スピリチュアルインド雑貨SitaRama

雑記帳

日常にある学び

日々同じように繰り返す行いの中で、時に感覚は鈍り、まるで色を欠いたような生活の単調さをふと感じる時があります。しかし、この繰り返しの反復は、ヨーガ・スートラにおいて心の働きを静めるための方法の一つとして述べられています。
アビヤーサとされるその「修習」は、心の様々な作用をなくすための努力であり、それが長きに渡り厳格に行われるならば、堅い基礎を築くであろうと伝えています。苦行や禁欲などを繰り返し、そしてそれを厳しく行うことで確かな礎が出来上がり、雑念や様々に生じる心の作用にも乱されることはなくなると言うのです。(1章12−14節)
ヨーガの行いは全てこの修習が中心にあり、そしてそれ自体が本質的なものでもあります。座法や呼吸法を繰り返し努める中で、決して揺るがない確かな中心に出くわす至福に満ちた瞬間が何度もあったことを思い出し、そしてそれをどんな瞬間にも得ることができれば、きっと永遠に至福の内に安住することが出来るのだと感じたことを覚えています。
それは、社会生活を営む私たちのこうして過ごす日常の中にも当てはまるもののように思います。ここで古くから伝わる教えに従い、心の作用と向き合う今、座法や呼吸法など特殊な行いだけでなく、日々のあらゆる行いが修行の一つ一つとなり、それが何よりも大きな学びとなることを強く感じることがあります。
食べること、眠ること、歩くこと、話すこと、思うこと。生きる上で行いを繰り返す私たちは、それら全てを気づきの獲得のための行いとすることにより、日常の中でいつしか心を静まり、どんな時も至福そのものに在れるのだろうと強く感じています。
繰り返す日常こそが、この社会を生きる私たちにとって、心を静めるための学びに他ありません。ただ、その中で必要なものがスートラに記される「努力」です。ここで日々を繰り返す中で沸き起こる、生きることへの喜び、そして熱意、それはどんな行いにも努める力を生み出していきます。
新しい年と共に、こうして一日を迎え入れられる喜びに改めて気づかされたように感じてなりません。気づきを得るための日々があること、そしてそれを繰り返しながら生きることに喜びを持って、この日々の行いを努めたいと強く感じています。
(文章:ひるま)

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