マカラ・サンクラーンティ2017

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2017年1月14日はマカラ・サンクラーンティです。マカラ・サンクラーンティは、春の到来を告げる収穫祭であり、インドに限らず、東南アジアの国々でもお祝いされる盛大なお祭りです。

マカラとは「山羊座」、サンクラーンティとは「変遷」のことであり、この日より太陽が山羊座に入ることから、マカラ・サンクラーンティと呼ばれています[1]。

マカラ・サンクラーンティは日本でいう冬至にあたり、昼がもっとも短い日であり、この日から太陽は北方への回帰を始めます(ウッタラーヤナ)。
緯度の違いから、日本では例年12月22日頃がそれにあたります。

インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」では、ウッタラーヤナについて次のように述べられています[2]。
「火、光明、昼、白月、太陽が北に向かう六ヶ月。そこにおいて、逝去したブラフマンを知る人々はブラフマンに達する。(8.24)」

インドでは太古よりウッタラーヤナの期間中に肉体を去ることは、成就に至るために重要であると考えられてきました。
そのためマハーバーラタの英雄として知られるビーシュマは、この吉兆の時に死ぬことを望み、ウッタラーヤナが訪れるまで、矢でできた臥床で死を待ったといわれます。

マカラ・サンクラーンティの吉日では、インド各地において、朝早くから沐浴をし、祈りを捧げ、太陽の恵みに感謝し、豊作を祈願します。
また精神的な恵みを得るためにも重要な吉日であると考えられています。

プラーナ文献では、マカラ・サンクラーンティから1ヶ月間、太陽神スーリヤが息子である土星神シャニの家を訪れると述べています。
山羊座は、インド占星術における土星神シャニが支配する星座です。
父スーリヤとその息子シャニは、いつもはあまり仲が良くありませんが(敵対星座)、父スーリヤが1ヶ月間、息子シャニの家に来ることにより、お互いの関係を確かめ合います。
これは占星術的には、一般の父と息子の関係にとっても重要な意味があるととらえられています。
息子にとっては、父を快く受け入れることで、よりよい家族関係を築くのに重要な時期であるといわれます[3]。

また太陽が北へ向かう6ヶ月の間(冬至から夏至の間)、ここから神々の昼が始まるとして、多くの祭事はこの期間を中心に行われることになります。
太陽が南へ向かう6ヶ月の間(夏至から冬至の間)は、神々の夜にあたる時期と考えられ、ギーターでは、「そこにおいて、逝去したヨーギンは月光に達してから回帰する。(8.25)」と、忌み嫌われている時期であることが窺えます。

しかし、ガンディーが「無執着ヨーガ」の中で、「信愛に従い、ひたすら無執着の行為を行い、真理を見た者は、いつ死のうとも解脱を勝ち得る。」と述べているように[4]、真理とともに生きている人々にとっては、毎日がマカラ・サンクラーンティのような吉日であるといえるのかもしれませんね。

太陽の恵みを感じやすくなるこの時期、皆さまに大きな恵みがありますように。

Reference
[1] Sankranthi, Wikipedia, http://en.wikipedia.org/wiki/Makar_Sankranti
[2] 上村勝彦訳,バガヴァッド・ギーター,岩波文庫,1992
[3] Makar Sankranti, http://www.rudraksha-ratna.com/news_letter/makarsankranti-mailer-2015.html
[4] 赤松明彦著,『バガヴァッド・ギーター』神に人の苦悩は理解できるのか?,岩波書店,2008

浄化法としての瞑想

Young woman practicing yoga on the beach.

