ブログメニュー

カレンダー

<< January 2012 >>
SunMonTueWedThuFriSat
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    

最新記事

コメント

カテゴリー

記事一覧

プロフィール

Feed

このブログはunicode未対応となります。文字化けする場合は、unicode対応SitaRamaブログをご覧ください。

ヴァサント・パンチャミー2012

2012.01.28 Saturday

本日1月28日(土)は、ヴァサント・パンチャミーの祝日です。

 ヴァサントとは、「春」の意味で、このお祭りは、春の到来を祝うお祭りです。光の祭典であるディーワーリーは富の女神ラクシュミーを祀り、ナヴァラトリーはドゥルガー、そしてヴァサント・パンチャミーは、学問と芸術の女神であるサラスワティーを祀るお祭りにあたります。
 ヒンドゥー教では、サラスワティー女神は、このヴァサント・パンチャミーの日に生まれたとされ、この日、盛大に祝福されます。

 このお祭りでは、黄色が特に重要な意味を持ちます。黄色は、春の作物がたわわに実ることをあらわしています。この日、サラスワティー女神は黄色の衣装を装い祝福されます。またそれを祝う人々も黄色の服を着て、人々にふるまわれるお菓子なども黄色、食べ物もサフランなどで黄色に色づけがされています。

 サラスワティー女神は、ブラフマー神と同じように、インドでは寺院の数も少なく、あまり大々的に礼拝されることのない女神です。しかし、この祭日には、インドの学生はペンやノートをサラスワティー女神の像の前に置いて、学業の成就を祈願します。またこの祭日を設立日としている教育機関も少なくありません。
 日本ではこの時期、受験シーズンにあたりますが、受験を控えた方々は、この祭日にあわせて弁財天に合格祈願されるのもよいかもしれません。

 ここでは、ヴァサント・パンチャミーについて、アーチャーリヤ・サティヤム・シャルマ・シャーストリ氏の解説をご紹介いたします[1]。

 『ヴァサント・パンチャミーは、学問の女神であるサラスワティーに捧げられるお祭りです。マーガ月(1月〜2月)の新月から5日目が、ヴァサント・パンチャミーにあたります。世界中のヒンドゥー教徒は、熱心にこの祭日をお祝いします。この祭日は、サラスワティーの誕生日だと信じられています。

 この祭日では、黄色が特別な意味を持つことになります。サラスワティーの女神像は、黄色の衣服で飾り付けられて礼拝されます。また人々も、この日は黄色の衣服を着るようにしています。親類や友人の間では、黄色のお菓子などが贈られます。

 中には、この日は僧侶に食事を与える人もいます。また先祖供養(ピトリ・タルパン)を行ったり、愛の神であるカーマ・デーヴァを礼拝する人もいます。

 子どもたちにとっては、学習を始めるのに最適な日であることから、アルファベットを学ぶ初日になります。そして、学校、大学などの教育機関は、サラスワティー女神への特別な礼拝を行います。パンディット・マダン・モーハン・マラヴィヤ氏は、バナーラス・ヒンドゥー大学をこの日に創設しました。今では、世界的に有名なトップクラスの教育機関となっています。

 ヒンドゥイズムでは、マカラ・サンクラーンティや、ヴァサント・パンチャミーのように、宗教的な祭事を季節に織り込むことを特に重要視しています。人々は、個人の信条や願望に応じて、家庭の主宰神(イーシュタ・デーヴァータ/デーヴィー)を礼拝する傾向があります。また一般に人々は富や権力を求める傾向にあります。カリ・ユガ(現在)の時代では、お金(富、権力、名声)の追求が、ほとんどの人々の主目的になっています。まるでお金が神のように崇められています。

 しかし、分別のある人々は、霊的な啓蒙のために、サラスワティー女神を礼拝します。彼らによると、王と学識ある人(霊的に優れた人)との間には何の違いもありません。王は、王国の中では敬意を払われますが、学識ある人は、どこに行っても敬われます。高徳の人、霊的な進歩に邁進する人々は、サラスワティー女神への礼拝を非常に重視します。

 サラスワティー、ラクシュミー、ドゥルガーの三女神に割り当てられた乗り物は、彼女たちの特別な力を象徴しています。サラスワティー女神の乗り物である白鳥は、サットヴァ・グナ(清浄と識別の要素)を象徴します。ラクシュミー女神のフクロウ、そしてドゥルガーのライオン(虎)は、それぞれタマス(暗質)とラジャス(激質)を象徴しています。

