第23回グループ・ホーマ無事終了のお知らせ

第23回グループ・ホーマにお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

第23回グループ・ホーマは、5月24日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

もっとも偉大な信仰者の姿

2018年は5月16日から6月13日まで、インドの一部の暦でアディカ・マーサが生じています。
アディカ・マーサは、太陰暦と太陽暦の間で生じる差異を合わせるために、約2年半に一度だけ生じる特別な月(閏月)にあたります。

このアディカ・マーサは、ヴィシュヌ神やクリシュナ神に捧げられる月として知られます。
この神聖なアディカ・マーサを迎えている今、ヴィシュヌ神の敬虔な信仰者として知られる聖仙ナーラダの話をご紹介します。

ナーラダは重要な聖仙の一人であり、数々の聖典をこの世に伝えてきました。
ヴィシュヌ神を崇め、その御名「ナーラーヤナ」を常に唱えているといわれます。
ナーラダは、ヴェーダをより親しみやすく伝えるために、いたずら好きな一面も多く描かれる聖仙です。

ある時、「もっとも偉大な信仰者は誰ですか。」とナーラダはヴィシュヌ神に尋ねました。
ヴィシュヌ神は、ある農父を指さします。
ナーラダはその農父の生活を窺うも、農父は朝と晩にヴィシュヌ神の御名を唱えるだけで、あとは農作業に明け暮れています。

「どうしてあの農父が一番なのですか。」ナーラダはヴィシュヌ神に問いました。
するとヴィシュヌ神は、オイルがなみなみと入った壺をナーラダに渡し、「このオイルを一滴もこぼさないように、丘を一周して来なさい。」とナーラダに指示しました。
次の日、ナーラダは一滴もオイルをこぼさず、丘を一周して戻ります。

誇り気に成果を求めたナーラダに、ヴィシュヌ神は聞きました。
「今日、何回私の名前を唱えましたか。」
ナーラダは愕然としました。
オイルをこぼさないようにと集中することが精一杯で、ヴィシュヌ神の御名を唱えることを忘れていたのです。

「一瞬たりとも、あなたを思い出すことがありませんでした。」
そういうと、ナーラダは農夫の姿を思い出します。
農父は、自らの義務と責任を全うする忙しい毎日の中でも、決して忘れることなく、1日に2度、ヴィシュヌ神の御名を唱えていました。
そんな農夫を、ヴィシュヌ神はもっとも偉大な信仰者として示しました。

忙しい日々の一瞬において、農夫のように神の存在に気づくことができれば、そこには何よりも大きな祝福があるに違いありません。
すでに注がれている神の恩寵を受け取るには、行為の結果への執着を捨て、自分自身で帆を広げることが大切なのだと感じます。

(文章:ひるま)

聖なる品々の手放し方

ルドラークシャやヤントラなど、インドにおいて古来より伝わる価値ある品々は、喜びだけでなく、時に苦難が満ちる人生の強い支えとなってくれるものです。そんな品々も、時には手放す必要が生じる場合があるかもしれません。

そんな時は、インドでは聖なる川に流したり、聖木のもとに埋めたりと、自然に還す行いが勧められます。

特に、ヒンドゥー教では古来より、川は聖なるものとして崇められてきました。
豊かな水とその流れが、あらゆるものを清め浄化すると捉えられてきたことに一つの理由があります。
そして、霊的な罪や穢れを清める行為としての「沐浴」が重要視されると、川は人々から信仰を集めるとともに、重要な聖地として崇められるようになりました。

また、山や川、草や木など、インドでは大自然のあらわれが神々として崇められます。
大地は女神として慈悲深く万物を育み、最後の時には万物をあたたかく包み込む存在です。

大自然は、創造、維持、破壊に逆らうことなく、その法則に則って動き続けます。
所持するさまざまな思いやエネルギーが詰まった品々も、川に流したり、大地に埋めたりして自然に還すことで、適切に清められると信じられます。
そうすることで、私たち自身も、次のステップへと進むことができるでしょう。

※金属類のヤントラや神像なども、聖なる川に流されることがありますが、近年では環境問題も伝えられているため、日本ではお焚き上げに出したり、神社などにお納めいただくことも良いでしょう。

