スタッフ日記:フード・サービス・プログラムのご報告(被害と支援について)

フード・サービス・プログラムにご支援をいただいている皆様、本当にありがとうございます。
最近の写真が届きましたので、ご報告をさせていただきます。

先月の報告において、フード・サービス・プログラムを行う地域では豪雨による洪水被害が出ていることをお伝えさせていただきました。
その後も雨は止まず、ニュースでも伝えられる通り、過去100年間で最悪の被害が報告されています。

フード・サービス・プログラムを行う公立病院のある町も、近くを流れるパンパ川が氾濫したことにより、水没しました。
公立病院は高台にあるため、浸水被害は免れましたが、多くの病人であふれています。

現在、水は引きましたが、家は汚水で汚れ、亡くなった家畜がそのままにされているなど、衛生環境の非常に悪い状況が続いています。
水害によって井戸が使えなくなり、清潔な飲み水を得ることも難しくなりました。
NGOでは地域の片付けや清掃作業、井戸の浄化などを行なっていますが、多くの病が媒介し、病院を訪れる人々が増えています。

今回の洪水被害の中でも、低地に住むことを余儀なくされるダリットの人々や貧しい人々が、とりわけ大きな影響を受けています。
水や食べ物、衣服や生活必需品がなく、多くの人々が何をすべきか、どこへ行くべきかわからず、将来の望みを失いました。

公立病院に訪れる人々は、そういった人々です。
望みを失った人々を支えるためにも、このフード・サービス・プログラムは決して止めることはできません。
NGOでは、洪水被害が拡大する中でも、可能な限り配給を続けました。
食事は毎日ダリット村の女性たちによって作られますが、女性たちはボートを漕いでNGOの施設まで訪れ、食事作りを続けていました。
皆様の祈りと温かいご支援を、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

皆様の温かいご支援に心より感謝申し上げます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

(スタッフ:ひるま)

クリシュナ神の祝福を浴びるお祭り

今年は9月2日(もしくは3日)に、いよいよクリシュナ降誕祭を迎えます。
世界中で盛大な祝福が行われるこのクリシュナ降誕祭の中には、ダヒー・ハーンディーと呼ばれる熱狂的なお祝いがあります。
このお祝いは、クリシュナ降誕祭の次の日に行われ、今年は9月3日(もしくは4日)に祝福されます。

ダヒーはヨーグルト、ハーンディーは土壺を意味します。
このお祝いでは、人々が団結をしながら人間ピラミッドを作り、高いところに吊り下げられた土壺をココナッツなどで割ります。
そして、中にはいったダヒーを浴びると、クリシュナ神の大きな祝福があると伝えられています。

いたずら好きなクリシュナ神は、幼少の頃、大好物のバターやヨーグルトを盗んでは食べていました。
高いところに隠されたバターの入った壺を、友人たちと肩車をしながら盗む絵も描かれるほどです。

ダヒー・ハーンディーは、この一場面を真似た祝祭です。
現在ではピラミッドの高さが競われ、インドの数ある祝祭の中でも、とりわけ大きな熱狂に包まれるお祝いとして有名です。
このダヒー・ハーンディーにも、霊性を育むさまざまな教えが秘められています。

例えば、土壺は、私たちの肉体と見ることができます。
そして、その中に入ったダヒーは、肉体をまとった魂のように見えます。
私たちが大いなる至福を得るには、魂の永遠性を理解することが必要であると古代より説かれてきました。
そのためには、肉体は朽ち滅び、いずれ壊れるという事実を理解しなければなりません。
このダヒー・ハーンディーは、肉体から魂を解放する喜びの意味を私たちに伝えているかのようです。

しかし、それは決して簡単ではないことが分かります。
高いところに吊り下げられた土壺を割るには、目標に対する人々の固く定まった心が必要です。
一人の心でも乱れれば、ピラミッドはいとも簡単に崩れ落ち、土壺に届きません。
まるで、神の祝福は手の届かないところにあるもののように見えます。

しかし、クリシュナ神はどんなところに隠されたバターでも見つけ出し、その喜びを手にしてきました。
目標に対し、確かに定まった心があれば、どんな困難をも乗り越え、それを手にすることができるということをクリシュナ神は伝えています。
そうして人生を歩む時、私たちは肉体を超越した永遠の魂という、何よりもの祝福を得ることができるに違いありません。