古代から伝えられ、現代でもさまざまに実践される瞑想は、身体と心を浄化し、癒し、回復する術として、幅広い分野で認知された方法です。瞑想は、思考の明瞭さや自己意識を高め、安らぎや穏やかさを生み出す優れた方法であると、ヨーガや瞑想を実践する人々は述べています。身体的かつ心理的にうまく整合されたヨーガや瞑想法は、さまざまな流派によって伝えられてきました。物質的に発達した西洋の社会から、インドやチベットのような精神的に豊かな東洋の社会に至るまで、ヨーガや瞑想法には多くの概念があります。

今日に生きる古代のヨーガや瞑想法は、現代的な創意が加えられているものも少なくありません。伝えられてきた流派によって、さまざまに異なる名前を持つ場合もあります。しかし、それらはすべて同じ目的を持っています。そんな中で、「祈り」はもっとも古く、最良のヨーガであり、瞑想法の一つであると考えられています。それは、自分自身の本質につながり、その関係を築く基礎であり、包括的な手段と成りえます。祈りを主とする世界の多くの宗教が、ある種の瞑想を重要な行いとして取り入れ、精神的な目標を達成していることを鑑みると、驚くべきことではありません。シンプルな祈りであろうと、賛歌であろうと、マントラであろうと、それは祈りとして、いつでも容易に実践できるヨーガであり、瞑想です。

近年、広く知られるようになった瞑想法に、マインドフルネス瞑想があります。これは瞑想のテクニックの一つで、自分自身の身体や心に気づきを持ち、その周りのすべてをあるがままに受け入れる方法です。マインドフルネス瞑想では、今という瞬間の自分、そしてその周りの世界と繋がり、常に深い気づきを持つことが大切とされます。一方、マインドフルネス瞑想とは対照的に、すべてのエネルギーと集中力をある特定の対象や主題に定め、周りのあらゆる喧噪を阻むという瞑想法もあります。

自分にあった瞑想法を実践することで、自己を見つめ、自己の本質とつながる助けとなります。どのような形式であっても、瞑想、そして祈りの実践は、私たちが人間として生きる目的を認識するために、欠かすことができません。

(SitaRama)

65、消化器・安心・理性のRaga:

Female relaxing at sunrise, performing tadasana - mountain pose by the sea at sunrise

消化器・安心・理性に関わる諸問題を、根本的なところで解決する効果があるとされるRagaは、「第3のChakra:Manipura/Nabi」に関わるRagaです。

昔から、胃腸が弱い人は、「根気が無い、我慢、辛抱が苦手」と言われていました。それは、下痢や軟便気味の場合にも、便秘の場合にも共通して言われます。もちろん感染症のDeToxとしての下痢は異なりますが、下痢・軟便性も便秘性も実は同じ元凶の異なる方向の表出であるという考え方もあります。

そもそも、生き物の「健康・正常な状態」を保つため、生き物が自らの体の中に備えている「恒常性」では、言わば「出るものは叩き、引き込む、沈むものは引っぱり上げる作用」ですが、逆に言えば、そうやってバランスを取ったものでも、またバランスが狂うということは、「心や体、臓器、細胞、様々な脈絡、気、ナーディ」は、常にどちらかに偏りたがる傾向があるということです。

このことをして、アーユルヴェーダでは「体質」という概念を重視しているのです。つまり、左右に傾きの無い道路であるにもかかわらず、ハンドルから手を話すと左右のどちらかに偏ってしまう車のようなものです。アーユルヴェーダが説く「体質」には、左右の他に、「スピードが勝手に上がる、下がる」なども加わるわけです。

このように、自然の摂理はある意味で、非常に単純明快な基本構造を持っています。そうは言っても、「便秘解消の為に辛抱強くなろう」という単純なものでもないのがミソです。

つまり、何らかの「心因性の作用」が、慢性化して、「体質」を作り出している部分も大きいと思われ、その場合、その「心因性の要素」を取り除き「体質」を見出すべき場合と、そうしたくても出来ない場合も考えられます。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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ダッタートレーヤ・ジャヤンティ

Dattatraya

インドでは2016年12月13日に満月を迎えます(日本時間の満月は14日)。マールガシールシャ月(11月から12月)の満月は、一部の地域や慣習でダッタートレーヤの降誕を祝福するダッタートレーヤ・ジャヤンティが祝福されます(12月12日に祝福される地域もあります)。

