インド縦断ツアー2

ヒンドゥー教徒しか入れない、と言われていたプラティヤンギラー女神の寺院ですが、何も問題なく入れていただけました。寺院の門をくぐると全く気が変わります。
しかも、そのエネルギーは、今まで体験したどの神格とも違う、聖なる南の島の楽園のような感じを受けました。
寺院の入り口には、ヴァーラーヒー・デーヴィーという猪の顔をした女神が祀られていて、必ずこの女神を礼拝しなければならないようでした。しかし、僧侶がマントラを唱えだすと突然黒い犬が現れ、まるでヒンドゥー教徒のように時計回りに3度回り、私の足元に伏す、という奇跡的なことが起こり、この寺院が特別な波動に包まれていることを感じました。
寺院内には、ご本尊のプラティヤンギラー女神より遥かに大きく3階建ての建物ほどあるカーリー女神像や小ぶりなガーヤトリー女神像など、たくさんの種類のメジャーな神々が祀られていました。
中でもカール・サルプ・ドーシャに関する惑星や蛇の神々が目立ち、この女神が特にそういった方面の御利益に卓効のある神様だということを感じさせられました。
ここはプラティヤンギラー女神を中心に据えた神々の総合寺院なのでしょう。
寺院内のショップで聖なるアイテムを購入すると、ヴァーラーヒー・デーヴィーに関するものは店員が僧侶に頼み、その場で女神像に持たせるなどして入魂してくれますが、プラティヤンギラー女神に関するものは入魂などはしてくれませんでした。
ヤントラ類は、あらかじめ祈られたものだとは思いますが、現地ガイドがあらかじめ言っていたようにもしかしたらこの女神への敷居はかなり高く、本来はご縁を結ぶのは簡単ではない神様なのかもしれません。

写真:寺院内で売られていたラミネート加工された素朴なヤントラと、僧侶が入魂してくれた素朴なペンダント。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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クールマ・ジャヤンティ2018

2018年4月30日は仏陀の降誕祭が祝福される一方で、クールマ・ジャヤンティが祝福される慣習があります(29日に祝福される地域もあります)。

クールマ・ジャヤンティは、ヴィシュヌ神の2番目の化身であり亀神として崇められるクールマ神の降誕祭にあたります。ヴィシュヌ神がこの亀の姿となった理由は、ヒンドゥー教の創造神話である乳海撹拌に秘められています。

大昔、悪魔との戦いに敗れた神々は、力を取り戻すためにアムリタを得なければなりませんでした。そして神々はヴィシュヌ神の働きかけの下、悪魔たちと協力をしながらアムリタを作り出すために乳海撹拌を行うことになります。

あらゆる薬草を海へと投入し、マンダラ山に大蛇ヴァースキを絡ませ引っ張り合うことで海を撹拌しアムリタを生み出します。神々を助けようと働きかけるヴィシュヌ神にとって、この作業は非常に骨の折れるものでした。

マンダラ山が海に沈まぬよう、ヴィシュヌ神は大亀クールマとなりその上に山を乗せます。そして絡ませた大蛇ヴァースキを神々と悪魔引っ張り合いました。

アムリタを含め、多くの物が産出されたこの乳海撹拌において、幸運を運ぶラクシュミー女神もまた誕生し、後にヴィシュヌ神の妻となります。

悪と戦う神として化身することが多いヴィシュヌ神の姿の中で、クールマ神は他を支え救うために姿を現します。亀はヴィシュヌ神の象徴である維持や保護そのものであるとも伝えられ、妃であるラクシュミー女神と共に崇められることも多くあります。

参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Kurma

第20回グループ・ホーマ無事終了のお知らせ

第20回グループ・ホーマにお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

第20回グループ・ホーマは、4月18日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

 

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

人獅子の神の誕生

世界に危機が生じた時、特別な姿となってあらわれ、世界を救うと信じられるインドの神々。
インドでは仏陀も、ヴィシュヌ神の化身として崇められます。
そんな仏陀の降誕祭となる満月を、2018年は4月30日に迎えます。
その満月の前日は、同じくヴィシュヌ神の化身として崇められる、ナラシンハ(ヌリシンハ)の降誕祭が祝福される時です。

