2019年のシヴァラートリー

シヴァラートリーとは「シヴァの夜(ラートリー)または吉兆の夜」という意味です。シヴァラートリーは、毎月、満月から13日夜/14日目にあたります。しかし、特にパールグナ月(マーガ月となる地域もあります。2月~3月)のシヴァラートリーは、マハー・シヴァラートリーと呼ばれ、一年の内でもっとも神聖な夜として知られています。

この夜、シヴァ神の信者たちは、断食をし、睡眠を絶ち霊性修行に励みます。シヴァラートリーは、月が満月から新月へと変化する境目です。充ち満ちた欲望(月)がやがて消滅していくように、満月から新月へと変化するシヴァラートリーの日に霊性修行に励むことで、欲望を滅し、解脱へと至る精神力が獲得できると信じられてきました。

シヴァラートリーの日は、シヴァ神を崇めるもっとも神聖な日です。この日には、シヴァリンガムを崇めたり、あるいは、シヴァ神の御名やルドラムを唱えたり、バジャンを歌ったり、瞑想を行うことがすすめられています。またルドラークシャを身に着けるのにもっとも適した日であるとも言われています。シヴァ・パンチャクシャラ・マントラ(オーム・ナマ・シヴァーヤ)も、この日に唱えることで、大きな功徳をもたらすといわれます。

2019年のシヴァラートリーをご紹介いたします。また、2019年のマハー・シヴァラートリーは、3月4日となります。シヴァ神を礼拝する吉兆な月曜日に重なります。

1月4日(金)
2月3日(日)
3月4日(月) ※マハー・シヴァラートリー
4月3日(水)
5月3日(金)
6月1日(土)
7月1日(月)
7月30日(火)
8月29日(木)
9月27日(金)
10月26日(土)
11月25日(月)
12月24日(火)

参照:2019 Shivaratri Dates

2019年のエーカーダシー

大自然の移り変わりと密接に結びついたインドの暦の中に、エーカーダシーという吉日があります。
月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。

インドの暦は、こうした月のサイクルに深く結びついています。
その月は人々の心に関連すると信じられ、この月のサイクルに従った行いは、自身の心を整えるより良い機会であると、さまざまな行いが月の様相に通じて古くから伝えられてきました。
特に、この満月・新月からの11日目は、月の満ち欠けから生じる引力の影響から、感覚器官や心の働きが落ち着き、体に感じる空腹の影響も少なく、断食も行いやすいものであると伝えられます。
また、11が意味するものは、5つの感覚、器官、そして心を合わせた11のものであり、このエーカーダシーにおいては、それらを統制することが重要な行いとなります。

特に断食は、絶え間なく働き続けていた体のあらゆる部分を休ませ、忙しなくあちこちに飛び散っていた意識を落ち着かせます。
体の浄化に加え、欲から切り離されることで心の雑念までもが洗い流され、神が宿る場所としての肉体、精神が生み出されていきます。

困難を伴う感覚の統制も、瞑想やジャパなどを通じ崇高者に心を定めることで容易なものとなります。
エーカーダシーを通じ瞑想するヴィシュヌ神の本質は、時の流れにかかわらず、宇宙が生成する以前に存在し、そして消滅した後も存在し続けると言われます。
エーカーダシーは、万物の中にあまねく浸透する存在と一つとなる機会でもあります。