134、インド音楽の楽しみ方(7)南インド古典音楽の前奏(前唱)曲




図は、Vol.130でも紹介した、北インド・南インドの様々な古典音楽様式に於けるアーラープの構成図です。いずれも「自由リズム(ビート感が無い)の第一部」→「中庸の2拍子的なビート感の第二部」→「速い4拍子的なビート感の第三部」であることが共通しています。
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長年古典器楽の中心的な楽器、と言いますか、唯一の楽器であった撥弦楽器(ルードラ・ヴィーナ、ターンセン・ラバーブ、スール・スィンガール、スール・バハール、サロード、シタール)にはいずれも「リズム弦」があり、第三部では、それを旋律の合間に掻き鳴らしかなり明確なビート感をかもし出します。その結果、声楽では第二部・第三部の分別は曖昧で、グラデーション的にテンポ・アップした感じであるのに対し、器楽では、ジャーラーの名称が与えられ明確に区分しています。

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ところが、南インド古典音楽の器楽(カルナティク・ヴィーナ、もしくはサワスワティー・ヴィーナ、ゴットゥー・ヴァディアム、チトラ・ヴィーナなどの撥弦楽器の他、竹の横笛クーラル、弓奏楽器ヴァイオリンなど)は、いずれも古典声楽曲を演奏し、北インド古典器楽ガットのような独立した様式(Tantra-Baj)は持っていないのです。

従って、南インド古典音楽では、ほぼ全ての器楽が「歌無し声楽曲」のようなものと考えられます。北インド古典器楽タントラ(ヴェーダ時代のタントラと文字は同じですが、「弦」の意味です。根底では同義かも知れません)・バージが成り立つ所以は、「歌の模倣」ではなく、「歌とは異なる、歌にも真似出来ない技法」を開発したからですが、南インドは逆に、楽器の限界に挑み、如何に肉声に近くするか、が問われて来ました。

なので、南インドのヴァイオリンは、胡座の左足の踵に楽器先端の糸蔵の先の「カタツムリのような渦巻き」を当て、左肩との間でしっかり固定し、左手の指先と、親指と人差し指の間には少し油さえ塗って、自在にスライド出来る左手で演奏します。尤も、南インド古典音楽の場合、音階の音それ自体が装飾されていますので、声楽の模倣を考えずとも、その音を出さんとすれば、結局同じ結果に至るとも言えます。
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南インド古典音楽(本曲)の醍醐味は、次回しっかりお話ししますが、南インド古典音楽のアーラープの醍醐味は、第一部の様々なシラブル(韻)で歌われる自由リズムの部分の説得力と、第二部のリズミカルな部分に於ける拍分割・融合の妙技を見せる「Thanam」、そして、後に歌う作品の重要な歌詞を自由な即興で歌う「Niraval」であると言えるでしょう。
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多くの日本人研究者やマニアが、南インド古典音楽が「北インド古典音楽より伝統的で保守的」と言いますが、全くの逆で、現行のスタイルの殆どがむしろ近代に確立したものですし、良い意味でモダンで格好良いとさえ言えます。

ただ音の装飾とリズム感が、「ブレない」ことは大きな特徴です。

北インドの装飾音は、着けたくない時には付けず、付けるとなったら全てに付くようなところがあります。それに対し南インドの装飾は、ラーガによってどの音にその種類の装飾が付くかが決まっています。その動きは次のイメージ図のように、全く異なるのです。
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この典型的な例が白黒動画ですがインド政府文化庁の映画部「Film Division」の「Music of India」で、トゥムリ系のカヤール歌手と南インドの歌手が音階的には同じラーガを歌って比較しています。

最も現代の北インドの「装飾多用」は、19世紀末頃からの或る意味悪しき風習で、花柳界の歌の真似である「ムルキー(こぶし)」の多用が元凶です。従ってドゥルパドではあり得ないこと。(最近のドゥルパド歌手を自尊する歌手の場合はあやしいですが)、ドゥルパドに根差した器楽でも装飾は必要最小限を定められたところに付けるものです。この点では南インド古典音楽は保守的と言えます。
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この装飾音を料理に喩えると面白いことが分かります。
北インドの装飾は、全体に着け得るが、付かないこともある。つまり北インド料理の「パラオ(ピラフ)」「ビリヤーニ」のような感じです。ご存知のように西洋料理、日本のスナックのメニューでもある「ピラフ」はペルシア~アラビヤの「パラオ(炊き込みご飯)」がルーツですが、西に行くに従ってスパイスの種類は少なくなり、基本的に炊きあがる直前に加えたりします。炊き込みご飯を炒め直す時でもあります。ところが、南インドの場合、数日前から食材をスパイスに浸け込んであるのですから、食卓に運ぶ前にスパイスの加減などあり得ないのです。