ナラシンハは、ヴィシュヌ神の4番目の化身として崇められます。
人獅子の姿をしたナラシンハは、魔王ヒラニヤカシプを倒すために生まれた、ヴィシュヌ神の最も強い神格と信じられます。
帰依者に最高の保護を与えると信じられるこのナラシンハの誕生には、一説に以下のような神話が伝えられます。

魔王ヒラニヤカシプは、苦行の賜物として、神、魔神、人間、動物、そしていかなる武器にも殺されることのない肉体を手にし、世界を恐怖に陥れていました。
ヒラニヤカシプを倒すことができるのは、昼でも夜でもない時、そして、外でも内でもない場所に限られます。
もはや、ヒラニヤカシプを倒すことは不可能のように見えました。

そんなヒラニヤカシプには、プラフラーダという息子がいました。
ヴィシュヌ神を熱心に礼拝するプラフラーダは、ヒラニヤカシプにとって疎ましい存在です。
ある時、ヴィシュヌ神の遍在性を説くプラフラーダに腹を立てたヒラニヤカシプは、その事実を証明させるため、宮殿の柱からヴィシュヌ神を出すよう要求します。
その悪態に見かねたヴィシュヌ神は、神、魔神、人間、動物でもない人獅子ナラシンハとなって、柱から姿をあらわします。

人獅子となってあらわれたヴィシュヌ神は、ヒラニヤカシプを外でも内でもない場所に連れ出しました。
そして、どんな武器でもないその爪で手にかけると、不可能と思われたヒラニヤカシプを容易く倒したといわれます。
それは、昼でも夜でもない、明け方のことであったと伝えられます。

ナラシンハが生まれた目的は、ヒラニヤカシプからプラフラーダを守り、神が至る所に存在しているというプラフラーダの言葉を真実にするためでした。
そんなナラシンハの姿は、この世界に不可能はないということ、そして、どんな時でも神は真の帰依者を救いに来るということを伝えています。

強く信じる心には、プラフラーダのように、最高の保護という恩恵と、真実の顕現が授けられるに違いありません。
さまざまな姿となってあらわれる神々の姿を通じて、その偉大な存在への理解を深めながら、豊かな日々を築いていきたいと感じます。

(文章:ひるま)

130、インド音楽の楽しみ方(3)北インド古典音楽の叙事的な展開

図は、前回ご説明したAlapのイメージです。横の直線が、基音Sadaj(サ/ドレミのド)で、ラーガの山並み(Swalup)にとっての地平線のような性格です。まず、それぞれのラーガ(旋法)は、「Sa/サをどう取るか?」によって始ります。
次にじっくりと時間を掛けて中音域前半(Purab-Ang)に在ることが多い「主音(Vadi)」を提示します。続いてSa(基音)と対峙する関係にあるPa(属音)とその周辺の音関係を提示し、一旦音域は下がります。そして、再び展開は上昇し、高音域に一気に向かいます。この時「Sam-Vad(副主音)」も関連付けられます。

再び一旦下がってSaに戻った後は、更に一気に最高域に至って、じっくりと下降しSaに戻って完結します。

これらの山並みは、殆どのラーガに共通ですが、展開する音域はラーガによって異なります。また、細かな山並みは勿論ラーガによって異なります。

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これらは、最短で15分、最長で90分程度で演唱/演奏しますが、それぞれの展開「Varna」を、良く言ってじっくりと、悪く言えば回りくどく展開することで時間は如何様にも伸び縮みするのです。しかし、図のような形(Swarup)はそうそう変わりません。長い場合は、「こまかな山並み」が増えるだけで、大きな山並みまで変わってしまうのは、「迷いの多い下手くそなアーラープ」もしくは、「分かっていないアーラープ」ということになります。けっこうプロでも少なくありません。