月の満ち欠けのそれぞれ11日目にあたるこのエーカーダシーは、年間でおよそ24回訪れます。
2019年のエーカーダシーについてご紹介いたします。

1月1日(火) サファラ・エーカーダシー
1月17日(木) パウシャ・プトラダー・エーカーダシー
1月31日(木) シャッティラー・エーカーダシー
2月16日(土) ジャヤー・エーカーダシー、ビーシュマ・エーカーダシー
3月2日(土) ヴィジャヤー・エーカーダシー
3月17日(日) アーマラキー・エーカーダシー
4月1日(月) パーパモーチャニー・エーカーダシー
4月15日(月) カーマダー・エーカーダシー
4月30日(火) ヴァルティニー・エーカーダシー
5月15日(水) モーヒニー・エーカーダシー
5月30日(木) アパラー・エーカーダシー
6月13日(木) ニルジャラ・エーカーダシー
6月29日(土) ヨーギニー・エーカーダシー
7月12日(金) デーヴァシャヤニー・エーカーダシー
7月28日(日) カーミカー・エーカーダシー
8月11日(日) シュラヴァナ・プトラダー・エーカーダシー
8月27日(火) アジャー・エーカーダシー
9月9日(月) パリヴァルティニー・エーカーダシー、パールシュヴァ・エーカーダシー
9月25日(水) インディラー・エーカーダシー
10月9日(水) パーパーンクシャー・エーカーダシー
10月24日(木) ラーマ・エーカーダシー
11月8日(金) プラボーディニー・エーカーダシー
11月23日(土) ウトパンナ・エーカーダシー
12月8日(日) モークシャダー・エーカーダシー
12月22日(日) サファラ・エーカーダシー

※それぞれのエーカーダシーの名称、日にちは地域や慣習によって異なる場合があります。

参照:2019 Ekadashi fasting days

ヨーガ・スートラ第3章第48節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


ततो मनोजवित्वं विकरणभावः प्रधानजयश्च॥४८॥
Tato manojavitvaṁ vikaraṇabhāvaḥ pradhānajayaśca||48||
タトー マノージャヴィトヴァン ヴィカラナバーヴァハ プラダーナジャヤシュチャ
その結果、心の迅速性、感官なしに知覚する能力、世界の根元を支配する力があらわれる。

簡単な解説:前節において、諸感覚の把握作用、その本質、それらに結びつく我想、それに内在する三つのグナ、それの合目的性などへの綜制によって感覚器官の支配が可能になると説かれました。本節では、その結果、心のような迅速性、肉体的な感官を使わずに知覚し得る能力を獲得し、世界の根元を支配すると説かれます。

163、アーユルヴェーダ音楽療法入門25(心から発する-その2-)

1)論理思考は気分感情の状態を見て開門する。
当連載コラムの前々回(Vol.161)と、前回(Vol.162)で、「心を守る城壁:論理的思考領域」は、外部からの情報(雑音・雑語・刺激)を分別して『開門』し、「(より内面に在る)心(の領域)に必要かつ有効的なものだけを」を届けると共に、「心からの発信」に関しては「(外部の)届け先と梱包(音や言葉の使い分け)」を吟味してから『開門』する、と説きました。
例外的に「相手が誰であれ、選ばずに発信・述べねばならないこと」もある、と述べました。
しかし、むしろこれこそは「論理的思考」が極めて慎重かつ吟味した「理念・信念」に基づくものに他なりません。

続編の今回は、このテーマを「外因反応ではない、内発・自発的な心からの発信」という意味に集中しつつ、「論理的思考力」の衰えが、どのような展開を作り出すか?についてご説明します。
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2)自閉系を含む四つの円図の説明
今回の図もまた、かつてご紹介したものですが、
上段右の円図は、「人間の(健康的な)本来の精神構造図」で、左が「現代人の病んだ精神構造図」です。
左の図では、赤い矢印で示した「外部からの刺激」に対して、反応することに辟易としながらも、休む間もなく。休んだとしても「現実逃避的な『ストレス解消』や『癒され』ばかり」な結果「論理思考領域の城壁」が崩れ、「心の領域」迄もが「気分感情と同様の反応領域」に変質してしまっている状態を示しています。
その結果、このような状態の人間は「本当の自分の意思・感情は何なのだ?」「自らこみ上げて来る想いはあるのか?」と日々悩むことでしょう。そして、遂には、その「悩むこと」からも逃避し、『考えないように』して、さらに「消え掛かった思考回路の余力・片鱗」さえも崩壊させてしまうのです。

