若林忠宏:論理とスピリチュアル:新連載 Vol.10 バガヴァド・ギーター:第二章・第11節 ②

バガヴァド・ギーター:第二章・第11節 ②

クリシュナは語った。
貴殿は嘆くに当たらない人間に関しても嘆く。しかも、一見聡明な言葉を語る。
しかし、賢者は、死者や生者について嘆くことはない。
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私は、十代の頃から、「依存・執着の善悪、正誤の境目」を捜し求めて来ました。その動機には「愛と依存・執着の境目」をもどうしても分かりたかったから、と。それらを「さも悟ったかのような大人」がしゃくでならなかったからでした。
しかし「依存執着は駄目なことだが、信頼依頼は良いことではないか?」などという迷いに苦悶するばかりで、十年以上も成長がないままだったのです。
そして、ようやく40代のある時、
聖者さえ含めて、「何にも依存しない、何にも執着しない人間など存在しない」という結論に達し、最も健全で聡明な依存・執着は、「論理に依存すること」であると気づきました。「論理は森羅万象を俯瞰すること」ですから、言わば「何かに依存する」のではなく「全てに依存する」であり、それは、或る意味「何にも依存しない」であり、「依存からの自由(解放)」であった訳です。

それから「論理」の猛勉強と、より多くの人々に通じる、理解され得る説明を求めて日々研鑽を重ねるようになるのですが、更に20年経ても尚、まだまだの感が否めません。

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ところが、論理を学ぶきっかけは、実に平凡な、しかしその時まで聞いたことのないある文言でした。

「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」

サクラという樹は、感染症に非常に弱く、切り口を消毒し、雨水が入らないように防湿防腐剤などを塗って保護しないと樹全体が犯され疲弊し、その年は「花が咲かない」ことが良くあり、最悪枯れてしまうのです。ところが、ウメという樹は、頻繁に小枝が生え、何故か「良い隙間」を見つけずに、ひたすら真上に伸び、適度に人間が手を入れて「剪定」しないと、新小枝同士が互いに干渉しあって疲弊してしまうのです。

借家の庭にウメとサクランボウが生えていたのですが、この13年でどちらも枯れてしまいました。
その原因を作った犯人は、私でした。何故ならば、「大家さんの持ち物だから手を入れられない」という口実で、楽器修理や保護猫の世話の忙しさから「他人の樹の世話などしている暇がない」を正当化し続けていたからです。

そもそもサクランボウは、しばしば「全く花が咲かず、実もならない年」がありました。それもあって、「きっとまた、来年は突然咲くのだろう」と都合良く楽観していたのです。

また「そもそも樹木を切ったり・張ったりはしたくないものだ」という「生き物愛護の精神」的な考えも、都合の良い正当化に利用していました。

後に、先の「言葉」をきっかけに、樹について「もっと分かっておくべきだった」と反省した時には、ウメは既に枯れており、サクランボウは、「咲いたり咲かなかったり」が分からないまま、程なく枯れてしまいました。その時になって、私は「自らの愚かさを嘆いた」のです。

そして、後にシーターラーマさんのブログで、バガワド・ギータの第二章・第11節のクリシュナの言葉を知って愕然としたのです。

「サクランボウはどのような状態で健康なのだろうか? どうしたら良いのだろうか?」とか「梅の樹がきゅうくつそうだ。なんだか元気が無くなって着たが、どうしたら良いのだろうか?」などなどと、心配しつつも、そのことから逃げて、言い訳だけはしっかり考えていた自分の、「愚かさ」「姑息さ」によって、どちらの命をも守れなかった、見殺しにした罪を痛感したのです。

これは「戦いから逃げていた頃のアルジュナ」そのものだったのです。

(つづく)

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バガヴァド・ギータの詳しい語彙の解説は、シーターラーマさんのブログで是非、学んで下さい。
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(文章:若林 忠宏