このような図の「細かな山並み」は、そのラーガを理解していなければ、書けませんし読めません。逆に言えば、理解している者にとっては楽譜のようでもあり、楽譜以上に全体像と為すべき流れを理解出来る、正に「ヤントラ」なのです。
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次の図は、各様式に於けるアーラープの構成です。
ドゥルパドでは、自由リズム(ビート感が無い)においてラーガの山並み(前図のアーラープの山並みとは別義)を提示した後、中途のテンポの2拍子で「ノントン」と呼ばれる第二部・展開部に進みます。「ノントン」は、意味の無いシラブル「ノン、トン、レー、リー、ノー、ノーム」などを発声することからの呼称です。ここで複雑なリズム展開や、細かな音の展開を見せ、ラーガの奥行きを聴かせます。

カヤールでは、初期のスタイルは、ドゥルパドとの差別化を計ることで特徴を強調しましたが、カヤールが定着して50年100年の後には、改めてドゥルパドの技法や構成を取材し、ドゥルパドに近い形に変化しました。その結果、「アー」で歌われる第一部の後は、ドゥルパドの「ノントン」に似たシラブルによる複雑な技法を聴かせる部分に進みます。流派によって異なりますが、ドゥルパドの「ノー、レー、リー」などの他、13世紀に興ったといわれる神秘主義歌唱法「カッワーリ」のシラブルなども転用しています。

器楽「ガット」では、自由リズムの第一部の後、中庸の2拍子の「ジョール」が第二部に置かれ、その後弦楽器はリズム弦を多用して速い4拍子の第三部「ジョール」を展開します。声楽には「ジョール」はありませんが、第二部がグラデーションで速くなることは少なくありません。このガットの三部作は、ドゥルパド器楽からの転用です。ドゥルパド歌手がヴィーナで演奏したものですが、同じ音楽家がドゥルパドを歌う時には「ジョール、ジャーラー」の区別は曖昧になります。

声楽の伴奏楽器だった弓奏楽器サーランギーの独奏や、近代になって古典音楽楽器となった竹の横笛バンスリなどのロングトーンの楽器の場合、ガットとカヤールの双方および混合のスタイルを演奏するため、しばしば「ジャーラー」のようなことを、(リズム弦が無いにも拘らず)Saの音を細かく旋律に織り交ぜて聴かせたりします。

南インド古典音楽では、「アー」で歌う第一部の後の第二部では、本曲で聴かせる歌詞の主題の言葉を用いた即興「Niraval」が歌われます。これは北インドの叙情歌の真骨頂でもあり、北インドのカヤールでも重要な技法であることから、南北インドが分裂する前の様式と説く研究者が少なくありませんが、これは中世に北インドの模倣をしたものと考えられます。同様に前述のスーフィー神秘主義歌唱「カッワーリ」から派生した「スキャット唱法:Tarana」も南インドでも流行し、今日も「Thillana」の名で重用されています。
南インド古典音楽の第二部では、この他、「Tanam/Thanam」と呼ばれるリズム・ヴァリエーションに重きを置いた様式が展開することも少なくありません。これは北インド古典音楽の器楽アーラープの第二部「ジョール」と極似しますが、リズム展開に固執する点が特徴で、南インドでは声楽でもこれを行います。南インドの第三部は近代殆ど割愛されています。しかし、三部構成であったことから、ドゥルパド器楽と同じ基礎(古代音楽/科学音楽)に根差していることが確認出来ます。
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これらについて極めて重要なテーマがふたつあります。ひとつは、アーラープの構成が二部、三部となった場合、各部それぞれで「ヤントラ」と称した図の山並みを表現するのです。つまり第一部では「自由リズムでヤントラのスワループを具現」、第二部では「中庸の2拍子でヤントラのスワループを具現」、第三部では「速い4拍子でヤントラのスワループを具現」ということです。
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更に、ドゥルパド、カヤール、ガットの本曲の前半でもこの「ヤントラのスワループの具現」を展開するのです。チョーター・カヤール、レザ・カーニー・ガットでは、早々に切り上げて、短い技巧的な即興の展開に移行しますが、バラ・カヤール、マスィート・カーニー・ガットではそれが本懐なので、ゆっくり充分に時間を掛けて、優に一時間以上演奏します。
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この部分は、「Vistar(説明/物語)」と呼ばれます。正に神格化されたラーガそのものの「神格」を物語るのです。