ダッタートレーヤは、ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神の3大神が一体となった崇高な存在です。ダッタートレーヤは、あらゆる霊的性質を備えています。ダッタートレーヤは神の化身として、普遍的な真の宗教を広めるため、聖者アトリとその妻アナスーヤーの子として生まれました。

アナスーヤーは非常に謙虚で忠実な妻でした。それは、天上のサラスワティー女神、ラクシュミー女神、パールヴァティー女神を悩ませるほどで、彼女たちはアナスーヤーの評判を落そうと、ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神を地上に送ります。

ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神は、アトリが留守の時にアナスーヤーの下を訪れます。アナスーヤーは食事を準備すると、ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神は、裸になって食事を振舞うようアナスーヤーに要求します。

アナスーヤーはショックを受けましたが、心の力でブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神を小さな赤ん坊の姿にしました。アナスーヤーは、赤ん坊たちを揺りかごに入れ、大きな愛をもって食事を振舞いました。

ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神が赤ん坊になってしまったため、誰がこの宇宙を司るのか、サラスワティー女神、ラクシュミー女神、パールヴァティー女神は心配を始めます。

ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神は、アナスーヤーに許しを請い、その存在の基がある天上へと戻ります。アナスーヤーは3人の赤ん坊を、ソーマ、ダッタ、ドゥルヴァーサーと名付けました。そして、ソーマは月で、ドゥルヴァーサーは森で苦行を続けるようになります。ソーマとドゥルヴァーサーは離れる時、ダッタにその存在を残していたため、ダッタはブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神を兼ね備えた存在となったといわれます。

ヨーガ・スートラ第1章第45節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


सूक्ष्मविषयत्वं चालिङ्गपर्यवसानम्॥४५॥
Sūkṣmaviṣayatvaṁ cāliṅgaparyavasānam||45||
スークシュマヴィシャヤトヴァン チャーリンガパルヤヴァサーナム
精妙な対象は、非顕現の根本原質に完結する。

簡単な解説:前節において、精妙な対象に関する定に、有伺定(識別のある定)と無伺定(識別を超えた定)があると説かれました。本節では、その精妙な対象について、万物の根源である自性に至るまでの、形をもっていない諸原理の総括であると説かれます。

ガンダーンタ

Digital Illustration of Spiral Galaxy

インド占星術鑑定において、火の(性質を持つ)星座と水の(性質を持つ)星座の境界は「ガンダーンタ」と言われ、大変な悪い意味を持つとされています。
火の星座と水の星座の境界は具体的には、うお座とおひつじ座の間、かに座としし座の間、さそり座といて座の間にあります。
個人のホロスコープにおいて、この境界付近に惑星が存在するとその星の意味が非常に悪く出ますし、トランジットの星(現在の星)の通過も、星の種類によっては世界に影響を与える規模の惨禍がおこる可能性もあります。
インド占星術では、天王星や海王星などの外惑星と呼ばれるものは、一般的には使用しないケースが多いのですが、5年前日本を国難に陥れたあの未曽有の自然災害も、天王星がうお座からおひつじ座に移動した日だったと、ある西洋占星術家の方からお聞きしたことがあります。
もちろんインド占星術と西洋占星術は(どちらも素晴らしいものですが)ずいぶん違いますし、私ガネーシャギリも西洋占星術はまったくの門外漢なので、並べて考えることはできませんし、早急な判断を下すこともできませんが、火の星座と水の星座の境界は注意を要するものであるのは確かなのかもしれません。
このようなことを書かせていただきますと、「何か悪い影響を及している星が、近いうちにガンダーンタを通過するのか?」と心配になられる方がおられるかもですが、そういうことを念頭にお話しているわけではありませんし、もしそうであったとしても、直ちにそれをおそれる必要はありません。そういったものは身近で起こるとは限りませんし、たとえ起こってたとしても深刻な影響を与えるとは限りません。
また何より私たちは、本当の意味で神に祈り、あるいはご自身の中の神性に気づき、それにすべてを託せば、たいていの惨禍は避けることが可能だからです。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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ヴィヴァーハ・パンチャミー