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プラティヤンギラー・ガーヤトリー・マントラ


・ॐ अपराजितायै विद्महे प्रत्यङ्गिरायै धीमहि ।
तन्नो उग्रा प्रचोदयात्‌ ॥
・om aparājitāyai vidmahe pratyaṅgirāyai dhīmahi |
tanno ugrā pracodayāt ||

・オーム アパラージターヤイ ヴィッドゥマヘー プラティヤンギラーヤイ ディーマヒ
タンノー ウグラー プラチョーダヤートゥ
・意味:我らがアパラージタ(決して打ち負かされない方)を知り、プラティヤンギラーを瞑想できるように
ウグラー(勇猛な方)よ、我らを導き給え

プラティヤンギラー女神は、シヴァ神の第3の目から生じた女神です。
女性の人間の身体に、雄のライオンの顔を持ちます。
それは、シヴァとシャクティの結合した破壊力の象徴として崇められます。
また、人間とライオンの結合は、善と悪の均衡を象徴します。
そこにはある言い伝えがあります。

悪魔ヒラニヤカシプを倒したヴィシュヌ神の化身であるナラシンハ(人獅子)は、怒りのあまり非常に獰猛で、どんな神も彼を止めることは不可能でした。
するとシヴァ神は、そんなナラシンハを鎮めようと、ライオンと鳥の2つの姿を持つシャラベーシュワラというもっとも強力な姿であらわれます。
この二人の戦いは世界を恐怖に陥れました。
この二人の戦いを鎮めたのが、プラティヤンギラー女神であると伝えられます。

それ故、プラティヤンギラー女神はヴィシュヌ神とシヴァ神の力を合わせ持ち、何よりも強力であると信じられます。
また、プラティヤンギラー女神は、シャクティ・セーナーと呼ばれるラリター・トリプラ・スンダリー女神の軍隊の戦士の一人であり、無敵の守りをもたらすと伝えられます。

プラティヤンギラー女神は、強力で凶暴ながら、聖なる母として奥深い側面を持っています。
強い保護をもたらすため、さまざまな病や苦しみ、黒魔術といったネガティブな影響を防ぐとして広く礼拝されています。

新型コロナウィルス支援募金活動報告(その25)

新型コロナウィルス支援募金にご協力をいただいております皆様、誠にありがとうございます。

3月25日に始まった新型コロナウィルス感染拡大防止のためのインド全土の封鎖は、経済状況の悪化を受け、6月以降、段階的な措置の緩和が行われています。
インド全体では感染拡大のピークを過ぎ、現在は社会経済活動の多くが再開するとともに、ワクチンの接種も始まっています。

皆様からたくさんの温かいお気持ちをいただき、動物支援のご寄付が集まりましたことから、1月23日にデリーで動物を保護する施設へ医療物資を届けることができました。
医療物資の支援は、前回から約2ヶ月ぶり、第6回目となります。
獣医師の指導のもと、配送料を含め、今回はRs.49301(約71000円)の医療物資を手配しました。
(これまでは合計金額より8%の割引をいただいていましたが、今回からはより良い形で割引できるよう、それぞれの医薬品ごとに割引いた価格でご提供いただいています。)
医療物資は、前回に引き続き、怪我をした動物のための治療薬や、衰弱した動物のための栄養剤が主なものとなっています。

インドでは厳しい封鎖が段階的に緩和され、現在、社会経済活動の多くが再開しています。
しかし、長く続いてた封鎖の影響は大きく、社会の中で弱い立場の存在がとりわけ深刻な影響を被ってるといわれます。
保護施設では、捨てられた動物を始め、ひどい怪我を負ったり、衰弱している動物を中心に、可能な限り動物の保護を続けています。
医療物資はいくらあっても足らず、救える命は限られていますが、少しでも痛みなく穏やかに過ごすことができるようにと、保護動物の治療を行っています。