 ヴァサント・パンチャミーは、これに続くお祭りであるホーリー(2012年3月8日)の前兆になっています。季節は次第に変化し、春の到来が感じられてきます。木々は新芽を出し、森や草原では新しい生命が息吹き始めます。自然は、マンゴーの木に花を咲かせ、小麦や作物は、新しい生命に活力を与えます。

 ヴァサント・パンチャミーは、季節感、社会的意義と敬虔さに満ちた祭日です。新しい季節の到来を胸に、世界中のすべてのヒンドゥーによって盛大に祝福されます。』


サラスワティー女神の祝福のもと、霊的知識に恵まれ、豊かな時間を過ごすことができますよう、お祈り申し上げます。



参考:
[1]Vasant Panchami, http://www.hinduism.co.za/vasant.htm
このブログはunicode未対応となります。文字化けする場合は、unicode対応SitaRamaブログをご覧ください。

自由を求めて

2012.01.28 Saturday

62年前の1月26日、インドにて共和国憲法が発行され、初めてインドは主権国家となります。自由を手にするために払われた多大な犠牲と、人々が歩み続けた苦難の道を想うこの日、更なる国の進歩を願い、この大国が一丸となって祈りに包まれていました。

自由を手にするために当時流された血と涙は、私たちが身を置くこの社会からはきっと想像もつかないほどのものであったに違いありません。そして今、このインドの社会に身を置きながら、「人生そのものが自由を得るためのステップである」という教えを改めて思い起こし、日々の行い一つ一つが気づきと共にあるよう、その瞬間に十分に留まることを努めています。

精神世界の中で意味される自由とは、肉体や物という束縛から解放された、究極の状態「意識」であることにあります。例えば、自分自身の存在に満足すること、その「ただ在る」ということこそが、終わりのない至福であり、限りのない自由です。それは実に単純でありながら、最も難しいことでもあるが故に、人々はその探求の道をそれぞれの人生の中で歩み続けています。

スワミジが述べるように、今と言う瞬間に留まる事は、歩みを止め、ただじっとしていることを意味するわけではありません。社会に身を置きながら生活をする私たちにとって、それは、人生の中で苦しみや喜びを経験しながら、その瞬間の中で変わらない至福が自分の内を満たしていることに気づくことであり、それこそがどんなものにも代えられない自由であると、ここでの生活がいつも教えてくれるような気がします。

私たちはいつの時も、自由を勝ち取るために奮闘しながら、苦しみ、悲しみ、喜び、幸せという沸き起こる感覚に溺れ、無意識のうちに自分自身を限定し、束縛する行いを繰り返しています。新たな束縛を生み出さないためにも、一瞬一瞬が気づきに満ちたものとなるよう自分の内に既に存在する自由を見つめる時間が、ここでは何よりも貴重なものです。どんなものにも束縛されない自由は、今、そしてここにあるということ、インドの人々の自由を喜ぶ姿を見て、この時に改めてそれを確認しています。

(文章:ひるま)
このブログはunicode未対応となります。文字化けする場合は、unicode対応SitaRamaブログをご覧ください。

バガヴァッド・ギーター第4章第11節

2012.01.27 Friday

インド古典中もっとも有名なバガヴァッド・ギーターの原典講読です。
インドの霊的文化の支柱となる本書を、サンスクリット語の学習をしながらお楽しみください。

ये यथा मां प्रपद्यन्ते
ye yathā māṁ prapadyante
イェー ヤター マーン プラパディヤンテー
人々がいかなる方法で私に帰依しようとも


ye【男性・複数・主格、関係代名詞 yad】〜であるところの、〜であるもの、〜である人
yathā【接続詞】〜のように、あたかも〜のように(tathāとともに)
mām【単数・対格、一人称代名詞 mad】[〜を、〜に]私
prapadyante【三人称・複数・アートマネーパダ・現在 prapad】[彼らは〜、それらは〜]入る;(路に)踏み入る;(対格)に来る、〜へ赴く、〜へ通う;(対格)の助力を求める、〜の保護を求める;(ある状態)に入る、〜を受ける、〜を経験する;到達する

