さまざまな問題や心配事を緩和するシャニ神の千の御名

神の言語であるサンスクリット語による祈りは、精神的・肉体的な問題を癒すヒーリング・サウンドとして作用し、人々の願望や、魂の欲求を満たすことができると信じられています。その一つに、土星の神であるシャニ神を讃える千の御名(シャナイシュチャラ・サハスラナーマ)があります。

シャナイシュチャラ(サンスクリット語で、ゆっくり動くものの意味)は、恩寵を与える者、そして破壊する者の両側面があることで知られています。スーリヤ(太陽)とチャーヤー(スーリヤの侍女、影の意味)の間にできたシャナイシュチャラ(土星)は、9惑星の中でも、もっとも恐れられています。それは、生涯にわたり、人々の幸福を左右する存在であるとされているからです。しかし、シャナイシュチャラへの祈りは、さまざまな問題や心配事を緩和する力があります。

インド占星術では、土星は、注意力の欠如や無知をあらわしています。そして、長寿、不幸、悲哀、老化、死、規律、制約、責任、遅延、野心、リーダーシップ、権威、謙そん、実直、英知などのカーラカ(指示体)、また禁欲生活、拒絶、無執着、霊性、苦行、組織、現実、時なども示しています。

ホロスコープ上で、土星が他の惑星とどのような関係を持つか、どのような位置にあるかで、人の一生を通じて影響を与えつづけると信じられています。シャナイシュチャラは、各ラーシには2年半滞在します。ホロスコープ上において、出生時の月の位置を第1室とした場合、第12室、第1室、第2室を土星が通過する期間は、ナートゥ・シャニと呼ばれ、それは7年半続きます。また第4室にあるときには、アルダーシュタマ・シャニと呼ばれ、第8室にあるときには、アシュタマ・シャニと呼ばれます。このような期間は、問題に直面しやすい時期であるとされています。
一生涯において、7年半続くナートゥ・シャニはおよそ3度巡ってきます。最初のサイクルはマング・シャニと呼ばれ、本人よりもむしろ近親者に影響があるとされます。第2サイクルはポーング・シャニと呼ばれ、家庭内や事業面での影響があるとされます。第3サイクルは、マーラナ(死)・シャニと呼ばれ、子供、家族、健康面に影響を与え、本人の死を意味することもあります。
そして政治問題、配偶者、子供、ビジネスの後退、財産の損失、病などは、土星のトランジットによって引き起こされます。

しかし、シャナイシュチャラは、有益なグラハ(惑星)です。なぜなら、困難なくして成就はありえず、そしてまた、どのような困難であろうとも、心からの祈りによって克服することができるからです。シャニ神の祈りに耳を傾け、その力に触れることで、さまざまな問題や心配事を緩和することができるでしょう。

第47回グループ・ホーマ(ブッダ・プールニマー)無事終了のお知らせ

第47回グループ・ホーマ(ブッダ・プールニマー)にお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

仏陀を礼拝する、第47回グループ・ホーマは、5月18日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

第47回グループ・ホーマの実施内容はこちらよりご覧いただけます。

ヨーガ・スートラ第4章第14節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


परिणामैकत्वाद्वस्तुतत्त्वम्॥१४॥
Pariṇāmaikatvādvastutattvam||14||
パリナーマイカトヴァードヴァストゥタットヴァム
対象物の自己同一性は、転変の単一性による。

簡単な解説:前節において、過去、現在、未来という状況により生じる特性は、現在に顕現している状態であれ、顕現していない過去未来の状態であれ、すべて3つのグナを実体としていると説かれました。本節では、グナは3つ存在するが、それが三者一体の転変をすることにより、対象物は一つの物事として顕現すると説かれます。

過去世で唱えていたマントラ??

インドの伝統的な考え方によれば、人間は何度も輪廻転生しやがて人間から卒業するとされています。
生まれ変わっても前世のことを覚えていないのが一般的ですが、人によっては覚えていたりすることもあるようですし、瞑想体験を積み重ねることによって、副次的な効果の一つとして見えてくることもあります。

人生において打ち込んだ行為が、潜在意識に深く刻み込まれるとしたら、ある生で一心不乱にマントラを唱える生活を送っていた人は、次の生でもそれを全部、あるいは断片的に覚えている、ということがありうるかもしれません。