終わりの見えない不安定な状況が続く中で、継続して多くのご支援をいただいておりますこと、皆様への感謝をお預かりしています。
保護施設では動物の食糧は確保できているため、今後も医療物資の支援を継続していく予定です。
社会に健やかなエネルギーが満ちるよう、生きとし生けるものが幸せに暮らすことを願いながら、活動を続けて行きたいと思います。

この度の温かいご協力に、心より御礼申し上げます。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

(スタッフ:ひるま)

マウニー・アマーヴァシャー2021

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2021年は2月11日に、太陽が北方へ回帰するウッタラーヤナ(冬至から夏至の6ヶ月間)に入って最初の新月を迎えます。この新月は、霊性修行を行う重要な時であるといわれます。

マーガ月(1月~2月)の新月となるこの新月は、マウニー・アマーヴァシャーと呼ばれ、1年に訪れる新月の中でもとりわけ重要な新月とされます。マウニー・アマーヴァシャーは沈黙の新月を意味し、インドの各地ではさまざまな行いが執り行われます。

満ち欠けをする月は、変化をする私たちの心の象徴として捉えられてきました。喜びや悲しみ、慈しみや憎しみ、月はそうした変化に富む私たちの心のようであり、実際に、月の満ち欠けのエネルギーは、私たちの心に大きな影響を与えるといわれます。この神聖な新月の時、心の平安を得るために実践されるのが、沈黙の行いです。

沈黙は、マウナと呼ばれるヨーガの修練の一つであり、霊性を育む大切な術として広く実践されています。自分自身の本質に気づくための大切な行いとして、実際にヨーガの修練においては、沈黙を実践する時間が度々あります。

心にふとあらわれる感情や思考から生まれる言葉に自分自身を重ねる私たちは、簡単に自分自身の本質を見失う瞬間にあふれています。湧き出る感情や思考のままに言葉を操り、その結果に苦しむことも少なくありません。しかし、決して嘘をつくことがない沈黙は、いつも変わらずにある自分自身の本質に気づかせ、確かな平安を授けてくれるものです。

マウナとは、単に言葉を発しない沈黙を意味するものではありません。それは、心の動きが静まった、静寂を意味するものです。この新月を通じては、内観する時間を過ごして見るのも良いかもしれません。その実践を通じて、大きな平安が授けられますよう、心よりお祈り申し上げます。

じゃらじゃらのルドラークシャ

昨年の夏に、ご自身に合うルドラークシャをじゃらじゃら身に着けることをお勧めする記事を書かせていただきました。
残念なことに、世の中は(木星と土星の山羊座での同居の影響か、)社会不安はまだまだ続きそうな状況でもあります。
しかし考え方を変えれば、在宅ワークがメインになられた方は、日中に人目を気にすることなく今こそルドラークシャをじゃらじゃら身に着けられるチャンスかもしれません。
オンラインの会議などの時は難しいかもしれませんし、同居するご家族に奇異に思われる方もおられるかもしれません。
しかし条件の許す方であればヒマラヤのサドゥよろしくじゃらじゃら身に着けてみてはいかがでしょうか?
自分に合うルドラークシャがわからない方は、最も一般的でとても廉価な5面のマーラーでもいいのです。
ざっくりした解説で恐縮ですが、一般的にたくさん身に着ければ効果もより上がります。
こうして身に着けることにより、今の社会不安の時期こそが開運や霊性を高めるチャンスになり得るかもしれないのです。
霊的に正統な方法で、世の中の運気に左右されない真の自由を手に入れようではありませんか。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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プーシャン・ムドラー

万物に命を吹き込む太陽は、古来よりインドにおいて、さまざまに異なる名前で崇められてきました。
そのひとつに、プーシャンという名前があります。
プーシャンは、「栄養を与える者」を意味し、一切を育む太陽の力を象徴します。

そんなプーシャンは、人間や家畜を守る力としても崇められてきました。
その力は、帰依者を豊かな牧草地に導くように、人生の変遷の時には良き案内者になると伝えられます。
人生の変わり目は、新しい何かを不安に思ったり、何かを失うことを恐れたり、時に迷いを感じることも少なくありません。
そんな時に役立つのが、プーシャンの名前を持つムドラーの実践です。