また南インドの太鼓ムリダンガムは、堅い木を肉厚に刳り貫いてあるので、6~8kgは優に越えどっしりとしていますが、北インドのタブラは、左低音の金属胴の底に重りを仕込んだものでも左右で3~4kg程度のものです。
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南インドのアーラープの第一部「Akshipthika」では、ラーガの基本を厳格に再現します。ここで声楽家が発音する音は、北インドのような「アー(Akar)」でも「階名唱法(サルガム)」でもないスキャットです。ドゥルパド・アーラープの第二部:Nom-Tomに似ていますが、「ノントン」のような「ノー、ノーン、トー、トーン、デー、デーナ」などの限られた(10種前後)ではなく、南インドでは「ノー、デー、ディーナ」などに始まり、有名な歌のと或る単語や、意味の無いフレイズなどを合わせると数百あります。

第二部の「Ragavardhini」では、北インドと同様に中庸の2拍子のビート感の上で、第一部で語った「ラーガ物語」を再演します。その際、後に歌う本曲の歌詞を借りて来て様々な旋律でラーガを多極的に解明する「Niraval」が歌われるか、それと対極的な性質である、リズム分割でラーガの性質を具現するターラムが歌われます。ターラムと北インド器楽のアーラープ第二部:ジョールは良く似ていますが、南インドの方がやはり堅い感じです。

第三部の「Magarini」は、「総論、全音域」という拡大型で、ラーガ物語の可能性を具現します(北インドのドゥルパド・サーラープの「アボーグ」に相当します)。が、近代では割愛されることがほとんどのようです。

白黒ジャケットは、撥弦楽器ヴィーナの「ターナム」の一大芸系を築いたヴィーナ・ダナムマール氏の愛弟子サヴィトリ・ラジャンさんの「私家盤」です。

私家盤と言えども、親族とお弟子で大金を集めて南インドEMIで録音プレスしたもので、親族、お弟子の他、名だたる音楽関係者に配られた記念盤です。

スッブーラクシュミ女史のアルバム以上の宝として私がこれを持って居るのは、ラジャンさんのひとり娘さんが私の南インド古典音楽の師匠だからです。母娘ともにプロ演奏家にはならず、一介の主婦になったので、私家盤として出したのですが、芸系はむしろ純粋で素晴らしいものがあります。この一枚の御陰で、南インド古典音楽界に於いて、何がギミックで、何が本道からは容易に理解出来ます。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。

https://youtu.be/wWmYiPbgCzg

4月~6月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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聖紐(モーリー)の起源と恩恵

インドではプージャーにおいて、また、寺院を訪れると、赤やオレンジの紐を手首に巻かれることがあります。この聖紐は、モーリーやカラーヴァーと呼ばれ、神と自分自身を結びつける象徴として捉えられます。

一般的にはシンプルな赤やオレンジの紐が用いられますが、さまざまに装飾されたモーリーもあります。男性は右手、女性は左手に巻かれます。既婚女性は左手、未婚女性は右手に巻かれることもあります。

このモーリーの起源は、ヴィシュヌ神の5番目の化身である矮人ヴァーマナが、マハーバリ王の手首に、不死をもたらすラクシャ・スートラ(守りの紐)を結んだことにあると伝えられます。

手首には、重要な静脈が流れます。ここにモーリーを結ぶことで、体の3つのドーシャのバランスが取られ、サットヴァの質が向上するといわれます。そうして、ネガティブなエネルギーが周囲を取り巻くことを防ぐと信じられます。

モーリーによって、ブラフマー神からは名声、ヴィシュヌ神からは保護、シヴァ神からは解放、そして、サラスワティー女神からは知識、ラクシュミー女神からは富、ドゥルガー女神からは力の祝福が授けられると言われます。

こうした「結ぶ」という行為には、日々を豊かに生きるための深い意味が存在しています。日常の中で感じる不安や恐れは、自分自身が全体(神)から離れた存在であるという無知にあるといわれてきました。こうした「結ぶ」という行為を実践することで、心安らかな日々を過ごすことができるでしょう。

参照:The secret behind tying Mauli Thread

スタッフ日記:第26回アンナダーナ終了しました!

