第21回グループ・ホーマ無事終了のお知らせ

第21回グループ・ホーマにお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

第21回グループ・ホーマは、4月30日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

心の平安を得る方法

深い瞑想によって悟りを得た仏陀の穏やかな表情の中には、心の寂静を象徴する深い精神世界があらわされています。
そんな仏陀の生きる姿に示された教えの中に、心の平安を得るための方法が説かれたある有名な話が伝わります。

仏陀は数人の弟子とともに、町から町へと歩みを続けていました。
すると、一人の弟子が近づき、「心がざわめいて、とても混乱しています」と仏陀に告げます。
そんな弟子に、仏陀は近くの池から飲み水を汲んで来るように伝えました。

弟子が池を訪れると、ちょうど雄牛の引く荷車が池を渡り始め、それまで透き通っていた水が濁り出したところでした。
飲み水には適さないと考えた弟子は、水を汲まずに、仏陀のもとへ戻ります。

しばらく経った後、仏陀はもう一度池に行くよう弟子に伝えます。
しかし、池はまだ濁ったままでした。
もうしばらく経った後、仏陀は再び池に行くよう弟子に伝えます。
弟子が池に行き、そのほとりに佇むと、泥は沈み、池には澄んだ水が満ちていました。

喜んでその澄んだ水を汲み、弟子は仏陀のもとへ戻ります。
すると、仏陀は弟子に微笑みました。
その微笑みを見て、弟子は心の平安を得る方法を悟ったといわれます。

澄んだ水を得るために弟子がしたことは、泥が沈むまで待つことでした。
それは、私たちが澄んだ心を得るための方法でもあります。

私たちは、さまざまな思考や感情が渦まく心を制御しようとエネルギーを注ぎ、さらなる混乱を招くことがあります。
それはまるで、心という池の中に飛び込み、その水を濁らせているかのようです。
やがて苦悩が心の表面に大きく浮かび上がると、そこから抜け出すことが困難になることもあります。

心の平安を得るための多くの教えが溢れる一方で、仏陀の教えは、誰もが実践できるシンプルな方法を説いてます。
それは、決しても難しいものではありません。
弟子が池のほとりにそっと座り、水が澄んでいくのを目にしたように、私たちはただ、心を静かに観察する必要があります。
そうして心の動きが落ち着いていく時、清らかで平安に満ちた澄んだ心があらわれるに違いありません。

(文章:ひるま)

スタッフ日記:フード・サービス・プログラムのご報告(人々の生活)

フード・サービス・プログラムにご支援をいただいている皆様、本当にありがとうございます。
最近の写真が届きましたので、ご報告をさせていただきます。

インドの各地で暑く長い夏が始まっています。
これから続く暑い夏、そして湿気が増える雨季にかけては、患者さんが増える時となります。

フード・サービスを受ける貧困層にある人々は、暑い中での労働作業を仕事とするなど、厳しい生活を送っている人々が多くいます。
インドの家造りは、長く暑い夏に見合った造りとなっており、多少の暑さなら、家の中はひんやりとしています。
しかし、貧困層にある人々の家は、ブロックを積み上げただけの建物であることも少なくありません。
日中の熱がこもり、夜になっても家の中が暑いままです。

暑い中で労働作業を行なった身体で、夜もゆっくりと休むことができず、身体には疲労が蓄積していきます。
労働者の方達の強さには驚くことが多くありますが、体調を崩しやすく、なかなか貧困から抜け出せません。

フード・サービスを行うケーララ州の薬局の表示です。「BPL 25%」という表示が見えます。
BPLはBefore Poverty Lineと呼ばれるもので、貧困層にある人々は、薬を25%の割引で買うことができます。
インドの中でも、社会福祉がしっかりと整うケーララ州の生活には、学ぶことがとても多くあります。
一人一人の生活の向上が、より良い社会を生み出す一歩となることを信じ、SEEDS-INDIAでも人々の支援を続けています。

皆様の温かいご支援に心より感謝申し上げます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

(スタッフ:ひるま)