(文章:ひるま)

チャイルド・スポンサーシップのご報告(2018年8月)

チャイルド・スポンサーシップ(子どもの教育支援)にご協力をいただいている皆様、温かいご支援をいただき誠にありがとうございます。
8月の配給時の様子が届きましたので、ご報告をさせていただきます。

子どもたちが暮らすケーララ州では、8月の第1週以降立て続けに降ったモンスーンによる豪雨の影響で、相次いでダムが開かれ、各地で土砂崩れや洪水が発生し、過去100年間で最悪の被害が報告されています。
支援を行なっている子どもたちが住むダリット村の一つは完全に水没、また、別のダリット村も低地にある家屋が浸水被害を受けています。
子どもたちや家族は、被害がもっとも大きかった時期は学校などに設けられた避難所に避難していました。

配給を行う予定だった第2土曜日は、大雨により身動きが取れず、その後に洪水被害が広まり、配給は延期されていました。
今月の配給は、8月25日に予定されていたオーナム祭の直前となりました。
多くの子どもたちの家は水没していましたが、少しでもオーナム祭をお祝いするため、それぞれは自宅に戻り清掃作業にあたっていました。
今月は、ささやかでもオーナム祭をお祝いすることができるよう、子どもたちとその家族へは、フード・キットを中心に配給を行いました。

通常配給を行うNGOの施設のホールは、水没した別の地域へ配給するフード・キットの準備で使用できなかったため、今月は外での配給となりました。

子どもたちへはオーナム祭をお祝いするための食材を中心に配給しました。

通常配給を行うホールは、水没した別の地域へ配給するフード・キットの準備でいっぱいでした。

子どもたちはみんなと集まると、途端に元気になりますが、心に深く傷を負っている子どもも多くいます

多くの子どもたちの家は水害で補修が必要です。

現在、子どもたちの安全は確認されましたが、制服や学用品など、全て水没し、使用することができない子どもたちが多くいるため、改めて準備をする必要があります。
また、心に深く傷を負っている子どもたちの心のケアができるよう、いつでもカウンセングができるような機会も設けたいと思っています。

子どもたちの家族は、やっとの思いで現在の生活を築き上げてきました。
その全てが壊されてしまった家族も多くいます。
この豪雨被害から立ち直るには、長期的な支援が必要です。
皆様の祈りと温かいご支援を、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

いつも温かいご支援をいただき、心より御礼申し上げます。
これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。

(スタッフ:ひるま)

2018年9月の主な祝祭

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2018年9月の主な祝祭をご紹介いたします。

待ちに待ったクリシュナ降誕祭、ガネーシャ降誕祭など、9月は大きな祝祭が続きます。その後、満月を過ぎると、先祖供養の期間がおよそ2週間入り、続いていた大きな祝祭がひと段落する時を迎えますが、先祖供養のための儀式が熱心に執り行われます。

9月2日、または3日 クリシュナ降誕祭
9月3日、または4日 ダヒー・ハーンディー
9月6日 エーカーダシー
9月8日 シヴァラートリー
9月10日 新月/シュラヴァナ月の終わり(主に南インド)
9月12日 ヴァラーハ・ジャヤンティ
9月13日 ガネーシャ降誕祭
9月14日 リシ・パンチャミー
9月17日 ヴィシュヴァカルマン・プージャー/カニャー(乙女座)・サンクラーンティ/マハーラクシュミー・ヴラタの始まり/ラーダー・アシュタミー
9月20日 エーカーダシー
9月21日 ヴァーマナ・ジャヤンティ
9月24日 アナンタ・チャトゥルダシー(ガネーシャ降誕祭最終日)
9月25日 満月/ピトリ・パクシャ(先祖供養の2週間の始まり)
9月28日 サンカタハラ・チャトゥルティー

*地域や慣習によって、祝祭の日にちには差異が生じることがあります。

1年を通じた祝祭、またその詳細について、インド暦カレンダーでご紹介しております。

参照:http://www.drikpanchang.com/panchang/month-panchang.html

148、アーユルヴェーダ音楽療法入門10(瞑想と音楽療法3)