以前にも述べましたが、これはTV番組の「ゲスト・コーナー」のようなものです。

有名なところでは、長寿番組「徹子の部屋」や、一頃人気だった「さんまのまんま」がありますが、黒柳さんや明石屋さんまさんは、ラーガ演奏者としては自分を出し過ぎ、語り過ぎ、ご自身の感覚、価値観や持論に我田引水し過ぎで、はっきり言って失格です。

とは言え、一昔前のNHKアナウンサーのような司会者では、ゲストの人格もストーリーも無味乾燥に感じられるのもまた事実です。アーユルヴェーダ療法音楽としては、むしろそれが正しいのですが、宮廷芸術音楽~今日の古典音楽としては、無味乾燥という訳にはいきません。

(音楽療法に於ける場合は、表層的な感情・感覚・興味関心にとって「無味乾燥」であっても、「体の細胞・臓器・チャクラ・ナーディー・心・魂にとっては、むしろ「濃味湿潤」なのです。むしろ表層的にはピンと来ない類いに本物があり得ます)

その結果、現地インドでも1990年代から、黒柳さん、明石屋さんのような演奏家が大衆迎合して地位を築きました。しかし、それは、全てのラーガの「ラーガのヤントラ」が、黒柳風、明石屋風にデフォルメされたり割愛、消去されているもので、用いる音階が似ていると似たように聴こえるというほど幼稚な過ちさえ散見します。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。

https://youtu.be/wWmYiPbgCzg

4月~6月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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アクシャヤ・トリティヤのプージャー時間

2018年4月18日(水)はアクシャヤ・トリティヤの大吉日です。

アクシャヤ・トリティヤは、惑星のあらゆる悪影響を受けない時とされ、ムフールタに関係なく、吉祥な時間に満ちていると伝えられます。中でも、2018年のアクシャヤ・トリティヤの吉祥な時間をご紹介いたします。

2018年4月18日午前7時15分〜午前11時40分(東京時間)
参照:drikPanchang Akshaya Tritiya 2018

この時間帯は、プージャーを執り行ったり、価値あるものを購入するとりわけ吉祥な時間であるとされています。

※ヒンドゥー教の暦には、48分単位で刻まれるムフールタと呼ばれる時間の概念があり、このムフールタによれば、1日の中にも吉兆な時間とそうでない時間があり、特定の行為に対して適切な時刻が定められています(ムフールタについて)。

また金などの高価な品物を買うために適した時間帯は、以下の通りになります。

2018年4月18日午前7時15分〜4月19日午前4時59分(東京時間)
参照:drikPanchang Akshaya Tritiya 2018 to buy Gold

皆様にとって大きな祝福に満ちた時となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

富と幸運のためのシュリー・スークタム

インドの聖者たちによると、富は、人生の大きな目的(プルシャールタ)のひとつです。富は、人生の4つの目的であるダルマ(正義)、アルタ(富)、カーマ(願望や肉体的欲求の達成)、そしてモークシャ(成就)の2番目にあたります。

マハーラクシュミーは、富と幸運の女神です。彼女に捧げられるマントラやサンスクリットの讃歌は、人々に富と幸運をもたらすといわれています。マハーラクシュミーは、慈悲の化身であり、信奉者が望んでいる恩恵によって祝福します。

シュリー・スークタムは、ラクシュミー女神に捧げられるリグ・ヴェーダからの祈りの賛歌です。ラクシュミー女神に捧げられるこのシュリー・スークタムの詠唱は、ラクシュミーの恩恵を求める人々にとってもっとも吉兆な行いの一つと言われています。シュリー・ヤントラの前で、このシュリー・スークタムを詠唱する者は、決して貧しさに苦しむことはないと信じられます。

ラクシュミーを礼拝する上で、シュリー・スークタムに勝る賛歌はありません。シュリー・スークタムの文字、言葉、音節は、まさにラクシュミーそのものを表しています。

信頼と心を込めて詠唱されるマントラは、関係する神々を身近に引き寄せ、神々の祝福を確実にするといわれます。マントラを定期的にもちいることで、神との関係が強化され、これによって望みの恩恵を手にすることができると信じられています。