तांस् तथैव भजाम्यहम् ।
tāṁs tathaiva bhajāmyaham |
ターンス タタイヴァ バジャーミヤハム
私は同じように彼らを愛する


tān【男性・複数・対格、指示代名詞 tad】[〜らに、〜らを]これ、あれ、彼
tathā【副詞】そのように、同様に;そして、また
eva【副詞】実に、真に(強意を表す。しばしば虚辞として使用)
bhajāmi【一人称・単数・パラスマイパダ・現在 bhaj】[私は〜]分配する、分かつ;実行する、従う、守る;好意を示す;愛する;尊敬する、崇め尊ぶ、崇拝する
aham【単数・主格、一人称代名詞 mad】[〜は、〜が]私

मम वर्त्मानुवर्तन्ते
mama vartmānuvartante
ママ ヴァルトマーヌヴァルタンテー
彼らは私の道に従う


mama【単数・属格、一人称代名詞 mad】[〜の、〜にとって]私
vartma【中性・単数・対格 vartman】[〜に、〜を]轍、軌道;径、道、路、進路;まぶた
anuvartante【三人称・複数・アートマネーパダ・現在 anuvṛt】[彼らは〜、それらは〜]従う、追う;〜に執着する、〜に導かれる;機嫌をとる、満足させる;〜に依存する;〜の後ろに従う、続いてくる;続く

मनुष्याः पार्थ सर्वशः ॥
manuṣyāḥ pārtha sarvaśaḥ ||
人々は一斉に、アルジュナよ


manuṣyās【男性・複数・主格 manuṣya】[〜らは、〜らが]人間;男;夫;人類の祖先
pārtha【男性・単数・呼格】[〜よ]プリターの息子。アルジュナのこと。
sarvaśas【副詞】全体に、集団で、完全に、一斉に

ये यथा मां प्रपद्यन्ते तांस्तथैव भजाम्यहम् ।
मम वर्त्मानुवर्तन्ते मनुष्याः पार्थ सर्वशः ॥११॥

ye yathā māṁ prapadyante tāṁstathaiva bhajāmyaham |
mama vartmānuvartante manuṣyāḥ pārtha sarvaśaḥ ||11||
人々がいかなる方法で私に帰依しようと、私は同じように彼らを愛する。
人々はみな、私の道に従う。アルジュナよ。
このブログはunicode未対応となります。文字化けする場合は、unicode対応SitaRamaブログをご覧ください。

バガヴァッド・ギーター第4章第10節

2012.01.26 Thursday

インド古典中もっとも有名なバガヴァッド・ギーターの原典講読です。
インドの霊的文化の支柱となる本書を、サンスクリット語の学習をしながらお楽しみください。

वीतरागभयक्रोधा
vītarāgabhayakrodhā
ヴィータラーガバヤクローダー
欲望、恐怖、怒りを離れ


vīta【過去受動分詞 vii】去った、消えた、失われた
rāga【男性】激しい欲望、情熱、愛、愛情、同情
bhaya【中性】恐れ、驚き、恐怖、心配、不安
krodhās【男性・複数・主格 krodha】怒り、激怒、憤怒、激情
→vītarāgabhayakrodhā【男性・複数・主格、所有複合語】欲望、恐怖、怒りを離れた

मन्मया माम् उपाश्रिताः ।
manmayā mām upāśritāḥ |
マンマヤー マーム ウパーシュリターハ
私に専念し、私に献身する


manmayā【男性・複数・主格 manmaya】私からなる、私のような、私のことばかり考える
mām【単数・対格、一人称代名詞 mad】[〜を、〜に]私
upāśritās【男性・複数・主格 upāśritaupa-ā-śriの過去受動分詞)】(対格)に寄りかかる、に休む;(対格)に避難した;しばしば通った・に到達した・に留まる;(対格)に頼った・献身した

बहवो ज्ञानतपसा
bahavo jñānatapasā
バハヴォー ジュニャーナタパサー
多くの人々は、知識の苦行によって


bahavas【男性・複数・主格 bahu】[〜らは、〜らが]豊富な、多量の;多数の、反覆された、たびたびの;(具格)に富んだ、(具格)の多くある
jñānatapasā【中性・単数・具格、限定複合語 jñānatapas】[〜によって、〜をもって]知識を得るための苦行、知識の修練

पूता मद्भावम् आगताः ॥
pūtā madbhāvam āgatāḥ ||
プーター マドバーヴァム アーガターハ
浄められ、私の状態に達する


pūtā【男性・複数・主格 pūtaの過去受動分詞)】清められた、清浄にされた、清浄な;脱穀された
madbhāvam【男性・単数・対格 madbhāva】[〜に、〜を]私の本性;私の状態;私の存在
āgatās【男性・複数・主格 āgataā-gamの過去受動分詞)】〜に達した、〜に来た;世に来た、生まれた;帰った