無論、「本来の健康な精神構造」でも、「何らかの刺激」によって「内発する」ことはあります。
例えば「お腹が空いた」「眠い」など、個人の内面から発したとしても、それは「心・思考・気分感情」にとっては「与えられた刺激に対する反応」に過ぎません。
この意味では「全く反応ではない発信・発現は存在し得ない」とも言えますが、
「病んだ精神構造」と「本来の(健康な)精神構造」とでは、「反応の意味・種類」と「自主性・自発性・ヴィジョン・筋道・脈絡の有無」が全く異なります。
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一方、図の下段は、「別な意味・次元で問題のある精神構造」です。
下段左図は、かつて「低機能自閉症」と呼ばれた人格の精神構造で、何らかの医学(病理学)的障害によって、「論理的思考領域」の機能不全はもとより、「気分感情領域」に於ける理性、感情制御もままならない場合で、同時に言語の理解も厳しいために「低機能」と呼ばれた障害です。
下段右図は、かつて「高機能自閉症」と呼ばれた人格の精神構造で、低機能に対し「言葉がある程度理解出来る」他、何らかの限られた分野に於いて、むしろ常人を上回る才能を示したりする人格です。エジソン、アインシュタインや芸術家に多く見られます。
「低機能/高機能」が「差別的」という奇妙な解釈が発展し始めた頃、後者は、「アスペルガー症候群」という呼び方に改められましたが、程なく、全てを総括して「自閉症スペクトラム(Autism Spectrum Disorder:ASD)」や「発達障害(Developmental disability:DD)」などに改められました。
更に「注意欠陥・多動性障害(Attention-deficit hyperactivity disorder:ADHD)」などの呼称も加わり、昨今の「人権問題・差別問題・社会的包摂観念・障害者福祉」の観念の改善・浸透を受けて、一般への紹介や理解もかなり発展しています。
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自閉系が世界を救う?
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自閉系についての考察は、次回により詳しく述べますが、ここでは本旨の「音楽や言葉の発信について」おおよその結論を述べます。

結論から言えば、「自閉系には大きな問題が内在されているが、大きな可能性がある」「自閉系は、社会の大半を占める『非自閉系の病んだ(ほとんどの)人間』を救う可能性さえある。ひいては、それは『社会を救う』ことに他ならない」ということです。

まず、四つの図を見ていただければ明白ですが、
上段左の『世の中の圧倒的多数である非自閉系の病んだ(ほとんどの)人間』は、主に「外部からの情報・刺激」に疲弊し切っており、「アパシー症候群」や「うつ病」もその発生率を上げています。私は、(まだ裏づけが不充分ですが)「アレルギー」「癌」「認知症」もこの関連から発症率が高まっているとさえ考えています。
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「自閉系」も「本来の健康な人間」も、もちろん「何らかの情報・刺激」によって、その「内発感情・思考」を作り出しますが、「現代の多くの病んだ人間」との大きな違いは、「その自主性度合い」です。

その結果、
「自閉系」と「非自閉系」とでは、「発信された『音』や『言葉』には、大きな違いが生じる」ことは間違いがないことです。

その根拠のひとつに「反応思考が主な非自閉系」には、決定的に「時系列の整理が出来ない」「自分の行動の根拠を認識出来ない」「自らの行動・思考に脈絡がない」という大問題があります。幼稚な例えで言えば、「民法のTVをだらだらと眺め、次々に脈絡なく飛び込んで来るCMに対し、『好きだ・面白い・楽しい・興味ない・嫌だ』を認識する生活」に慣れ切ったようなものです。

次々に繰り出される「TV-CM」同士には、当然「脈絡」がありません。
当然、より根源的な「幹」や「太枝」を想わせる、思考させ、気づかせ、学ばせる要素は皆無に等しいといえます。当然、「地に足が着いた」とか「大地に根を張った」などからも遥かに乖離した「感覚世界・印象世界」です。