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人間の三つのタイプ
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今回は、前回も図だけご紹介した「人間の三つのタイプ」の解説から始めます。

それぞれに共通する薄い黄色の縦楕円とその中の構造は、私たちの「生命と存在(実在)」を支える「臓器・経絡・細胞・有用細菌たち」を現しています。

それぞれの左肩にある二重円は、「魂と心」であり、それは「思考と気分感情」とは別物です。今迄に紹介した図では、後者は前者の回りを取り囲み、「論理的思考があればこそ、心と魂は外因に反応した気分感情の悪影響を受けずに守られる」と説いて来ました。

本図では、
その「論理的思考の外堀(城壁)」が欠落している左右図に派描きませんでした。

左右のタイプでは、「気分感情」は、「体の実存」と「魂と心」から分離して、それぞれ上方に描きました。

左のタイプは、「論理的思考」が殆ど退化してしまい、全てが「気分・感情」になった人の様相です。

かねてから「独裁国家の元首のようだ」と説いて来たように、明らかに「臓器・経絡・細胞・有用細菌たち」の存在によって、頂点(体の最上部)に君臨し、自覚出来る意識を持って居るに過ぎないにも関らず、

、「自我意識=自分の全て」と勘違いしている「独裁君主」そのものです。

従って、独裁君主が国民を顧みないと同様に、そのような意識(Ahamkara)は、「臓器・経絡・細胞・有用細菌たち」のことを真面目に考えているとは言えません。

幾ら「無農薬、無化学添加物、良質の食物や水」に執着したとしても

「文字、文章、言葉、音楽や芸術」にもそのこだわりを適用していない以上、
中途半端と言わざるを得ません。

中央のタイプは、上記で「魂と心を守る城壁」としました「論理的思考」が、
「体全体・心精神全体をも守っている」ことを示しています。

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実存を否定する危険な「瞑想法」
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より深刻な問題・状態は、右のタイプです。

元々は、左のタイプだった人が、何らかの方法で、或る種の瞑想を続けた結果、「個性」は勿論、「自我」のみならず、「実存」さえも失ってしまった状態です。

これは第七チャクラのひとつの機能に「Spiritual領域」があり、それが「実存」を支配してしまう状態です。その状態の手前の「実存からの逃避の過渡段階」も大いにあり得ます。

これは「アパシー」や「鬱病」が、外界との関わりを遮断するのと同じ「自己防衛」が異常に亢進した状態であるだけでなく、自らの「臓器・経絡・細胞・有用細菌たち」とも乖離してしまうもので、或る意味「意識の死=脳死」と同等の状態です。

かれこれ30年以上前のことですが、私のかなり親しかった友人が、或る種の瞑想を試みて、この段階に至ってしまい、アルコールもドラッグも用いないのに、突然冬の真夜中に井の頭公園(都下吉祥寺の恩賜公園)の池の回りを走り出し、「熱い」と言い出し全裸になり、やがて「寒い」と言って最寄りの民家に押し入って「寒い!」と言って警察を呼ばれた人が居ます。

同じ頃、私も「準臨死体験」を経験しました。Ahamkaraが殆ど消滅する朦朧とした中で、「なんだ、人間って簡単に死ねるんじゃないか」と知ったことだけを記憶しています。

この第七チャクラの或る機能は、言わばミトコンドリアの中のアポトーシスのスウィッチのような自爆・自沈装置なのかも知れません。

何年もの間、正しい指導による正しい修行を段階的に積み重ねて、アシュラムのような場所で、他のヨギの見守りの中でなら、
(もしくはどうなったとしても回りに誰も居ない森林や山頂でなら)まだしも、

社会人として存在する人が、社会の一角でこれを行う意味があるのか?
そもそも目的は何なのか? を厳しく自壊すべきです。

問題は、この特殊な瞑想法には、都合の良い「中途半端な過渡期」がある、ということです。

しかしそれも90年代に様々な事件を起こした新興宗教団体のように、自我意識を破壊されながらも実在が残り、その実在が様々なことに利用されるという哀しいシステムに組み込まれるのが殆どの末路です。(所謂マインド・コントロール)
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そもそも、何故、海外の多くの著名人が「瞑想の効果」を高く評価するのか?