2018年5月の主な祝祭

2018年5月の主な祝祭日をご紹介いたします。

5月~6月は、インドの多くの地域が45度にもなる酷暑期に入ります。そんな中、2018年は5月16日から6月13日まで、アディカ・マーサが生じます。アディカ・マーサは、一年およそ354日で巡る太陰暦を、およそ365日で巡る太陽暦と合わせるために、約2年半に一度(正確には32ヵ月と16日、8ガティ(1ガティは24分))生じる特別な月にあたります。クリシュナ神(またはヴィシュヌ神)に捧げられる時として崇められます。

5月1日 ナーラダ・ジャヤンティ
5月3日 サンカタハラ・チャトゥルティー
5月11日 エーカーダシー
5月14日 シヴァラートリー
5月15日 新月/シャニ・ジャヤンティ/ヴァタ・サヴィトリー・ヴラタ/ヴリシャバ(牡牛座)・サンクラーンティ
5月16日 アディカ・マーサの始まり
5月24日 ガンガー・ダシャラー
5月25日 エーカーダシー
5月29日 満月

*地域や慣習によって、祝祭の日にちには差異が生じることがあります。

1年を通じた祝祭、またその詳細について、インド暦カレンダーでご紹介しております。

参照:http://www.drikpanchang.com/panchang/month-panchang.html

チャイルド・スポンサーシップのご報告(2018年4月)

チャイルド・スポンサーシップ(子どもの教育支援)にご協力をいただいている皆様、温かいご支援をいただき誠にありがとうございます。
4月の配給時の様子が届きましたので、ご報告をさせていただきます。

子どもたちのいるケーララ州では、日中はとても暑くなりますが、夕方には雷を伴った雨が降り、少し過ごしやすくなる日々が続いています。
今月も子どもたちが施設に集まり、配給を行いました。
女の子の外出に危険が伴うことから、配給物資を村や家に直接配ることを検討していますが、長年続けてきた施設での配給には、大きな意味があります。
今後より良い形で配給を行えるよう、現在も母親や子どもたちと相談をしながら進めています。

3月に試験を終えた子どもたちは、6月の初めまで、現在は2ヶ月間の夏休みの真っ只中にあります。
長いお休みの間は、農作業のお手伝いに行ったり、家族や親類のもとを訪れたりと、配給時に来られない子どもたちがいますが、皆元気に夏休みを過ごしているようです。

インドは、どの地域でも4月から6月にかけてがもっとも暑い時期となります。
北インドは非常に乾燥し、45度にもなることがあります。
南インドのケーララ州は35度くらいの気温ですが、とても湿気が多いため、体にこたえる時が続きます。

子どもたちの学力向上のために、夏休みの間に特別クラスを行うところもあるようです。
しかし、厳しい暑さの中で十分な設備が整っていない場所では、子どもたちも勉学に集中できず、体調を崩したりと、マイナスの面も多くあります。

『教育は、世界を変えるための最強の武器である』(ネルソン・マンデラ)

差別や虐待を受けやすいダリットや貧困層にある子どもたちにとって、社会を生き抜く上で、教育は何よりもの武器となります。
SEEDS-INDIAでも、勉学に励むよう常に子どもたちを啓発していますが、夏休みの間は存分に満喫できるようにと、子どもたちに声をかけています。
学校の外でも、いろいろな経験をして、学ぶことがたくさんあるに違いありません。

いつも温かいご支援をいただき、心より御礼申し上げます。
これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。

(スタッフ:ひるま)

131、インド音楽の楽しみ方(4)北インド古典音楽の主題と即興

北インド古典音楽および南インド古典音楽に共通して、さらに同じ北インド古典音楽でもより古いドゥルパド様式と、18世紀19世紀以降に古典音楽に昇華したカヤール声楽、ガット器楽のいずれにも共通して、後世では前唱・前奏曲とされているアーラープが、実は最も重要で古典音楽の真骨頂であると述べました。

ターラを伴わず、太鼓伴奏も不要で、ラーガの具現に徹するこの様式は「ラーガ音楽」と呼ばれるに相応しい様式でもあります。

また、アーラープには二部三部の構成があることや、基本は皆同じでも、様式によってその呼称や具体的な技法が異なることも述べました。

そして、いずれの様式のいずれの部に於いても、基本的には同じ「流れ/物語」を展開すること。それはドレミのドに相当するSadaj(サ)を地平線と見た山並み(Swarup/字義は外観、形状、表象)のようなものであり、それを図に現したものは、理解ある音楽家にとっては「ヤントラ」に相当するとも述べました。
……………………………………………………………………………………………………………………………………….
更に、その「スワループの山並み」は、ラーガの物語でもあり、ラーガ音楽家は、ラーガの精霊を降臨させ物語を語って貰う、或る種の霊媒師でもあると述べました。一般的な比喩で言うとそれはTV番組のゲストコーナーのようであり、音楽家はその司会者・インタヴューアーでもあるとも述べました。