वीतरागभयक्रोधा मन्मया मामुपाश्रिताः ।
बहवो ज्ञानतपसा पूता मद्भावमागताः ॥१०॥

vītarāgabhayakrodhā manmayā māmupāśritāḥ |
bahavo jñānatapasā pūtā madbhāvamāgatāḥ ||10||
欲望、恐怖、怒りを離れ、私に専念し、私に献身する多くの人々は、
知識の苦行によって浄められ、私の状態に達する。
このブログはunicode未対応となります。文字化けする場合は、unicode対応SitaRamaブログをご覧ください。

バガヴァッド・ギーター第4章第9節

2012.01.25 Wednesday

インド古典中もっとも有名なバガヴァッド・ギーターの原典講読です。
インドの霊的文化の支柱となる本書を、サンスクリット語の学習をしながらお楽しみください。

जन्म कर्म च मे दिव्यम्
janma karma ca me divyam
ジャンマ カルマ チャ メー ディヴィヤム
私の神聖な出生と行為を


janma【中性・単数・対格 janman】[〜に、〜を]誕生、起源、産出;生命、存在;誕生地;父;生物、実在;種族、家族;種類;性質;再生;方法;水
karma【中性・単数・対格 karman】[〜に、〜を]行為、作業;作用、職業;儀式;結果;運命(前世に行った行為の結果)、業
ca【接続詞】そして、また、〜と
me【単数・属格、一人称代名詞 mad(mamaの附帯形)】[〜の、〜にとって]私
divyam【中性・単数・対格 divya】天上の;神聖な;超自然の;魔術の;天界の;壮大な

एवं यो वेत्ति तत्त्वतः ।
evaṁ yo vetti tattvataḥ |
エーヴァン ヨー ヴェーッティ タットヴァタハ
このように如実に知る者は


evam【副詞】このように、こんなふうに、そんなふうに
yas【男性・単数・主格、関係代名詞 yad】〜であるもの、〜である人
vetti【三人称・単数・パラスマイパダ・現在 vid】[彼は〜]知る、理解する、思う
tattvatas(=tattvena)【副詞】実際は;真実に;正確に;全く;如実に

त्यक्त्वा देहं पुनर्जन्म
tyaktvā dehaṁ punarjanma
ティヤクトヴァー デーハン プナルジャンマ
肉体を捨てた後、再生を


tyaktvā【絶対分詞 tyaj】[〜して、〜してから]罷る、見捨てる;棄てる;手放す;遺棄する;(場所より)去る;(人を)避ける;放置する、放つ;断念する、離れる、捨てる、護る
deham【中性・単数・対格 deha】[〜に、〜を]身体;塊;形;型;大きさ、かさ(嵩);人、個人;形または姿を持つもの
punarjanma【中性・単数・対格 punarjanman】[〜に、〜を]再生、更正;輪廻

नैति माम् एति सो ऽर्जुन ॥
naiti mām eti so 'rjuna ||
ナイティ マーム エーティ ソー ルジュナ
せず、私のもとへ来る、アルジュナよ


na【否定辞】〜でない
eti【三人称・単数・パラスマイパダ・現在 i】[彼は〜、それは〜]行く、来る;到達する、遭う;去る、過ぎる
mām【単数・対格、一人称代名詞 mad】[〜を、〜に]私
eti【三人称・単数・パラスマイパダ・現在 i】[彼は〜、それは〜]行く、来る;到達する、遭う;去る、過ぎる
sas【男性・単数・主格、指示代名詞 tad】[〜は、〜が]これ、あれ、彼
arjuna【男性・単数・呼格 arjuna】[〜よ]アルジュナ

जन्म कर्म च मे दिव्यमेवं यो वेत्ति तत्त्वतः ।
त्यक्त्वा देहं पुनर्जन्म नैति माम् एति सोऽर्जुन ॥९॥

janma karma ca me divyamevaṁ yo vetti tattvataḥ |
tyaktvā dehaṁ punarjanma naiti mām eti so'rjuna ||9||
私の神聖な出生と行為を、このように如実に知る者は、
肉体を捨てた後、再び生まれることなく私のもとへ来る、アルジュナよ。

全[117]ページ中[1]ページ目