それどころか「TV-CM(ネットの様々な広告もしかり)」は,個々個人が「アイデンティティーを認識している立ち位置(ひとつの枝葉)からさえも遊離した世界」を、次々に見せられる訳です。

「自分の枝葉にしがみつきながらも」「視覚聴覚は、とんでもなく乖離した様々な枝葉を見せられる日常」なのです。しかもそれらには、一切の「脈絡・根拠」もなければ「関連・リンク」さえもありません。
にも拘わらず、「アンテナを張る」などという全く逆のことを推奨してしまえば、現代人の「脳機能・精神構造」は、痛めつけられおかしくなって行くばかりです。

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そのような日常に疲弊し・慣れさせられた人間が発する「音や言葉」に、深みが在り得るでしょうか?

明白なことです。

「いや俺様は、『発信』に関しては、深みがあるぞ!」とおっしゃる人が居たならば、
そこには、極めて「論理的な根拠」がある筈です。
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一方、自閉系の人々の中に、常人にはないすばらしい芸術・文化の才能を持っていることは昔から良く知られています。

その他に、近年では積極的に「発達障害者」を雇用し、常人にはない「集中力・発想」を活かす企業が増えていることも頻繁に報道されています。

それは、
「きっかけ」は、「外部からの刺激・情報」があったとしても、「発信する動機」は、内面から湧き上がったものであるからに他なりません。

ただ、問題は、「深みのない音や言葉」を発することに慣れた「非自閉系」の人々に、そもそもの「深み」が感じられない人、本能的に分からない人、求めない人、も急増し始めたことです。

「結果と現象が重視される企業(や職場)」の場合、上記のような試みが評価されつつあるとしても、日常のプライベートな価値観に於いて「良さが分からない」のでは、「自閉系の人々の才能」が、受け入れられ、選ばれ、喜ばれ、求められる可能性は、一気に激減すると考えられる問題があります。

加えて、既に「プロを自認する、非自閉系音楽家・文筆家・評論家」には、恣意的から無意識までグラデーションで差を持ちながら、「自閉系の才能」を、黙殺するのみならず、不当な過小評価・巧みな取り込みによって利己に利用し、ひいては根絶やしにしてしまおうという人間も存在します。その動機・理由は様々です。
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「好き嫌い」の問題や、「自然食や添加物云々」を抜きにして、
ファミレスなどに行ってみれば、良く分かることでしょう。

「論理思考領域」を鍛え、日々活用し、「気分感情領域の思考」と即座にスウィッチを切り替えられる人は、ファミレスの周囲の会話に全く邪魔させず「自分の世界」を保つことが出来ます。

が、そのような人でも、スウィッチを「気分感情領域」に入れれば、周囲の会話は辟易とするほど不条理に飛び込んで来ます。故に、他方の「論理思考領域」を痛めてしまった人の場合は、さぞ「落ち着かなく不愉快な気分」でありましょう。

そのような場でのテーブルごとの「仲間・グループ」の会話に、「知人、職場の同僚、上司などの悪口」のなんと多いことか。
これなどは、典型的な「込み上げる思い(誰かに言わずに居られない)」に他なりませんが、「発信源」が「気分感情領域」なのです。
「論理的思考領域からの込み上がって来る想い」があるとしたら、時勢や状況・環境に拘わらず、長年抱いて来た「文化・芸術への想い」や「人生論」「人間論」などの類でしょう。
稀に「処世術」のような話を、あたかも「人生論・社会論」のごとく熱弁している人も居ますが、殆どが「個人的経験論」の域を出ないことで「論理的思考領域」からの発信ではないことが分かります。
「経験論」に普遍性(置き換え・応用性)が見出されない限り、そこには論理性は希薄だからです。

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何時も最後迄ご高読をありがとうございます。

福岡市南区の自宅別棟楽器倉庫の教室では、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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スタッフ日記:フード・サービス・プログラムのご報告(最近の状況)