プーシャン・ムドラーは、身体において吸収と排泄の動きを促し、消化力を活性化するムドラーとして知られます。
それは、受け入れること、手放すことの象徴でもあります。
その消化力は、人生のさまざまな面において経験する不安や苦悩を解決することに役立つと伝えられてきました。

このプーシャン・ムドラーでは、右手と左手で異なるムドラーを実践します。
左手では吸収や受容を象徴するムドラーを、右手では排泄や解放を象徴するムドラーを実践するのがプーシャン・ムドラーです。

左手では、手の平を上に向けたまま、親指と中指と薬指の先端を合わせ、人差し指と小指は伸ばしておきます。
このムドラーは、外から内へ流れるエネルギーを促し、吸収や受容の動きを活性化するといわれます。

右手では、手の平を上に向けたまま、親指と人差し指と中指の先端を合わせ、薬指と小指は伸ばしておきます。
このムドラーは、内から外へ流れるエネルギーを促し、排泄や解放の動きを活性化するといわれます。
(※右手では、親指と薬指と小指の先端を合わせ、人差し指と中指を伸ばしておく場合もあります。)

かつてない変化を求められている現在は、身体的にも精神的にも不調を感じやすく、不安や苦悩に直面することが少なくありません。
それは、物事をあるがままに受け入れる代わりに、抵抗し執着をすることにひとつの要因があるともいわれます。
不安や苦悩といった負の感情を消化することは難しく、気づかないうちに自分自身の内に溜め込んでしまっていることも多くあります。

変化を要する時代において、受容と解放を促すこのプーシャン・ムドラーの実践は、人生と前向きに向き合うための大きな助けになるでしょう。
そうした日々の学びを糧に、私たちは大きく成長していくことができるはずです。

(文章:ひるま)

新型コロナウィルス緊急アンナダーナ活動報告(その38)

新型コロナウィルス緊急アンナダーナにご協力をいただいております皆様、誠にありがとうございます。

3月25日に始まった新型コロナウィルス感染拡大防止のためのインド全土の封鎖は、経済状況の悪化を受け、6月以降、段階的な措置の緩和が行われています。
インド全体では感染拡大のピークを過ぎるも、これまでに累計感染者数は1061万人、死者数は15.4万人を超えました。

食事の奉仕は、1月16日に500皿(第67回目)、1月19日に500皿(第68回目)を配ることができました。
メニューはどちらもダール・チャーワル(豆のカレーとご飯、1皿45ルピー)です。
引き続き、経済的に困窮する人々が暮らす地域を中心に、車両で移動しながらの奉仕となっています。

当初は異なるメニューで食事を奉仕していましたが、現在は安定して奉仕を続けられるよう、同じメニューが続いています。
ダール・チャーワルは日常的に食される国民食で誰からも愛され、たんぱく質も多く摂取でき栄養面でも優れているメニューです。

食事の奉仕を行うデリーでは、1日の新規感染者数が200人を下回る日もあり、厳しい封鎖が続いていた時の水準まで下がっています。
1月18日からは、昨年の3月19日から閉鎖されていた教育機関が10ヶ月ぶりに再開されました。
状況は改善しているように見られますが、食事の奉仕を行う現地スタッフは、治安の悪化や犯罪の増加を感じる瞬間があると言います。
生活が一変し、ストレスを抱える人が少なくない現在、少しでも社会に温かな気持ちが広まりますよう、食事の奉仕として活動を続けていきたいと思います。
与えること、与えられることを通じて、真の平和が広がることを心より願っています。

この度の温かいご協力に、心より御礼申し上げます。
次回の奉仕後、改めて、ご報告をさせていただきます。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

(スタッフ:ひるま)

