勇気・決断」であり、「言(詞・言語・聖音・言霊)」は、言うまでもなく「Mantra(や真言)」の助けであり、「言語化・文章化と読解力の活性化」であり、「悟」は、「論理思考の活性化・叡智と悟性の復活」に他ならないのです。そうした上で初めて、「供養菩薩の歌」、例えば「マントラ」や「キールターン」が命を得、意味を持つ訳です。言い換えれば、この摂理と道理が理解出来ない「論理思考領域が疲弊し、気分感情・感覚でしか理解出来ない現代人」が、歌を歌ったところで「自分を癒す行為」「(同好を集めた集団的な)自己満足」以外の何ものにも至り得ないということなのです。

……………………………………………………………………………………………

何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。
本連載は、インドスピリチュアル・グッズweb-Shopのシーターラーマさんのご好意で長年連載を続けさせていただいております。皆様の応援も大きな支えです。少しでもお役に立てる内容がございましたら、ぜひ「いいね」の応援を下さいますよう。よろしくお願い致します。

この度、一年ぶりの若林の新著「日本の伝統楽器(ミネルヴァ書房:19年8月20日発売)」が出ます。
アマゾンで予約開始となっておりますので、是非、宜しくお願い致します。
「インドに関係ないじゃないか!?」と思われるかも知れませんが、無論、当書では書き切れませんでしたが、「日本の楽器→ルーツ(ペルシアとインド)」の物語の背景には、「Naga-Sadhu(裸形上人)」や「Saraswati(妙音天)派修行僧」などの活躍が大であるという解釈が存在します。機会を得る度に、その核心に迫って行きますので、どうぞ応援下さいませ。

…………………………………………………………………………………………………

若林は現在、福岡及び近郊の方の「通いレッスン」の他に、全国の民族音楽・民族楽器ファンの方々にSkypeでのレッスンを実施しています。体験の為に、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」も行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui(毎月の実施日時も掲載しています)」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

また、本連載コラムのテーマでも重要な、「現代人に大きく欠落している論理性」につきましては、論理力育成Mail-Lessonをご教授しています。
心と体の健康(本来のバランス力を取り戻す)の為に欠かせない。脳機能を本来の姿・力に戻すための講座です。ヨガ、瞑想、アーユルヴェーダ音楽療法の全てにとっても、極めて重要な基本です。論理力を高めると、世界観さえ変わって(むしろ神秘・スピリチュアルなことが、新鮮に敏感に深く理解出来るようになります)来ます。
更に、貴方の論理力を簡単にチェックする「論理力・無料Mail診断」を受け付けています。
お気軽にメールか、Facebookメッセージでお尋ね下さい。
chametabla@yahoo.co.jp 若林

……………………………………………………………………….
また、Hindu Chant講座Vol.1 https://youtu.be/_UPLRjMFFpo 「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」https://youtu.be/wWmYiPbgCzg をはじめとした多くの「紹介動画」をYou-Tubeにアップしております。是非ご参考にして下さいませ。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

ガネーシャ・ガーヤトリー・マントラ


・ॐ लम्बोदराय विद्महे महोदराय धीमहि ।
तन्नो दन्तिः प्रचोदयात्‌ ॥

・om lambodarāya vidmahe mahodarāya dhīmahi |
tanno dantiḥ pracodayāt ||
・オーム ラムボーダラーヤ ヴィッドゥマヘー マホーダラーヤ ディーマヒ
タンノー ダンティヒ プラチョーダヤートゥ
・意味:我らがラムボーダラ(突き出たお腹をもつ方)を知り、マホーダラ(大きなお腹をもつ方)を瞑想できるように
ダンタ(牙のある方)よ、我らを導き給え

ガネーシャ神の大きなお腹には、さまざまな神話が伝わります。
その一つにおいて、ガネーシャ神の大きなお腹は、この全宇宙をあらわすと伝えられます。
悲しいこと、そして嬉しいこと、それらすべてを受け入れる(消化できる)のが、このガネーシャ神のお腹です。
それは、あらゆる物事を受け入れる大きな受容の力を象徴します。
私たちは、物事をあるがままに受け入れる代わりに、抵抗し執着をするために、さまざまに悩み苦しむといわれます。
大きなお腹のガネーシャ神の姿を瞑想し祈ることで、あらゆる物事をあるがままに受け入れ、幸せに生きる力を手にすることができるでしょう。

スタッフ日記:第48回アンナダーナ終了しました!

第48回アンナダーナにお気持ちを寄せていただきました皆さま、本当にありがとうございます。
今回は病院にて、滞りなく終えることができました。

病院では、14回目の実施となりました。
インドは恵みの雨が降り注ぐ雨季のモンスーンを迎えていますが、デリーでは35度を超える日々が続いています。
アンナダーナを実施した日も、気温は37度まで上がりました。

インドではこのモンスーンの4ヶ月の間に、1年の75%の雨が降ると言われ、農業はほぼこの雨に頼っています。
今年のモンスーンは、7月の雨量が少なく懸念されていましたが、それを補うように、8月には多くの雨が降りました。
しかし、豪雨となり、大きな被害が出ている地域も多くあります。

アンナダーナを実施する病院には、インドの各地から多くの人々が訪れます。
今回は準備も滞りなく進み、10時半頃には病院の周辺に到着、配膳を始めることができました。
この病院の周辺で実施するアンナダーナは、特に食事を必要としている人々が多く、配膳の準備を始めると、たちまち行列ができ、列が途絶えることはありません。
苦しい思いをしている中、いつも静かに並んでくださる方ばかりです。
今回も、2時間半ほどで準備した1000食分以上の食事を配り終えました。

インドでは近年、所得の格差がますます拡大していると伝えられています。
富裕層はより豊かになる一方で、貧困層はより貧しくなる現状を垣間見る瞬間もあります。
環境問題や格差問題などの影響は、社会的に弱い立場にある人々が受けやすいとされています。
必要としている人々に皆様のお気持ちが届くように、今後も努めていきたいと思います。

次回も温かいご協力のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
アンナダーナを通じ、皆様にも大きな恩寵がありますように。

(スタッフ:ひるま)