フード・サービス・プログラムにご支援をいただいている皆様、本当にありがとうございます。
最近の写真が届きましたので、ご報告をさせていただきます。

過去100年間で最悪の被害が報告された豪雨災害から、4ヶ月が経とうとしています。
まだ復興作業は続いていますが、災害の影響はだいぶ落ち着き、人々は日常を取り戻しつつあります。
10月以降続いたセカンドモンスーンも終わり、2月から始まる長く暑い夏を迎えるまで、しばらくは穏やかな気候が続きます。

天候が落ち着くと、病にかかる人も少なくなり、病院は一年の中でも訪れる人が少なくなる時です。
特に豪雨災害後はこれまでにないほどの人で溢れていたため、現在はとても落ち着いた時を迎えています。
それでも、毎日150食〜200食分の食事を準備しています。
食事量は、前日の入院状況や、日々の病院の稼働状況によって判断しているため、足りなくなることや、無駄になることはほとんどありません。

日没が早くなった現在は、配給が行われる17時半頃にはあたりが暗くなるようになりました。
しかし、キリスト教徒が多くクリスマスが盛大に祝福されるケーララ州では、アドベントの期間を迎え、周囲には小さな光とともに喜びを見る機会が多くなります。
病院での配給の際にも、毎年、一人ひとりにクリスマスケーキを配りますが、苦難に満ちた今年こそ、一人でも多くの人へ喜びが行き渡るよう、準備を進めています。
すべてが流され、生きる希望すら見失った人々も、皆様の温かいご支援を通じ、日々に明るい喜びを見出すことができることと思います。

皆様の温かいご支援に心より感謝申し上げます。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

(スタッフ:ひるま)

太陽の愛

凛とした空気の中に、透き通るような自然の美しさを見る季節になりました。
しかし、心身は太陽の温かな光を欲してなりません。
そんな時、インドでは、太陽を崇めるマカラ・サンクラーンティが祝福されます。

日本の冬至にあたるマカラ・サンクラーンティでは、私たちに限りのない恵みを与える太陽がスーリヤ神として崇められます。
ヒンドゥー教においては、至要たる存在として崇められてきたスーリヤ神。
そんなスーリヤ神の妻となったのが、創造神であるヴィシュヴァカルマンの娘、サンジュニャーでした。

サンジュニャーは、万物を育むスーリヤ神を深く愛する誠実な妻となります。
しかし、スーリヤ神の放つ熱に耐えられなくなると、自らの影を残してスーリヤ神のもとを去ってしまいます。
その後、サンジュニャーは雌馬の姿となって、この地を彷徨ったという神話が伝わります。

そんなサンジュニャーの姿は、この地で生きる私たちの姿を映し出していると教えられたことがありました。
太陽という最高の光から遠ざかり、この地を彷徨ったサンジュニャーは、まるで、神から遠ざかり、この物質世界で欲望に駆られている私たちのようです。

変化を求め欲望に突き動かされる私たちにとって、神という不変の真実を見ることは、時に耐えられないほどの苦痛を伴います。
そうして私たちは、真実から遠ざかり、光を失い、無知という暗闇の中でもがき続けなければなりません。
事実、スーリヤ神のもとを去ったサンジュニャーには、多くの苦難が待ち受けていました。

しかし、後にスーリヤ神はサンジュニャーを見つけ出すと、彼女を連れ戻し、再び夫婦となります。
太陽が万物を照らし、限りのない恵みを注ぎ続けるように、神の恩寵は常に私たちを取り巻いています。
私たちの霊性修行とは、その光の中で生き続けることができるかということを意味しているのかもしれません。
そうして真実を理解する時、私たちは不変の幸福の中で生きることができるはずです。
冬から春へ、闇から光へと変わるマカラ・サンクラーンティにおいて、太陽の光をしっかりと見つめたいと感じます。

(文章:ひるま)