実は私ガネーシャ・ギリも、初めてムリティユンジャ・マントラを学んだ時に、断片的にそれを覚えていて、驚愕した記憶があります。
今ほどインドのマントラの情報が溢れていなかった時代でしたので、今生でどこかで聞いていたということはかんがえづらく、やはり過去世で獲得したものなのかもしれません。
ここシーターラーマで様々なアイテムを吟味するなど、普段からインド精神文化に興味のある皆さまの中には
やはり過去世でインドに生き、その時に学んだマントラを覚えておられる方がいらっしゃるかもしれません。
あるいは、覚えていないまでも妙に親しみを感じるマントラがあるかもしれません。

そうしたものが、本当に過去世に記憶によるものかそうでないか、真偽はわかりませんが、
いずれにしましても、そのマントラがご自分にとても合っているマントラである可能性は大いにあると考えられます。

ぜひ大切にして今生でも唱えていかれたらいかがでしょうか?

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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満たされない器

空虚であったり、渇望であったり、どこか満たされない気持ちは、誰しも一度は経験することかもしれません。
息が詰まるようなそのやり場のない思いの中で、学んだ話があります。
ヴィシュヌ神を心から愛する聖仙、ナーラダの話でした。
ナーラダ仙は、数々の聖典をこの世に伝える、重要な聖仙の一人に数えられます。

ある時、ナーラダ仙は器を手にした一人の物乞いに出会い、話しかけられます。
「今日は何も得ることができませんでした。どうか、この器を満たしてください。」
ナーラダ仙は、物乞いの器を満たしてくれるよう、財宝の神であるクベーラ神へ手紙を書き、物乞いに渡しました。

物乞いは喜んでクベーラ神を訪ね、ナーラダ仙の手紙を渡します。
聖仙の手紙に喜んだクベーラ神は、物乞いの器を満たすよう従者に伝えました。
従者は、ありとあらゆる財宝を器に入れるも、器はいっぱいにはなりません。

ナーラダ仙は、器をよく観察するように伝えます。
その器は、人間の頭蓋骨でした。
目や耳や鼻や口の部分に穴が開いており、いくら財宝を満たしも、いっぱいになることはなかったのです。

物質という肉体を持って生まれた私たちは、始まりがあり、終わりがある時の中で生きています。
そこには、見えるもの、聞こえるもの、匂うもの、味わうもの、こうした感覚から生み出される変化に富んだ喜びが溢れます。
その感覚のもたらす刺激的な喜びを求めて動き回る心は、自分自身の本質である不変の喜びから私たちを遠ざけていきます。

限りある物質に執着している限り、私たちは決して、満たされることはありません。
物乞いの満たされない器は、そうして苦悩する私たちの姿を映し出しているようです。
その器は、自分自身の本質である永遠の魂に気づき、満ち足りた自分に喜ぶことの意味を教えてくれたように思います。

ナーラダ仙は、さまざまな話を通じて、時に難解な教えを親しみやすく伝え続けます。
そんなナーラダ仙が降誕した日として崇められるナーラダ・ジャヤンティが、2019年は5月20日に祝福されます。
迷いが消え失せるような教えの数々を胸に刻み、日々を歩み続けたいと感じます。

(文章:ひるま)

クールマ・ジャヤンティ2019

2019年5月18日は仏陀の降誕祭が祝福される一方で、クールマ・ジャヤンティが祝福される慣習があります。

クールマ・ジャヤンティは、ヴィシュヌ神の2番目の化身であり亀神として崇められるクールマ神の降誕祭にあたります。ヴィシュヌ神がこの亀の姿となった理由は、ヒンドゥー教の創造神話である乳海撹拌に秘められています。

大昔、悪魔との戦いに敗れた神々は、力を取り戻すためにアムリタを得なければなりませんでした。そして神々はヴィシュヌ神の働きかけの下、悪魔たちと協力をしながらアムリタを作り出すために乳海撹拌を行うことになります。

あらゆる薬草を海へと投入し、マンダラ山に大蛇ヴァースキを絡ませ引っ張り合うことで海を撹拌しアムリタを生み出します。神々を助けようと働きかけるヴィシュヌ神にとって、この作業は非常に骨の折れるものでした。

マンダラ山が海に沈まぬよう、ヴィシュヌ神は大亀クールマとなりその上に山を乗せます。そして絡ませた大蛇ヴァースキを神々と悪魔引っ張り合いました。

アムリタを含め、多くの物が産出されたこの乳海撹拌において、幸運を運ぶラクシュミー女神もまた誕生し、後にヴィシュヌ神の妻となります。

悪と戦う神として化身することが多いヴィシュヌ神の姿の中で、クールマ神は他を支え救うために姿を現します。亀はヴィシュヌ神の象徴である維持や保護そのものであるとも伝えられ、妃であるラクシュミー女神と共に崇められることも多くあります。