それは、特殊な「瞑想法(とその疑似体験)」を除いて、一般に指導されているものの殆どは、前回(Vol.145)述べたように「まとわりついた外因由来の気分・感情領域のリセットや除去」を目的としているからに他成りません。

図の右側のタイプの人の場合、「危険な瞑想法」だけでなく、それの中途半端ものも、その他の「瞑想法」も「自己逃避願望」が少なからずある場合、それは左のタイプよりも質が悪いと言えます。

その根拠は、左のタイプの場合、
或る意味「苦しみ」と常に向い合わせであり、

もしかしたら、その「苦しみの内容・愚かさ」に気付けば、
「苦しみからの開放」と同時に、「我が身(実存する臓器、細胞たち)」を真の意味で慈しむ人間に改められる可能性があるからです。

しかし、右のタイプの人間の意識は、「逃げる方向性」か「開放されてしまった」かであって、その先に、「自己」を取り戻したり「実存」と向い合うことはおそらくあり得ないからです。

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左のタイプの人の「苦しみ」とは何か?
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それは、Vol.145~146で述べたように「まとわりついた外因由来の気分・感情領域」それ自体に、当人が認識しているか否か?は別として、認識していなくても「苦しい」筈だからです。
それを説明する為に、今回もVol.145の四つの図を用います。

図の左上のタイプの場合、「自らの感情」である筈が、下二種のような「内発的」なものではなく、外因に反応する度に「喜怒哀楽」「一喜一憂」を感じなければ成らず、

突き詰めれば
「何処に私があるのだろうか?」「私とは何なのだろうか?」
と苦しまねばならないからです。

左上の赤い矢印と、下二図の青い矢印は全く逆の性質です。

実際「生き辛い」と漠然とした感情を常に抱いている人の殆どの原因がこの「反応で生きることの苦しみ」です。
私のセラピーの受講者のほとんどもこれが元凶にあります。

その結果、多くの「瞑想法」が、その「外因反応によって作り出されたHeart」を一時期的に忘却させることを目的としているのです。

確かに、「悩み・苦しみの原因」が取り除かれたような気になります。

しかし、「瞑想」のみならず、今日の多くのセラピー、カウンセリングがそうであるように、数ヶ月、半年で、まだ「苦しみ」がぶり返します。
人によっては、同じ方法では中々楽にならない場合も少なくないのです。

これは、「人間の体の炎症反応・アレルギー反応」と全く同じです。
健康体ならば、適切に「中和=無毒化」出来るものが、「外敵」として、執拗に攻撃し、炎症の飛び火、流れ弾が自らの細胞迄攻撃してしまい「自己免疫疾患」や「アレルギー」となってしまうのです。

それを解決する為に「ステロイド」という化学物質を用いて
「抵抗(攻撃)反応の力そのもの」を削ぎます。

一時は劇的に解決しますが、次第に利き目が悪くなるばかりか、
「自然な機能を破壊」し、様々な深刻な基本的な病気(変調)を来たしますし、
「化学物質の弊害」も深刻です。

しかし、現代の精神的疾患の分野では、
この基本的な仕組み(心関係の問題は体関係の構造と大して変わらない)ということを全く無視しているのです。

「瞑想」や「セラピー、カウンセリング」の場合、
化学製剤を用いない点で、ややマシかも知れませんが、
「機能(自然治癒力)」を駄目にするという点では見過ごせません。

私が敬愛する、彼のヴィヴェカナンダ師が、
「論理は神性・霊性の敵ではない。むしろ不可欠な道筋である(要約)」と説いていた理由もここにあります。

このような実状に於いて、唯一の救いかも知れないのが、
正しい理解をしている施術者による「ラーガ療法」です。

インド科学音楽のラーガの中には、正しく演奏すれば、「論理性」即ち図の右上のピンクの部分「Mind」を活性化するものがあるからです。

そして、この問題をきちんと理解している指導者による「瞑想法」も、
「アサギ色の気分感情領域」の内側にある「意識」との向い合いを促します。

しかし、四図の左上や下二図のように、「論理思考領域(Mind)」のみならず「心(Sprit)」の領域さえもが「(外因反応由来の)気分感情」に浸食されてしまっている場合、「内なる自分」を見たところで、「空洞」かも知れないのです。