※スーリヤ神とサンジュニャーにまつわる神話は、聖典によってさまざまに異なります。

マカラ・サンクラーンティ2019

2019年1月15日はマカラ・サンクラーンティです。マカラ・サンクラーンティは、春の到来を告げる収穫祭であり、インドに限らず、東南アジアの国々でもお祝いされる盛大なお祭りです。

マカラとは「山羊座」、サンクラーンティとは「変遷」のことであり、この日より太陽が山羊座に入ることから、マカラ・サンクラーンティと呼ばれています[1]。

マカラ・サンクラーンティは日本でいう冬至にあたり、昼がもっとも短い日であり、この日から太陽は北方への回帰を始めます(ウッタラーヤナ)。
緯度の違いから、日本では例年12月22日頃がそれにあたります。

インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」では、ウッタラーヤナについて次のように述べられています[2]。
「火、光明、昼、白月、太陽が北に向かう六ヶ月。そこにおいて、逝去したブラフマンを知る人々はブラフマンに達する。(8.24)」

インドでは太古よりウッタラーヤナの期間中に肉体を去ることは、成就に至るために重要であると考えられてきました。
そのためマハーバーラタの英雄として知られるビーシュマは、この吉兆の時に死ぬことを望み、ウッタラーヤナが訪れるまで、矢でできた臥床で死を待ったといわれます。

マカラ・サンクラーンティの吉日では、インド各地において、朝早くから沐浴をし、祈りを捧げ、太陽の恵みに感謝し、豊作を祈願します。
また精神的な恵みを得るためにも重要な吉日であると考えられています。

プラーナ文献では、マカラ・サンクラーンティから1ヶ月間、太陽神スーリヤが息子である土星神シャニの家を訪れると述べています。
山羊座は、インド占星術における土星神シャニが支配する星座です。
父スーリヤとその息子シャニは、いつもはあまり仲が良くありませんが(敵対星座)、父スーリヤが1ヶ月間、息子シャニの家に来ることにより、お互いの関係を確かめ合います。
これは占星術的には、一般の父と息子の関係にとっても重要な意味があるととらえられています。
息子にとっては、父を快く受け入れることで、よりよい家族関係を築くのに重要な時期であるといわれます[3]。

また太陽が北へ向かう6ヶ月の間(冬至から夏至の間)、ここから神々の昼が始まるとして、多くの祭事はこの期間を中心に行われることになります。
太陽が南へ向かう6ヶ月の間(夏至から冬至の間)は、神々の夜にあたる時期と考えられ、ギーターでは、「そこにおいて、逝去したヨーギンは月光に達してから回帰する。(8.25)」と、忌み嫌われている時期であることが窺えます。

しかし、ガンディーが「無執着ヨーガ」の中で、「信愛に従い、ひたすら無執着の行為を行い、真理を見た者は、いつ死のうとも解脱を勝ち得る。」と述べているように[4]、真理とともに生きている人々にとっては、毎日がマカラ・サンクラーンティのような吉日であるといえるのかもしれませんね。

太陽の恵みを感じやすくなるこの時期、皆さまに大きな恵みがありますように。

Reference
[1] Sankranthi, Wikipedia, http://en.wikipedia.org/wiki/Makar_Sankranti
[2] 上村勝彦訳,バガヴァッド・ギーター,岩波文庫,1992
[3] Makar Sankranti, http://www.rudraksha-ratna.com/news_letter/makarsankranti-mailer-2015.html
[4] 赤松明彦著,『バガヴァッド・ギーター』神に人の苦悩は理解できるのか?,岩波書店,2008

2019年のサンカタハラ・チャトゥルティー

月の満ち欠けのそれぞれ4日目はチャトゥルティーと呼ばれ、ガネーシャ神に捧げられる吉兆な日として崇められます。満月からの4日目はサンカタハラ・チャトゥルティーと呼ばれ、新月からの4日目はヴィナーヤカ・チャトゥルティーと呼ばれます。