若林忠宏:論理とスピリチュアル:新連載 Vol.9 バガヴァド・ギーター:第二章・第11節 ①

バガヴァド・ギーター:第二章・第11節 ①

クリシュナは語った。
貴殿は嘆くに当たらない人間に関しても嘆く。しかも、一見聡明な言葉を語る。
しかし、賢者は、死者や生者について嘆くことはない。
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第二章では10節迄は、ほぼアルジュナの葛藤と嘆きがしつこく繰り返します。そしてこの11節でようやく、クリシュナの二言目が発せられます。

この11節の驚くべき示唆に富んだテーマは、「嘆くに当たらない人間」「一見聡明な言葉」「賢者は生死を嘆かない」という、この節の全ての文言に見られます。

ただ、この「三つのテーマ」が互いにきわめて密接な関係にあり、その順番を取り違えるとトンでもない誤解・誤った解釈に至ってしまうことは重々注意すべきです。

おの「三つのテーマ」は、総合的・俯瞰的に、「アルジュナの常識的な解釈に対し、クリシュナは宇宙原理で以ってそれを一蹴している」に重きを見出だすべきでしょう。

また「三つのテーマ」それぞれを格言に至らしめるには、それぞれの不偏的な「ものさし(判断基準)」を読み取らねばなりません。

「嘆くに当たらない人間」は、誰のどんな物差しによって「嘆く価値もない」とされるのか?
クリシュナの価値観か? 宇宙原理・真理照らしてか?それとも賢者の物差しで計ってなのか? それともアルジュナ達、人間の中の、権力を争い国と伝統を存続させる命題を抱く者たちにとってなのか?
「一見聡明な言葉」は、流石にクリシュナにとって、宇宙原理にとって、賢者にとって、はないでしょう。しかし、「どのような人間が聡明と感じるのか?」には幅があります。

「賢者は生死を嘆かない」は、物差しの所在・価値観の次元を「賢者」に特定しています。しかし「賢者」という存在は、果たして「どのような物差し」によって認定されるのでしょうか?
ある意味、逆説的に
「静止を嘆かない者=賢者」という解釈も出来、古代インドの文言には、そのような言い回しは多く見られます。

しかし、ここで重要なことは、シーターラーマさんの詳細なサンスクリット語の解説で明示されているように、本節に於ける「賢者」は、「Pandit(学者、ドクター、専門家、ヒンドゥー教徒の音楽の名手にも冠する)」であり「聖者(スワミやバグワン、リシ)」などではないことです。

私は、「みっつのテーマ」のひとつ「一見聡明な言葉」に、とてつもなく驚かされました。
これは、
「一見聡明な言葉」の他に、「一見優し気な言葉」「一見正しい言葉」「一見乱暴な言葉」に始まり、「一見立派な姿」「一見みすぼらしい姿」「一見立派な仕事」「一見卑しい様子」などなど、あらゆる事象に通じます。

つまり、その時々・時代の「通俗的で常識的な価値観(ものさし)」に於ける「一見」を意味しているのです。さすれば「嘆くに当たらない」は、おのずと「非凡・非常識な価値観」で判断した場合となります。しかしながら、その価値観は、必ずしも「賢者の価値観」と同一ではないのです。

しかし、いずれにしても、この現代社会にも完璧に通じることをクリシュナが述べた。
しかし、それは「宇宙真理」を述べたのではなく、「凡人から賢者に至る、人間社会の問題性」として述べていることに驚きを禁じ得ません。

従って、バガワドギータそのものも、クリシュナの言葉そのものも、やはりこの新連載の冒頭で私が述べましたように、極めて人間的・人間目線・価値観に沿いながらも、その過ちを説かんとしている、「人間世界・人間人生の教本」としての「聖典」である、ということが明白になります。

言い換えれば、「通俗を認めながらも、通俗の中に在ろうとも、精神性を下げてはならない」という厳しい教えである、ということです。
(つづく)

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シーズインディア支援事業の活動報告

シーズインディア支援事業にご協力をいただいている皆様、温かいご支援をいただき誠にありがとうございます。

インドでは現在、新型コロナウイルスの感染拡大はピークを超えたと見られていますが、一部の地域では感染者の多い状況が続いています。
シーズインディアがあるインド南部のケーララ州もそのひとつです。

