社会生活と精神性

祝祭が続く広大なインドを旅しています。これから束の間の秋と冬を迎える北インドを離れ、ココナッツの木が生い茂る南へと移動すると、まるで異国に来てしまったかのように変わる風景や食事に、この国の多様性を改めて実感したように思います。
滞在していた南インドのケーララ州はセカンド・モンスーンにあり、毎日、時折激しい大雨が降る日々が続いていました。10年を通じ訪れているこのケーララ州にも、やはり、さまざまな所に大きな変化が生じています。しかし、田舎ではいつものようにゆったりとした時間が流れ、慣れ親しんだ人々が変わらずに温かく出迎えてくれることに、心からほっとする瞬間を享受していました。
こうした人々の絆は、社会に身を置き生活を営む日々において、多くの気づきを生み出すことを実感します。特に、インフラや福祉が整わない生活の中では、この絆こそが人々の日常を支えるものの他になく、心のどこかにその存在があることは、日々の生活をより豊かに、そして生きる意味を際立たせていきます。
物が溢れ、人々との関係やその絆の重要さが薄れる今、物を欠きながらも、こうしてインドの地で人々が繋ぐ絆に、この社会を共に生きる意味を学んでいます。愛すること、時には嫌悪すること、心を持つ者の間で経験することは数知れません。しかし、それらすべてが自分自身の内を育んでいることに、多くの瞬間の中で気づかされていました。
こうして何度もここを訪れるのは、自身に喜びをもたらす、心から会いたいと願う人々がいるからです。そしてその繋がりが生み出す個と全体の喜びが、世界にシンプルな平和をもたらすのだと再び強く実感していました。
何事も、他との間に生じるものはないということ、それらは全て、自身と内なる神との間のことであることを、ここで生きる人々と自身の繋がりを見てはっきりと理解したように思います。
それぞれの人がさまざまな変化を経験しながらも、心の内には必ず、変わらずに在るものが存在しています。精神性を高める術は社会生活の中にも満ちるものであり、日々の中で、どんな瞬間においても自身の内を磨く行いを努め、内なる神性さに気づいていたいと実感しています。
(文章:ひるま)