参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Kurma

177、アーユルヴェーダ音楽療法入門39(Tri-Doshaと精神構造)

「Tri-Dosha/三つのドーシャ」は、「万物の五大元素」と関連させる必要から、それぞれ二つの元素との関連が説かれます。「Vata」は、ブラフマン教の「風神」と同じ語ですから、基本は「風のエネルギー(及び効果・効能・作用)」を意味しています。「Pitta」は、「アグニ:火」と「ジャーラー:水」という一見相反する元素にちなみます。「Kapha」は、「ジャーラー」と「プリトゥヴィー:地」と、ピッタほどではないとしても、必ずしも共存し得るのか?と思わせる二つの元素に関わります。それに対し「ヴァータ」は、「ワーユ:天空/風」と「アーカーシャ:空」ですから、全く矛盾せず、相性も良いように思われます。実際、そのように説いているアーユル・ヴェーダ関係者も散見します。
しかしこれも、そもそも「ヴェーダの叡智」と「形而上の世界」のこと。現代社会の常識的感覚で「合点が行った」は、むしろハズレかも知れません。
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「三つのドーシャ」の役割は、私がしばしば紹介する「樹木図」のように、「幹」の部分から「枝葉」向かえば向かうほど、その意味・役割・関係性は、多様化して行きます。昨今、流行が一段と隆盛しているアーユル・ヴェーダですが、語る人々は、様々な要素をひたすら並べる一方で、一向に「樹木」の姿が見えてきません。なので、一旦、しっかりと、「三つのドーシャ」の基本を「幹から順に」理解する必要があると思われます。
まず、「ヴァータの幹」は、多く「ヴァータ=運搬」と説かれますが、「流れ」に尽きます。「ピッタの幹」は、「ピッタ=熱」と多くの専門家が説きますが、「熱」以前に「動き」です。原子が動いて始めて熱が出ることと同じです。そして、「カパの幹」は、「定着・留める」に尽きます。

ところが、これらの根本的な力は、生命体の生命維持の基本中の基本である「恒常性」に於いては、常に「相反する作用」でなくてはならないのです。このあたりが昨今のアーユルヴェーダ関係者の多くが決定的に誤解している点です。
つまり「過剰なピッタにはヴァータやカパ」「動いてくれないカパにはヴァータ」などのような説明だけでは「遠からずとも当たらず」なのです。人様の健康と人生に関わりますから、この「微妙なズレ」は、かなり大問題です。あまりに安直で短絡的なのです。

そもそも、生命と、それを創り出した宇宙の真理、そしてヴェーダの叡智は、そんな単純なものではないのです。
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確かに、構造的仕組みは、「過剰なピッタにはヴァータやカパ」「動いてくれないカパにはヴァータやピッタ」などなどですが、「三っつのドーシャ」それぞれの、根本的な「ひとつの幹」の基本の上に成り立つ「太い二本の枝」の「どれを立ち向かわせるのか?」まで考えなくてはなりません。でなくては、効果をコントロール出来ないからです。

例えば、「ヴァータの幹」は、「流れ」でした。
しかし、「ヴァータの太枝」は、実は、「冷やすこと」と「動かすこと」です。これに対し「ピッタの幹」は「動き」ですが、「ピッタの太枝」に至るとそれは、「熱・燃焼」と、実は「留まる」なのです。タイミングと量を間違えれば「ピッタ過剰の熱の動きの幹」に対し、「ヴァータの太枝の動かす力」をぶつけてしまったらどうなるでしょうか?