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2016年12月4日はヴィヴァーハ・パンチャミーの吉日です。ヴィヴァーハ・パンチャミーは、ラーマ神とシーター女神が結婚をした日として崇められ、マールガシールシャ月(11月から12月)の新月から5日目に祝福されます。

古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」の舞台の一つで、シーター女神が生まれた場所であり、また、ラーマ神とシーター女神が結婚した場所ともされるネパールのジャナクプルには、各地から帰依者が集まり、盛大な祝福が行われます。

2つの魂の結合を祝福するこの日、ラーマ神の御名やシーター女神のマントラを唱えたり、また祈りを捧げることで、大きな幸せが授けられると信じられています。

参照:http://www.drikpanchang.com/festivals/vivah-panchami/vivah-panchami-date-time.html?year=2016

サンスクリット語のサンディ;ナマス、ナマハ、ナモーは何が違う?

Krper, Geist und Seele

インドでおなじみの挨拶「ナマステー」も
最近の若い人はあまり使わなくなっているとも聞きますが、
この言葉は二つの単語から出来ています。

नमस् ते ナマス・テー
ナマスは「礼拝」「敬意」を、
テーは「あなた」「きみ」を意味しています。

誰に対しても分け隔てなく敬意を示して
「ナマス・テー」と挨拶するのですね。

さてこの「ナマス」という言葉、
日本人には古くから繋がりがあります。
「南無阿弥陀仏」
「南無観世音菩薩」等々の「南無」
密教の真言に出てくる「ノウマク」「ナウマク」も
どちらも「ナマス」が訛ったものです。

よく知られているマントラ
ॐ नमो नारायनाय オーン・ナモー・ナーラーヤナーヤ
ॐ गणेशाय नमः オーン・ガネーシャーヤ・ナマハ
などのなかに出てくる
「ナモー」「ナマハ」も
全て「ナマス」とまったく同じ単語、同じ意味です。

ではなぜ、同じ単語なのに
ナマスだったりナモーだったり
ナマハだったりするのでしょうか?

「ナマス」が訛ったものなのでしょうか?

以前、サンスクリット語の名詞は
格変化がたくさんあるという話を書きましたが、
「ナマス」が格変化しているのでしょうか?

実はナマスという単語は格変化をしない性質があります。
また訛りでもありません。
語中や文中の音が、前後の音との影響で変化する規則
=「サンディ」によるものなのです。

サンディを詳しく説明するには時間がかかるので
今は簡単に説明すると、ナマスが
文の一番最後に来ているときは、ナマハ
後ろにナ行の子音が来ているときは、ナモー
後ろにタ行の子音が来ているときは、ナマス
というふうに、変化しています。

もう一度、三つの文を比べてみましょう。
नमस् ते ナマス・テー
नमो नारायनाय オーン・ナモー・ナーラーヤナーヤ
ॐ गणेशाय नमः オーン・ガネーシャーヤ・ナマハ

日本語でも英語でも、前後の音の連結で
発音が変化することは珍しいことではありませんが、
サンスクリット語では、文字も変わってしまいます。

そのことは以前にも
単語と単語をつなげて書く表記法
のなかで書きましたが、
サンスクリット語を学びはじめた人が
ぶつかる大きな壁がこのサンディだろうと思います。

しかし、サンディを知っていると
マントラを唱えるときにも
単語の区切りや意味が把握できるようになります。

(文章:pRthivii)