第26回アンナダーナにお気持ちを寄せていただきました皆さま、本当にありがとうございます。今回は寺院にて、無事に終えることができました。

酷暑期を迎えている北インドでは、日本でもニュースになっていたようですが、突風を伴った大嵐が頻繁に発生し、大きな被害を受けている地域があります。このような酷暑期は初めてだという人も少なくありません。突然吹き荒れる突風は恐ろしく、アンナダーナも無事に実施できるように願っていました。

そんな中、アンナダーナを実施する寺院周辺では、予告なく突然配管工事が始まりました。当日の朝も道路は掘り返されたまま、ついに水も出なくなってしまいます。暑くなる予報が出ていたため、早めに準備をし、早めに配り終えることができるようにと予定をしていましたが、予想外の水の手配に時間がかかってしまいました。

周辺の道路がいつものように通れない上、水の手配に時間がかかり、結局、配り始めることができたのは12時半を過ぎていました。いつも配膳を行う場所の目の前で工事が行われており、とても埃っぽく配膳を行える状況ではなかったため、今回は寺院の裏手で行いました。

人が集まるか心配でしたが、周辺地域は水が出ない状況のため、料理ができない人々なども多く、気がつけば多くの人が集まりました。始まりはいつもより遅くなってしまいましたが、準備した1000食分以上の食事をいつもと同じくらいの3時間ほどで配り終えることができました。

突如始まった配管工事。道路は掘り返されたままです。

水の手配でバタバタしてしまいましたが、無事に食事づくりを進めることができました。

いつもアンナダーナが始まる前に、聖牛にも食事を捧げます。聖牛はいつも散歩に出かけていて、いつ現れるかわかりません。食事を盛ったプレートを同じ場所に置いておくといつの間にか食事がなくなっているのですが、今回は食事中の聖牛をキャッチすることができました。

酷暑期で学校がお休みになっており、子どもたちの姿もたくさん見ることができました。

木陰で涼しそうに見えますが、43度くらいあります。

やはり13時頃〜14時頃は大行列となります。

インドでは首都デリーでも電気がこなかったり、水が出なかったりが日常茶飯事ですが、やはり貧しい人々が最初に影響を受けやすい状況です。周辺では出稼ぎの多くの労働者の方が道端で自炊をしながら生活をしています。水を得られないかったこの日は食事を作ることができず、アンナダーナの食事が大きな助けとなったようです。必要な時に必要なものが与えられることに、感謝の気持ちでいっぱいです。

次回は病院での実施を予定しております。これからも温かいご協力のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

アンナダーナを通じ、皆様にも大きな恩寵がありますように。

(スタッフ:ひるま)

ヨーガ・スートラ第3章第18節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


संस्कारसाक्षात्करणात् पूर्वजातिज्ञानम्॥१८॥
Saṁskārasākṣātkaraṇāt pūrvajātijñānam||18||
サンスカーラサークシャートカラナート プールヴァジャーティジュニューナム
潜在印象を直観すれば、前生の知識を得る。

簡単な解説:前節において、私たちの知識は、言葉とその対象とその内容の混同により混乱していることから、それらの相違へ綜制を行うことにより、あらゆる生きものの叫び声の意味を理解できると説かれました。本節では、綜制を通じ、過去の経験によって潜在意識内に投入された印象を直観すれば、前生の知識を得ることができると説かれます。

インド縦断ツアー4

カーマキャー寺院には、カーマキャ女神とそれを取り囲むように10の女神(ダシャ・マハーヴィディヤー)が祀られています。
遠い距離のもので2~3キロ、近いものでは、100mくらいの距離のところにダシャ・マハーヴィディヤーに属する女神の寺院がありますし、カーマキャー女神と数十センチ離れた位置に祀られているご神体もあります。
ところが全体の寺院を巡った後気付いたのですが、女神が1柱足りないのです。
トリプラ・スンダリー女神の寺院が見当たりません。
取りこぼすわけにはいかないので、アッサム州のガイドに尋ねると、彼のグルに電話をしてくれ、カーマキャー女神とマータンギー女神、カマラ女神を併せてトリプラ・スンダリー女神という。」という回答がありました。
その話はかなり疑問に思ったのですが、あとで思い出すと確かにカーマキャー女神のご神体に参拝した時にそのご神体のすぐ近くに隣がマータンギー女神とカマラ女神が合体したご神体がありました。
しかし、三女神を併せてトリプラ・スンダリー女神と呼ぶ、という話は初耳で相当驚かされました。
もちろんダシャ・マハーヴィディヤーが祀られているのは、インドの他の地域にもあるでしょうし、他の地域はどうであるかはわかりませんが、ここグワハティではそうなのだと解釈しました。
10の女神の巡礼は、最後は独身者のみでドゥマーヴァティー寺院を訪れましたが、参拝者はほとんどおらず、入口にアゴーリー行者(ある宗派のタントラ行者)が座ってジャパをしていたのが印象的でした。
インドの土着の神々は、本当に多種多様でその解釈も多岐にわたります。
今後もう少し調査が必要かもしれませんが、今回のツアーで新たに得た暫定情報としてご報告させていただきます。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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母なるガンガーの恵み