しかし、アーラープの後、ターラと太鼓を伴う本曲に入ると、前半こそは「ラーガとその物語重視」ですが、後半に向かうに従って、音楽家の技巧やパフォーミング・アーツとしての楽しみの度合いが増して来るのです。

……………………………………………………………………………………………………………………………………….

既に述べましたが、念を押しますと「本曲」というのは、インド古典音楽をパフォーミング・アーツとしての楽しむ感覚の「芸術音楽至上論」からの言い方であると共に、アーラープを前唱・前奏曲とした場合の呼称で、アーラープ(ラーガ音楽)至上論からすれば、大衆迎合的なお楽しみコーナーに過ぎない。ということになります。とは言え、アーラープ至上論は、それに対しての呼称を作りませんでした。

アーラープ至上論からすればアーラープで完成・完結しているにも拘らず、後から雨後の筍のように次々現れた、素性はいずれも科学音楽出身どころか古典音楽出身でさえない輩に対して、呼称を付ける必然も、呼称する義理も無いということでしょう。
………………………………………………………………………………………………………………………………………
しかしその一方で、ラーガと比較すれば二の次だった拍節法:ターラの理論とその実践も科学音楽時代から継承されているものです。従って、科学音楽の系譜の最後で最新の様式、今日では最古の様式であるドゥルパド音楽家も、アーラープの後にターラと太鼓伴奏を伴う「本曲」を「ドゥルパド」と呼んだ訳ですから、単なる「お楽しみ/オマケ」でもないとも言えます。

……………………………………………………………………………………………………………………………………….

ところが、逆転の発想によって、10世紀以前のより真実に近い形が見えて来ます。それは、「アーラープ~ドゥルパド」という、段階的・時系列の図式ではなく、「アーラープ=ドゥルパド」という或る種の化身的な感覚である可能性です。

ヒンドゥー教でも、ヴィシュヌ神には様々な化身がありますが、例えばその一柱クリシュナは、人間の子どもとして降臨しますが、幼児時代はマッカンチョールと呼ばれます。これはヴィシュヌの化身ですが、クリシュナの化身ではなく、少年になったクリシュナ(ゴパール・クリシュナ)の時代には地上にも天上にも存在しなくなる神です。すなわち「マッカンチョール→ゴパール→クリシュナ」という図式です。しかし、ヴィシュヌはクリシュナの前駆型ではありません。またクリシュナが存在している同じ時代に、ヴィシュヌは勿論、他の化身ラーマもマツヤも存在しているのです。これは日本の神道の神々も、仏教の神々も同様で、化身は変身ではないので、同時に複数存在し得るのです。

つまり、ターラと太鼓を伴うドゥルパドは、アーラープの化身であるということです。
………………………………………………………………………………………………………………………………………
これはどういうことか?をもう少し説明しますと、山並みの図を「ラーガのヤントラ」とも述べました「アーラープのスワループ」には、いくつかの山並みの段階があります。これを既にアーラープに於いて「Sthay、Antara、Sanchari、Abhog」と呼び概念として確立させていたのです。よって、「ドゥルパドのアーラープ」は、「ターラと太鼓を割愛したドゥルパド」であり、「前唱・前奏曲」という概念ではない、ということなのです。

このより古い理解に於いては、「アーラープは、ラーガに固着した具現であり、第一部は自由リズムでラーガ物語に専念し、第二部ではラヤ(ビート感)を以て表現する」その後(言わば第二場として)「ターラと太鼓を伴って表現する」という概念です。

つまり、当時はあまりにアーラープの重要性と主要性が高かった為と、この二部形式をしてドゥルパドと総称した為に、(後に「本曲」とか「ドゥルパド本体」のように思われてしまった)「第二場固有の名称」を付けなかったことが、後々の混乱とアーラープが前唱・前奏曲扱いになってしまった元凶と言えるのです。

例えば、ドゥルパドがまだ新音楽だった頃の主流のプラバンダ様式やギート様式も同様に、「プラバンダのアーラープ+ターラ太鼓付き第二場」の構成と理解されていたということです。

……………………………………………………………………………………………………………………………………….