パンチャカンニャーの存在

henna , saree , bride , wedding , Rajasthan, India

盛大な祝福が執り行われるインドの結婚式では、豪華に着飾った美しい花嫁の姿を目にします。
美しさだけでなく、強さを兼ね備えた女性たちの姿を目にすると、世界を生み出す根源的なエネルギーの偉大さを覚えることがあります。

そんなインドには、パンチャカンニャー(5人の処女)として崇められる象徴的な女性たちがいます。
神話の中で重要な役割を担うパンチャカンニャーは、苦難の中で自らの義務を全うしながら、強く生きる姿が崇められる存在です。
彼女たちの御名を唱えることで、全ての罪が清められると伝えられることもあります。

パンチャカンニャーとして崇められるのは、ラーマーヤナに登場するアハリヤー、ターラー、マンドーダリー、そしてマハーバーラタに登場するクンティーとドラウパディーです(クンティーの代わりにシーターとされる場合もあります)。

アハリヤーは聖仙のガウタマ、ターラーは猿王のヴァーリン、マンドーダリーは魔王のラーヴァナ、クンティーは国王のパーンドゥ、そしてドラウパディーはパーンダヴァの5王子たちの妻でした。

女性として、妻として、母として生きるパンチャカンニャーの人生は、誘惑、別離、束縛、抑圧、屈辱、義務、死、争いに溢れ、苦難に満ちています。
複数の夫を持ち、複数の肉体関係を持つ者もいます。
それでも、カンニャー(処女)として崇められるのは、肉体的な条件ではなく、献身的に生きる純粋な精神があるからでした。

苦難の中でも、常に全体と調和をしながら生きるパンチャカンニャーの姿は、さまざまに降りかかる状況を清く生き抜く術を学ばせてくれるものです。
変化する時代の中で、さまざまに捉えられる女性の立場ではあっても、それは宇宙の根源的なエネルギーとして、誰しもの内に存在するものに変わりありません。
性別や役割を越え、個の魂が歩む道のりを示すパンチャカンニャーの存在を胸に留め、強く生きることを学びたいと感じています。

「アハリヤー ドラウパディー クンティー ターラー マンドーダリー タター
パンチャカンニャーハ スマレーンニティヤーン マハーパータカナーシニーヒ」
(意味:アハリヤー ドラウパディー クンティー ターラー マンドーダリー、パンチャカンニャーを思い、罪を打ち消す)

(文章:ひるま)

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Panchakanya

スタッフ日記:エーカーダシーとドヴァーダシー

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インドではナヴァラートリーやエーカーダシーなど、頻繁に断食を行う機会があります。断食はウパヴァーサと呼ばれ重要な行いとされますが、断食を終える時はパーラナと呼ばれ、これも重要視される時です。

月の満ち欠けの11日目にあたるエーカーダシーでは、さまざまな形で断食が行われますが、終える時は、月の満ち欠けの12日目にあたるドヴァーダシーの日の出後といわれます。そして、もっと細かい時間割があり、日の出後でも食事をとれなかったり、日の出後すぐに食事をとらなければならなかったりと、自然の暦に綿密に従います。朝食はBreakfast(Break=やめる、Fast=断食)といわれますが、エーカーダシーの断食を終えることを意味する朝食はとても重要。

次回のエーカーダシーは、バガヴァッド・ギーターの生誕祭となるギーター・ジャヤンティ(12月10日)です。SitaRamaではグループ・ホーマを計画しています。プージャーを受ける時も断食が勧められますので、機会がありましたら、プージャーとあわせてエーカーダシーの断食を通じた恩恵を感じてみてください。

第2回グループ・ホーマ(2016年12月10日(土)実施)

そしてドヴァーダシーとなる次の日(12月11日)は、アンナダーナを予定しています。エーカーダシーは食事を控える方も多いので、この日に盛大なギーター・ジャヤンティのお祝いができたらいいなと思います。この度のアンナダーナもどうぞよろしくお願いいたします。

第4回アンナダーナ(食事の施し)(2016年12月11日(日)実施)

(スタッフ:ひるま)