従って、現代人の理想的な「正常機能の取り戻し方法」は、この三つ「正しいラーガ療法」「正しい瞑想法」「論理思考力復活」をセットで、入れ替わり立ち替わり行うべきであると言えます。

そして、次第に「論理的思考力」が再生されて来た場合、

「マントラ(言霊と意味)」「ヤントラ(視覚と思考)」の助けを借りれば、
急速に「本来の健康な精神」の再構築が期待出来るのです。

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何時も最後迄ご高読をありがとうございます。

福岡市南区の自宅別棟楽器倉庫の教室では、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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マニプーラ・チャクラを活性化するルドラ・マントラ

インドの偉大な聖者たちは、内的な経験に基づいて、人々のスピリチュアルな運命を予見できる霊能力者でした。
彼らは、肉体を神の神殿ととらえ、それが精神世界への偉大な旅路の基盤となるものとみていました。
脊柱の基底に渦巻くクンダリニーの力やチャクラのような発見は、彼らによってなされました。
チャクラの健康と正しいバランスは、実りある生活を与え、神々の領域へと意識を拡大させます。

シヴァ(吉兆)の怒りの側面を表した神格として知られるルドラは、第3のチャクラであるマニプーラ・チャクラに作用する神格です。
第3のチャクラであるマニプーラ・チャクラは、個々人の力の変換点、つまりエネルギーを与える中枢です。
その言葉が意味しているように、マニプーラ・チャクラは光沢のある宝石のように輝きます。

しかし、そこは火の要素の中心であるため、当然のことともいえます。
このチャクラが浄化されるとき、世俗的な快楽に対する、燃えるような欲望から自由になることができるとされています。
あらゆるネガティブなエネルギーや、エゴによる不純な動機は、この火炎の中枢である祭壇で燃やし尽くされます。

ルドラすなわちアグニは、地上における物質的生活を破壊し、再建する神です。
彼は本性として怒りの性質を持ち、私たちの中で、火の属性すなわち怒りとして表現されます。
過度の怒りは、病気の元となり、肉体や心を傷つけます。
しかし、自己の肉体を維持し、社会生活向上の手段として、怒りは時として必要不可欠な性質です。

「ルドラ」は、本質的な意味として、「困難を超越する」と解されます。
ルドラは、文字通りの意味としては、「恐ろしいもの」「恐怖のもの」「暴風神」などが挙げられますが、この文字が、「ル」と「ドラ」に分割される場合、「悲哀からの脱却」「悲しみからの解放」「困難を超越した状態」を意味する言葉となります。
これらはすべてルドラ・シヴァの本質であり、サマーディすなわちサダーシヴァと呼ばれる無の境地を示し、心の束縛から解放され、かつてない吉兆(シヴァ)と光輝をもたらすものです。

チャクラに対応した神々の波動のリズムに乗り、調和と成功に満ちた生活を生み出しましょう。

第29回グループ・ホーマ無事終了のお知らせ

第29回グループ・ホーマにお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

第29回グループ・ホーマは、8月26日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

スタッフ日記:第30回アンナダーナ終了しました!

第30回アンナダーナにお気持ちを寄せていただきました皆さま、本当にありがとうございます。
皆様の温かいご協力によって、アンナダーナも第30回を迎えました。心より御礼申し上げます。

第30回は寺院にて、無事に終えることができました。
インドでは、各地で恵みの雨が降り注ぐモンスーンが続いており、アンナダーナを実施するデリーでも、35度前後の気温が続いています。
アンナダーナを実施した日は33度と、久しぶりに暑さが和らいだ、穏やかな気候のもとで実施することができました。

インドの各地では豪雨による被害が相次ぎ、デリーも一時期は大雨による河川の氾濫の危険性が高くなっていましたが、ここ最近は落ち着いています。
アンナダーナを実施した次の日は、ラクシャ・バンダンの祝日ともあって、家族が揃っている家庭も多くあり、配膳の際には家族とともに訪れる人々の姿も目にすることができました。
子どもたちの姿も多く、いつも以上に、穏やかなアンナダーナになったように思います。

