スピリチュアルインド雑貨SitaRama

雑記帳

ガジェーンドラの解脱

ヴィシュヌ派で讃えられる聖典のバーガヴァタ・プラーナには、象の解放を意味する、ガジェーンドラ・モークシャと呼ばれる有名な神話があります。
この美しい神話にはさまざまな解釈が見られますが、それは何よりも、祈りの重要性を伝えています。
この神話にその価値ある意味を学びたいと思います。

かつて、群れを統べるガジェーンドラという名前の偉大な象がいました。
ある時、湖で水を飲んでいたガジェーンドラは、1匹のワニに足を噛まれます。
ワニを振り払おうとガジェーンドラはもがきますが、ワニは一向に離れません。
周囲にいた仲間の象はガジェーンドラを助けようとするも、ワニの力に敵わず、次々に去っていきます。

独りで戦い続けたガジェーンドラは、やがて力尽き、最後に深くヴィシュヌ神への祈りを捧げました。
その祈りを聞いたヴィシュヌ神は、ガジェーンドラのもとに駆けつけ、武器であるスダルシャナ・チャクラでワニの頭を切り離します。
ヴィシュヌ神にすべてを委ねることでワニから解放されたガジェーンドラは、その後、解脱を得たと伝えられます。

堂々たる存在感を放つ象は、卓越した知性を持つ動物として知られます。
そんな象の姿で示されるガジェーンドラは、権力、威厳、能力、安定、富祐といった特質に飾られた私たちに例えられます。

これらの特質によって、私たちは一定の社会的な地位を享受し、豊かで充実した日々を送ることが可能になります。
しかし、どれほど恵まれていても、時として自分の力ではどうにもならない出来事に足を引っ張られ、問題が溢れる泥沼へと引き込まれることがあります。
その泥沼の中で息も絶え絶えになっている時、かつて誇りに思っていた特質が崩れ去っていくことに気づきます。

解放されようともがくほど痛みが増す中、あらゆる努力が水の泡となる時、ガジェーンドラはヴィシュヌ神に身を委ね、ひたすらに祈り続けました。
ここでガジェーンドラが教えてくれることは、すべてを委ねる勇気と祈りという至高の行為です。

身を委ねるとは、運命を諦めることではありません。
それは、暗闇の先にある光に気づきながら、その状況の中で生きていく前向きな姿勢を意味するものです。
そこに学ぶべき人生の教訓があると理解する時、どれだけ厳しい試練に直面しても、人生を尊ぶことができるということをこの神話は伝えています。

何より、この神話の中でもっとも重要なことは、ガジェーンドラの祈りにヴィシュヌ神の救いが直接的に差し伸べられたという事実です。
あらゆる問題を解決する至高の存在は、分け隔てなくその恩寵を注ぐということ、その存在には、祈りを通じて内なる世界で交わることができるということを忘れてはなりません。
問題の解決策は、最終的には自分自身の中に秘められているということを、ガジェーンドラはその姿を通じて伝えています。

(文章:ひるま)

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


RANKING

DAILY
WEEKLY
MONTHLY
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  1. 1
  2. 2
  3. 3

CATEGORY

RECOMMEND

RELATED

PAGE TOP