話しは一気に今日聴ける古典音楽に飛びますが。従って、シタールのガット(器楽)であろうと、声楽カヤールであろうと、いずれも「ドゥルパドのアーラープ」の後にガットやカヤールを繋げている、ということが出来るのです。

……………………………………………………………………………………………………………………………………….

例えば実際のTV番組のゲストコーナーでも同じことが行われています。どのチャンネルのどんな番組であろうと、まずゲストのプロフィール紹介をかなり不偏的に行います。要するに「生い立ち、両親、故郷、少年少女時代、青年期、今の肩書きになるきっかけと修業時代、云々」です。これが「アーラープ」です。そしてドゥルパドでは、「それでは今伺った物語を、ターラと太鼓を伴ってもう一度お話して貰いましょう」なのです。TV番組ならば、ゲストの親族や友人を呼んでエピソードを聞くような感じです。

ところが、カヤールやガットの場合、後は全く次元が変わります。前半こそは、「それでは今伺った物語を、ターラと太鼓を伴ってもう一度お話して貰いましょう」はありますが、主にバラ・カヤール/マスィート・カーニー・ガットに於いてであり、チョーター・カヤールやレザ・カーニー・ガットでは僅かか全く割愛されます。「Vistar(字義は物語)」がそれです。よって、司会者の言葉は、正しくは、「それでは今伺った物語を、ターラと太鼓を伴ってもう一度【簡単に】お話して貰いましょう」ということなのです。

そして、その後は、シタールは太鼓:タブラと掛け合いをするでしょうし、カヤールでは声楽家は、自身の流派の個性と自身の技量の披露、聴衆を捲き込んで感動させることに専念します。(せずにラーガ音楽家に徹した巨匠も居ました。昔はそのような人の方が尊敬されていましたが、今レコードを聴いても多くのファンが「退屈だ」と言うでしょう) これはTV番組では「ではゲストの方と、タレントの○○さんとで卓球の腕比べをしてもらいましょう」とか「それではゲストの方への視聴者からの質問コーナーです」などなどのバラエティー要素が増す部分が、カヤールやガットの「本曲の中盤以降(Vistar以降)」の様相と言えるのです。

……………………………………………………………………………………………………………………………………….

今回の図の上三段がカヤール声楽で、下がガット器楽です。カヤールでは主題に戻った時に、太鼓:タブラの変奏(見せ場)は、基本的にありません。雲泥の差がある音楽家としての格の違いがあるために、声楽家に伴奏(唱)させるなどあり得ないからです。シタールやサロードでも昔は同様でした。

現実的に、声楽家にとっては何処かで「喉休め」も必要なので、主題に戻ったところで、伴奏旋律楽器サーラーンギーやハルモニヤムとタブラに主題の旋律を任せてしまいます。そこでもタブラは本来変奏はしませんでした。サーランギーは少しソロを取ることもありますが、それも声楽家がそこまでで歌ったことの復唱に留め、「物語の先」を弾くことはありません。

カヤールの一行目は、「歌詞」の他に、「アーで歌う(Akar)」によるラーガの具現が中心的に演じられます。二行目の「Neraval」は、主題の歌詞を様々な旋律で即興的に歌う部分です。三行目の「ターン」は、アカルかサルガム(階名唱法)で歌われ、流派によって偏りがあります。ターンは、「即興変奏」のことで、16世紀の宮廷楽師長ターンセンは、これの主だという呼称です。

カヤールでもガットでも、冒頭では主題は、じっくり丹念に演じられますが、繰り返し戻る毎に割愛したり、繰り返す回数を減らして行き、テンポが上がる(スタイルの場合)に連れ、歌詞の言葉が言えなくなった頃に自然に消えて行きます。

…………………………………………………………………………………………………..