「ピッタの幹の動き」は、原子のように、ミクロの範囲を激しく動くもので、それは、電子レンジのようなものですが、「ヴァータの太枝の動かす力」は、体の隅々にエネルギー・滋養・栄養を運ぶほどの力があります。いわば「ピッタ」が「極超短波」であるのに対し「ヴァータ」は「極超長波」のようなものですから、この二者を合わせてしまったら? 打ち消しあってくれれば良いですが、逆なら大変なことになります。
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このようなことは、中医・漢方では、数百年前から言われています。故に「この生薬は○○に効く」と単純に言えず、今日の「漢方薬剤師のほとんどが理解しない(出来ない※):弁証論治」が存在するのですが、アーユル・ヴェーダでは、何時の時代か(大体分かっていますが)この論理が著しく欠落してしまっているのです。
(※)本来真逆の東洋医学・生薬を、まるで「西洋化学療法の局所対処療法」の薬のように、売る漢方薬剤師、ネットのサプリ販売者の何と多いことか。十年後には大問題になるように思えてなりません。
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加えて今回、数回に渡ってお話したいテーマは、「第一段階:Tri-Doshaの気質」についてと、それらと「第二段階:精神構造」と「第三段階:脳機能」の関係です。第三段階に至れば、それは即「身体」に大きく影響することは誰でも理解出来ると思いますが、第三段階が、第二段階、第一段階と積み上げられ移行していることを考える人が何故か極めて少ない(ほとんど居ない)のです。

つまり「気質が精神構造(指向性)を作り、それが脳機能に大きな制限を与えている(偏らせている)」ということです。そして、これは、「脳機能の偏った動きが、精神構造を逆に制限し支配し、それが気質を固定化させている」という「悪循環」を作り出し、状態はどんどん悪くなって行きます。
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故に、前述した「三つのドーシャの幹・太枝・枝葉」の役割・効果効能・力の理解とともに、それらをより正しくコントロールさせるためには、まず「気質~精神~脳機能」を正常化させる必要が極めて重要なのです。この為に唯一の、そして最も効果的な手段が「思考力の強化」です。何故ならば、「論理領域の思考」は、ほとんどの人がほぼ全く使っていないからです。つまり前述の「悪循環」の影響をほとんど受けていないということです。
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昭和の中頃まで、日本の小学校で歌われていた「バケツの穴」という、元はアメリカ民謡がありますが、「ナイフが切れない→研ぎなさい!→砥石に水が欲しい→バケツで汲みなさい!→バケツに穴が開いている→藁で塞ぎなさい!→藁は何で切ろうか?→ナイフで切りなさい!→ナイフが切れないんだけど→研ぎなさい!」という歌ですが、正に現代人の多くが、この「感情領域の思考による循環型思考」にハマっています。しかし、「(使わずにいた)論理思考」は、「ああ!なんだ!納屋にもうひとつ新品のバケツと新品のナイフが在ったじゃないか!」の世界なのです。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。
本連載は、インドスピリチュアル・グッズweb-Shopのシーターラーマさんのご好意で長年連載を続けさせていただいております。皆様の応援も大きな支えです。少しでもお役に立てる内容がございましたら、ぜひ「いいね」の応援を下さいますよう。よろしくお願い致します。

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若林は現在、福岡及び近郊の方の「通いレッスン」の他に、全国の民族音楽・民族楽器ファンの方々にSkypeでのレッスンを実施しています。体験の為に、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」も行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui(毎月の実施日時も掲載しています)」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。
また、本連載コラムのテーマでも重要な、「現代人に大きく欠落している論理性」につきましては、論理力育成Mail-Lessonをご教授しています。
心と体の健康(本来のバランス力を取り戻す)の為に欠かせない。脳機能を本来の姿・力に戻すための講座です。ヨガ、瞑想、アーユルヴェーダ音楽療法の全てにとっても、極めて重要な基本です。論理力を高めると、世界観さえ変わって(むしろ神秘・スピリチュアルなことが、新鮮に敏感に深く理解出来るようになります)来ます。
更に、貴方の論理力を簡単にチェックする「論理力・無料Mail診断」を受け付けています。
お気軽にメールか、Facebookメッセージでお尋ね下さい。
chametabla@yahoo.co.jp 若林

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また、Hindu Chant講座Vol.1 https://youtu.be/_UPLRjMFFpo 「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」https://youtu.be/wWmYiPbgCzg をはじめとした多くの「紹介動画」をYou-Tubeにアップしております。是非ご参考にして下さいませ。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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スタッフ日記:フード・サービス・プログラムのご報告(モンスーン前)

フード・サービス・プログラムにご支援をいただいている皆様、本当にありがとうございます。
最近の写真が届きましたので、ご報告をさせていただきます。

インドの各地では、気温が45度を超える地域も出るほどの酷暑期ともいわれる暑い夏が続いています。
病院で食事の配給を行うケーララ州は、35度前後の気温となりますが、湿気が多く、体にこたえる暑さです。
現在は、毎日変わることなく、150食から200食分の食事の配給が続いています。