サンカタハラの「サンカタ」は「困難」、「ハラ」は「取り除く」を意味します。このサンカタハラ・チャトゥルティーにおいては、ガネーシャ神のマントラを唱えたり、祈りを捧げたり、断食を行うことが勧められます。これらのヴラタ(戒行)によって、困難を抱える人々からは障害が取り除かれ、幸せや豊かさがもたらされると信じられています。

2019年のサンカタハラ・チャトゥルティーをご紹介いたします。特に、ガネーシャ神に捧げられる火曜日にこのチャトゥルティーが重なることはとりわけ吉兆な時とされ、それはアンガーリカー・サンカシュティ(サンカタハラ)・チャトゥルティーと呼ばれます。2019年はアンガーリカー・サンカシュティ(サンカタハラ)・チャトゥルティーは生じません。

1月24日(木)
2月22日(金)
3月24日(日)
4月22日(月)
5月22日(水)
6月20日(木)
7月20日(土)
8月19日(月)
9月18日(水)
10月17日(木)
11月16日(土)
12月15日(日)

参照:Sankashti Chaturthi 2019

スタッフ日記:第35回アンナダーナ終了しました!

第35回アンナダーナにお気持ちを寄せていただきました皆さま、本当にありがとうございます。今回は病院にて、滞りなく終えることができました。

病院では、10回目の実施となりました。
12月に入り、北インドに位置する首都のデリーも気温がだいぶ下がっています。
アンナダーナを実施した土曜日の朝には、7.6℃まで気温が下がりました。
こうして冷え込みが厳しくなると、北インドの大都市では大気汚染が深刻となります。
特に気温が下がる早朝は、有害物質が停滞するために、前が見えないほどの靄がかかることも多くあります。
さまざまな環境対策が実施されるようになりましたが、大きな効果は見えていません。

病院でのアンナダーナは、そんな大気汚染の深刻なデリーの路上で行われます。
病院へは、広大なインドの各地から訪れる貧しい人も多く、中には路上で寝泊りをしている人もいます。
また、病院の周辺では常にアンナダーナが行われているため、食事を得るために、路上で生活をしている多くの人々が集まります。
デリーでは、フライオーバーの下などで、住居のないたくさんの貧しい人々が生活をし、そこには小さな子どもの姿も多くあります。

そのため、病院の周辺では複数のアンナダーナが行われていますが、配膳の準備を始めると、あっという間に大行列となります。
それでも、静かに並んでくださる方が多く、混乱するようなことはありません。
今回は、準備も滞りなく進み、11時前には病院の周辺に到着し、すぐに配り始めることができました。
列が途切れることなく、2時間半ほどで準備した1000食分以上の食事を配り終えることができました。

インドの大都市では、深刻な大気汚染の中で生活することを余儀なくされ、病にかかる人も増えています。
自然も人も苦しむ姿が見られる今、万物が幸せに生きることができるように、私たちは消費者としての意識や行動の重要さを考える必要があります。
自然を崇め、調和のもとで生きてきた人々の生活を見習いながら、自然にやさしい取り組みを実践したいと感じます。

次回は、寺院でのアンナダーナを予定しています。次回も温かいご協力のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

アンナダーナを通じ、皆様にも大きな恩寵がありますように。

(スタッフ:ひるま)

ヨーガ・スートラ第3章第47節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


ग्रहणस्वरूपास्मितान्वयार्थवत्त्वसंयमादिन्द्रियजयः॥४७॥
Grahaṇasvarūpāsmitānvayārthavattvasaṁyamādindriyajayaḥ||47||
グラハナスヴァルーパースミターンヴァヤールタヴァットヴァサンヤマーディンドリヤジャヤハ
把握作用、本質、我想、関係性、合目的性への綜制により、感覚器官を支配する。

簡単な解説:前節において、身体の完全さとは、美しい形、魅力、強さ、金剛の堅固さであると説かれました。本節では、感覚器官の支配について説かれ、それは、諸感覚の把握作用、その本質、それらに結びつく我想、それに内在する三つのグナ、それの合目的性などへの綜制によって可能になると説かれます。