2018年の豪雨災害の被害を受けた家族や、毎月の教育支援を行う子どもたちの多くが暮らすダリット村でも感染が拡大し、現在はcontainment zone(封じ込め地域)に指定され、完全に隔離されています。
ダリット村では大家族が小さな家屋で暮らし、トイレや炊事場を共用しています。
ひとたび感染爆発が起きれば、大変な事態になることが予想されていましたが、やはり事態は深刻になり、村全体に感染が広がっています。
入院できる施設がないため、重症の人を除き、皆が自宅で療養をしています。
封じ込めは2週間の予定で1月の上旬に始まりましたが、感染拡大は収まらず、封じ込めは現在も続いています。

これまで、毎月の教育支援を行う子どもたちの家族へはクーポンを配布し、各自が指定の店舗で生活物資を受け取る支援を行なっていましたが、現在は村の外へ出ることができない状況のため、近くの敷地まで物資をまとめて運び、電話などでコミュニケーションを取りながら、それぞれが受け取れるように手配しています。
別の地域に居住する子どもたちの12の家族は、シーズインディアの施設に来ることができ、施設で物資を手渡すことができました。
毎月の教育支援を行う子どもたちの家族に、豪雨災害の被害を受けた家族や、その他に困窮する家族を含め、これまでに約300家族へ生活物資の支援を行なっています。

ダリット村の人々は、日雇いの仕事に就き、その日を過ごすことに精一杯の家庭も多く、普段から備蓄などができる状況ではありません。
政府からの十分な支援は得られず、皆様のご支援は警察や保健当局からも大変感謝され、物資の配給を安全に円滑に行えるようサポートをいただきました。
ダリット村の人々は仕事ができない状況のため、今後も厳しく困難な状況に直面することが予想されています。

現在の状況を通じては、社会的な弱者がもっとも深刻な影響を受けているとされています。
皆様の温かいお気持ちを今後も活用させていただき、少しでも社会に平和が広まりますよう努めていきたいと思います。

いつも温かいご支援をいただき、心より御礼申し上げます。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

(スタッフ:ひるま)

シャンカ・ガーヤトリー・マントラ


・ॐ पाञ्चजन्याय विद्महे पद्मगर्भाय धीमहि ।
तन्नो शङ्खः प्रचोदयात्‌ ॥
・om pāñcajanyāya vidmahe padmagarbhāya dhīmahi |
tanno śaṅkhaḥ pracodayāt ||

・オーム パーンチャジャニヤーヤ ヴィッドゥマヘー パドマガルバーヤ ディーマヒ
タンノー シャンカハ プラチョーダヤートゥ
・意味:我らがパーンチャジャニヤを知り、パドマガルバを瞑想できるように
シャンカよ、我らを導き給え

太陽が昇り、そして沈む時、インドの地には、祈りとともにシャンカ(法螺貝)の音が響き渡ります。
古来より、祈りの儀式において必要不可欠なものであったシャンカの音は、世界の安寧や心身の健康を生み出すものとして、大切に受け継がれてきました。
かつて、クリシュナ神と他の戦士たちがシャンカを吹き、マハーバーラタの大戦が始まったといわれます。
そして、シャンカを吹いた戦士たちは皆、戦いに打ち勝ちました。

パーンチャジャニヤは、クリシュナの持つ法螺貝の名前です。
海に棲む悪魔パンチャジャナ(クリシュナに殺された)の貝あるいは骨からつくられたとされています。
パドマガルバはヴィシュヌ神の別名であり、蓮から生まれたもの、蓮を孕むものといった意味があります。

シャンカの生み出す音は、ネガティブな波動を払い、場を清める力があると信じられます。
何よりも、シャンカを吹くことで生じる深い呼吸によって、心身の健康がもたらされると伝えられています。