この酷暑期の間は、水不足が深刻になる時でもあります。
病院の食事を作るためには、食材を洗ったり、お粥を調理するための清潔な水以外にも、複数の大きな鍋や調理器具を洗う水が多く必要です。
食事はNGOの施設で作り病院へと運びますが、施設で水が使えない時は、NGOの代表宅の裏庭で調理をすることもあります。

そんな中、現在は時折雷雨が来るようになりました。
ケーララ州は、インドでもっとも早くモンスーンが始まる地域でもあり、早ければ5月の下旬に始まることもあります。
モンスーンが始まる前の、水不足が深刻になるこの時の雷雨は、恵みの雨となります。

一方で、地域では清掃の取り組みが急務となっています。
モンスーンの時期には、プラスチックの廃棄物などが排水溝につまり、水たまりができやすくなります。
大量の蚊が発生し、伝染病が蔓延することも少なくありません。
モンスーンの時期は、病院での食事の配給量が年間を通じてもっとも多くなる時でもあります。

複雑化する問題を多方面から見つめ、より良い社会のために、一人ひとりができることを心に留めながら活動をすることを、NGOでも心がけています。
今年のモンスーンを少しでも穏やかに過ごすことができるよう願いながら、今後の活動を進めていきたいと思います。

いつも温かいご支援いただき、心より御礼申し上げます。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

(スタッフ:ひるま)

ナラシンハ(ヌリシンハ)・ジャヤンティ2019

2019年5月17日はナラシンハ(ヌリシンハ)・ジャヤンティです。

ナラシンハ(ヌリシンハ)・ジャヤンティはヴィシュヌ神の4番目の化身であるナラシンハ(ヌリシンハ)の降誕祭として祝福が執り行われる時です。ナラシンハは一説に、ヴァイシャーカ月(4月~5月)の新月から14日目に降誕したと伝えられます。

ナラシンハは、ヴィシュヌ神の4番目の化身として崇められます。
人獅子の姿をしたナラシンハは、魔王ヒラニヤカシプを倒すために生まれた、ヴィシュヌ神の最も強い神格と信じられます。
帰依者に最高の保護を与えると信じられるこのナラシンハの誕生には、一説に以下のような神話が伝えられます。

魔王ヒラニヤカシプは、苦行の賜物として、神、魔神、人間、動物、そしていかなる武器にも殺されることのない肉体を手にし、世界を恐怖に陥れていました。
ヒラニヤカシプを倒すことができるのは、昼でも夜でもない時、そして、外でも内でもない場所に限られます。
もはや、ヒラニヤカシプを倒すことは不可能のように見えました。

そんなヒラニヤカシプには、プラフラーダという息子がいました。
ヴィシュヌ神を熱心に礼拝するプラフラーダは、ヒラニヤカシプにとって疎ましい存在です。
ある時、ヴィシュヌ神の遍在性を説くプラフラーダに腹を立てたヒラニヤカシプは、その事実を証明させるため、宮殿の柱からヴィシュヌ神を出すよう要求します。
その悪態に見かねたヴィシュヌ神は、神、魔神、人間、動物でもない人獅子ナラシンハとなって、柱から姿をあらわします。

人獅子となってあらわれたヴィシュヌ神は、ヒラニヤカシプを外でも内でもない場所に連れ出しました。
そして、どんな武器でもないその爪で手にかけると、不可能と思われたヒラニヤカシプを容易く倒したといわれます。
それは、昼でも夜でもない、明け方のことであったと伝えられます。

ナラシンハが生まれた目的は、ヒラニヤカシプからプラフラーダを守り、神が至る所に存在しているというプラフラーダの言葉を真実にするためでした。
そんなナラシンハの姿は、この世界に不可能はないということ、そして、どんな時でも神は真の帰依者を救いに来るということを伝えています。

ヨーガ・スートラ第4章第13節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


ते व्यक्तसूक्ष्मा गुणात्मानः॥१३॥
Te vyaktasūkṣmā guṇātmānaḥ||13||
テー ヴィヤクタスークシュマー グナートマーナハ
顕現の状態であれ、精妙な状態であれ、それらはグナの性質である。

簡単な解説:前節において、過去と未来はそれ自体としては実在しているが、時間的な位置に違いがあるため、過去、現在、未来という状況によりその特性が生じると説かれました。本節では、それらの特性は、現在に顕現している状態であれ、顕現していない過去未来の状態であれ、すべて3つのグナを実体としていると説かれます。