古来より、インドの人々の心に抱かれ続けるガンジス河。
その降誕を喜ぶガンガー・ダシャラーの吉日が、2018年は5月24日に祝福されます。
天を流れていたガンジス河は、一説に、シヴァ神の豊かな髪に受け止められながら、この日、地上に降り注いだと伝えられます。
ガンジス河はガンガー女神として神格化され、シヴァ神ととりわけ深いつながりの中で崇められています。

シヴァ神を讃えるもっとも神聖なシュラヴァナ月(7月~8月)、ガンジス河沿いは、オレンジ色の装束を身にまとった巡礼者の熱気に包まれます。
村や家庭で祀られるシヴァリンガムへ注ぐための聖水を汲もうと、遠く離れた地から歩み訪れる巡礼者の姿です。

シュラヴァナ月は、ヒンドゥー教の創造神話である乳海撹拌が起こった聖なる月として崇められます。
この時、シヴァ神は世界を救うために、乳海撹拌によって生み出された猛毒ハラーハラを飲み込みました。
その熱を冷ますことができる唯一のものが、ガンジス河の聖水であると信じられます。
熱を持つシヴァリンガムを静めるために、その上からは絶えず、ガンジス河の聖水が注がれることも少なくありません。

乳海撹拌で生み出された猛毒ハラーハラは、怒りや憎しみ、憂いや悲しみといった、私たちの心の暗闇から生み出されたものとして捉えられてきました。
それを唯一飲み込むことができるのが、破壊神であるシヴァ神です。
そんなシヴァ神へ捧げるための聖水を宿すガンジス河は、まるで、世界を慈しむ母親のようです。
その存在は、ガンガー女神として神格化され、シヴァ神の豊かな髪の中に描かれると、万物の穢れを取り去る浄めとして神聖視されてきました。

黙々と流れるガンジス河のほとりを歩む時、心が洗われ、すっと軽くなる感覚を抱くことがあります。
太古の昔から、人々のさまざまな思いを静かに受け入れてきたガンジス河は、私たちの抱えるもっとも深い暗闇を理解しているかのようでした。
誰しもが抱える心の重荷をすべて受け取り、浄化するその存在は、私たちをあらゆる苦から解放された場所へと導きます。

そんな清らかな流れを支えとするとき、私たちは澄んだ美しい人生を歩むことができるに違いありません。
万物を生み出し、維持し、解放する女神の恵みが、いつの時もありますように、心より願っています。

(文章:ひるま)

リラックスと快眠のためのアーユシャ・スークタム

現代では、多くの人がストレス、緊張感、心労や不安、不満に悩まされています。そのような人々は、充分な睡眠がとれずにリラックスできません。そのため、現在抱えている問題に立ち向かうために必要なエネルギーが得られず、薬に頼ることになってしまいます。

薬によって問題が解決できないならば、マントラ(真言)による治療法があります。この治療法は、どのような副作用もなく、古くから活用されている効果的な方法といわれています。

リラックスと快眠のためのヴェーダ・マントラの一つに、アーユシャ・スークタムがあります。アーユシャ・スークタムは、ヤジュル・ヴェーダにおさめられた健康や長寿を祈る祈りです。あらゆる面において、ダルマに沿った健康的な生活を送ることができるよう祈りが捧げられます。ブラフマー神やシヴァ神、スーリヤ神をはじめとする神々への祈りがおさめられ、その波動は、心の波立ちをやわらげ、穏やかな状態へと導きます。

アーユシャ・スークタムは、アーユシャ・ホーマを執り行う際にも唱えられます。アーユシャ・ホーマは、バース・スター(ナクシャトラ)の日に執り行われる特別な火の儀式です。バース・スターが統治する日は「力」を象徴する日として考えられ、この時に行われるこのホーマは、多くの祝福をもたらすと信じられています。その祝福は主に、長寿や健康的な生活、また、精神面と物質面における豊かさとして知られています。