地方から働きに出ている方々の姿も多くありました。
兄弟姉妹の絆をお祝いするラクシャ・バンダンは、家族を大切にするインドの人々にとって、とても重要な祝祭です。
しかし、出稼ぎ労働者の人々の中には、家族のもとに戻る余裕がない人も多く、デリーに留まり仕事を続ける人が多くいます。
祝祭の前日でしたが、普段は食べることのできない豪華な食事に、喜びを噛み締めていた方々も多くいたようです。

今回のアンナダーは、準備から配膳まで、穏やかな気候の中でゆったりと進めることができました。
配り終えるのにいつもより時間はかかりましたが、自宅にいる家族へ持ち帰る人も多く、準備した1000食分以上を残すことなく配り終えることができました。

アンナダーナも第30回を迎え、定番となったこの寺院の実施では、毎回の美味しい食事を心待ちにしている人々も多くいます。
皆様の温かいお気持ちが広がり、人々の辛く厳しい日々の中の光となっていることを思うととても嬉しく思います。

今後は、現在実施している寺院と病院だけでなく、さらに幅広い範囲で実施できるよう準備をしています。
皆様の温かいお気持ちが大きく広がるように、努めていきたいと思います。
これからも温かいご協力のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

アンナダーナを通じ、皆様にも大きな恩寵がありますように。

(スタッフ:ひるま)

ヨーガ・スートラ第3章第32節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


मूर्धज्योतिषि सिद्धदर्शनम्॥३२॥
Mūrdhajyotiṣi siddhadarśanam||32||
ムールダジョーティシ シッダダルシャナム
頭頂の光により、神霊たちを見る。

簡単な解説:前節において、喉のくぼみより下にある、亀の形をした生気が流れる管へ綜制を行うことにより、心身の安定を得ることができると説かれました。本節では、頭の頂上にある光に綜制を行うことにより、主導霊ともいわれる神霊たちを見ることができると説かれます。

マハーバリ王の願い

美しい自然が織りなす、豊かな生活が生きる南インドのケーララ州。
今年は激しいモンスーンの豪雨に見舞われ、その美しさは壊滅的な被害を受けました。
これから、人々が心待ちにするケーララ州のもっとも大きな祝祭、オーナム祭を迎えようとしていた時でした。

収穫祭でもあるオーナム祭は、かつて王国を追われたマハーバリ王が、年に一度だけ愛する国民たちのもとへ戻る日として知られます。
マハーバリ王は、神々と敵対するアスラの生まれでしたが、非常に信心深く献身的で、国民から愛される偉大な王であったといわれます。

しかし、アスラであったマハーバリ王は、後にヴィシュヌ神の5番目の化身であるヴァーマナに倒されます。
年に一度、愛してやまない国民のもとへ戻ることを条件に、自らを犠牲とし、マハーバリ王は国民の繁栄と幸福を守ったのです。

オーナム祭は、そんなマハーバリ王が年に一度だけ愛する国民たちのもとへ戻る日です。
それは、マハーバリ王があらゆる苦難を乗り越え、解脱を得た日として祝福される時でもあります。

このオーナム祭の神話には、多くの学びが伝えられます。
マハーバリ王は、愛する国民のために、自らを犠牲とし、王としての地位も失いました。
それは、この世のすべての現象が、絶えず変化をしているということを伝えているようです。
私たちの身体、所有物、地位や名誉など、決して永遠であるものはありません。

しかし、自分という小さな個人を捨て、愛する国民と一つになることを望んだマハーバリ王。
他を想い、自我を捨て、全体と一つになることは、神に至る永遠の至福に他ありません。
その真実の理解のみが、私たちを永遠のものとします。
事実、マハーバリ王は今でも国民たちから温かく迎え入れられ、その魂は時を超えて崇められています。

およそ10日間に渡って続くオーナム祭のもっとも盛大なお祝いは、今年は8月25日にあたります。
酷暑期から雨季、その季節の移り変わりが生み出す収穫に感謝をするオーナム祭は、変化の恵みに感謝をする時でもあります。
暗闇から光輝へと向かうよう、この時を通じて、被災地の一日も早い復興と、被災された方々の平安を祈りたいと感じます。
マハーバリ王がいつの時も人々とともにあり、苦難を乗り越える力と、安寧が授けられますように。

(文章:ひるま)