ヨーガ・スートラ第3章第14節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


शान्तोदिताव्यपदेश्यधर्मानुपाती धर्मी॥१४॥
Śāntoditāvyapadeśyadharmānupātī dharmī||14||
シャーントーディターヴャパデーシュヤダルマーヌパーティー ダルミー
休止、生起、未決定の現象に共通して存在するのは、実体である。

簡単な解説:前節において、心の止滅転変、心の三昧転変、心の専念性転変の三つについて、物質元素と感覚における現象性、時間相、様態の転変であると説かれました。本節では、実体について、休止(過去)、生起(現在)、未決定(未来)の三つの時間的位相をとって変化し、常にその現象に即して存在していると説かれます。

シーター女神を探す

神秘の国といわれるインドにおいて、人々に愛され、その心に深く刻まれた物語があります。
マハーバーラタと並び、インドの二大叙事詩の一つに数えられるラーマーヤナです。
ラーマ神の行状記が書かれたその壮大な物語には、霊性を育むための教えが諸所に秘められています。
さまざまに解釈されるその物語は、日々を幸せに生きる術を私たちに伝えています。

そんなラーマーヤナにおいて、ヒロインとして描かれるのがシーター女神です。
2018年は4月24日に、シーター女神の降誕祭として知られるシーター・ナヴァミが祝福されます。
シーター女神は一説に、ヴァイシャーカ月(4月~5月)の新月から9日目に降誕したと信じられます。

ラーマーヤナでは、献身、勇気、自己犠牲、そして、高潔さや純粋さといった特質がシーター女神を通じて映し出されます。
どれも、私たちが日々の生活において見失いがちなものばかりです。
霊性を育む教えでは、豊かな人生を生きるための必要な要素として伝えられてきました。
それらを象徴するシーター女神は、ラーマーヤナの中で悪魔ラーヴァナに誘拐されると、その物語は悪との戦いに突入します。
それはまるで、私たちが欲望という悪魔によって高潔さや純粋さを見失い、苦難に包まれることを象徴しているようです。

そんな中で、ハヌマーン神の助けを借り、シーター女神を救い出したのは、夫であるラーマ神でした。
ラーマ神とシーター女神は、相反する二つの存在のようでありながら、本来は一つとして存在しています。
精神と物質ともとらえられるその二つが結びついた究極の美しさは、私たちの前に、最終的な解脱としてあらわれます。

ラーマ神がシーター女神を探し出したように、私たちは自分自身の内で、常に高潔さや純粋さを見出す必要があります。
そうして生きる日々は、真理の実現された、究極的に美しい人生を築くに違いありません。

シーター女神の姿は、人生という壮大な歩みの中で、私たちを導く指針となるはずです。
そんな女神の降誕祭が近づこうとしている時、ラーマーヤナを開いてみるのも良いかもしれません。
そこには、生きる日々に深い気づきをもたらす多くの教えが溢れていることと思います。

(文章:ひるま)

ガンガー・サプタミー2018

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2018年4月22日はガンガー・サプタミーです。

ガンガー・サプタミーは、一部の慣習でガンジス河の生誕日として崇められる日にあたり、ヴァイシャーカ月(4月~5月)の新月から7日目と信じられています。

ガンジス河の生誕日は、このガンガー・サプタミーや、またガンガー・ダシャラーなどさまざまな日が存在します。

一般的に広く知られているガンジス河の生誕日「ガンガー・ダシャラー」は、天を流れていたガンガーが地上に降りる際、その強すぎる勢いが地上を洗い流してしまわぬように、シヴァ神がその流れを髪で受け止め、地上へと注いだ日として広く崇められています。

「ガンガー・サプタミー」には別の言い伝えがあります。シヴァ神に受け止められていたガンガーがシヴァ神より放たれた後、その勢いで、ある聖者のアシュラムを流してしまいます。聖者は怒り、ガンガーの水を全て飲み干してしまいました。神々がガンガーを解き放つよう懇願すると、聖者はガンガーを解放しました。こうしてまたガンガーが流れるようになったと言われ、この日がガンガー・サプタミーとして崇められています。

参照:2018 Ganga Saptami