何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

…………………………………………………………………………………………………

また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。

https://youtu.be/wWmYiPbgCzg

4月~6月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

………………………………………………………………………

You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

ナーラダ・ジャヤンティ2018

Narada01

2018年5月1日は聖仙ナーラダの降誕日にあたります。このナーラダの降誕日は、多くの慣習でブッダ・プールニマーの次の日に祝福されます。

ナーラダはインドにおいて重要な聖仙の一人であり、数々の聖典をこの世に伝えてきた聖者として知られています。ヴィシュヌ神を崇拝し、ヴィシュヌ神の別の姿である「ナーラーヤナ」の御名を常に唱えていると言われます。

ナーラダは楽器のヴィーナを手にして描かれ、このヴィーナと共にヴィシュヌ神を讃えると伝えられ、その敬虔な姿はバクティ・ヨーガ(信愛のヨーガ)にも大きな影響を与えたと伝えられます。ナーラダは常にヴィーナを手にすることから、楽器の師の一人としても崇められています。

ナーラダは賢者として伝えられる一方で、ヴェーダをより親しみやすく伝えるためにいたずら好きな一面も多く描かれます。

参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Narada

スタッフ日記:第25回アンナダーナ終了しました!

第25回アンナダーナにお気持ちを寄せていただきました皆さま、本当にありがとうございます。

病院では、6回目の実施となりました。北インドでは、先週から連日のように40度となり、暑く長い夏が始まっています。アンナダーナ当日は、少し気温が下がり40度を下回りましたが、暑い中での大変な作業が続く時となります。

今回は、AIIMS病院での実施を予定していましたが、無事に食事を作り終え、12時半頃に病院へ到着すると、周辺にはいつものように人がいません。話を聞くと、日曜日のOPD(外来)が急に中止になってしまったとのことでした。インドでは事前に予告なく、こうした変更が行われることが多くあります。

知らずに訪れている患者さんの姿がまだ周囲にありましたが、いつものようにアンナダーナを実施している方々も複数おり、食事の配給がほとんど進みません。この日にアンナダーナを実施していた方々も、OPDがなくなったことを知らずに来ており、困っているようでした。

配る人があまりいない上に、気温は35度を超えています。調理済みの食事をあまり長く外に置いておくのも心配でした。病院の関係者の方に相談すると、近くにスラム街があり、食事を必要としている人々がたくさんいるため、そこで配ると良いとアドバイスを頂きました。

このままではせっかくの食事が無駄になってしまうため、スラム街へ向かうことを決め、14時前に到着。スラム街はとても狭くトラックでは中へ入れないため、配給場所を確認したりと少し時間がかかりましたが、無事に配給を始めることができました。ここでも食事を必要としている方々が本当にたくさんおり、無事に食事を配り終えることができました。今回も1000食分以上を用意しましたが、病院とスラム街において、半分ずつくらいの食事を配り終えています。

病院での配給では長蛇の列ができるため、通常は2時間半ほどで1000食分を配り終えることができます。今回は、移動の時間などもあったため、配り終えたのは夕方になってしまいました。最初はどうなるかと思いましたが、食事を必要としている人はたくさんおり、食事が無駄になることは絶対にないと、現地スタッフから言葉をもらい安心。

当初の予定通りには行きませんでしたが、インドでは予定通りに物事が進むことの方が少ないかもしれません。そこで学ぶこともとても多くあります。もしかしたら、この日はスラム街の方たちがとても食事を必要としていたのかもしれません。どんな出来事も、最善のために起こるのだと信じ、感謝をして受け入れながら進み続けたいと思います。

この度は、当初の予定通りにアンナダーナを進められず、誠に申し訳ございません。今後は周囲の状況に注意しながら、進めていたきたと思っています。次回は、寺院でのアンナダーナを予定しています。次回も温かいご協力のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

アンナダーナを通じ、皆様にも大きな恩寵がありますように。

(スタッフ:ひるま)

ヨーガ・スートラ第3章第15節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


क्रमान्यत्वं परिणामान्यत्वे हेतुः॥१५॥
Kramānyatvaṁ pariṇāmānyatve hetuḥ||15||
クラマーニャトヴァン パリナーマーニャトヴェー ヘートゥフ
連続の相違が、転変の相違の原因である。

簡単な解説:前節において、実体とは、休止(過去)、生起(現在)、未決定(未来)の三つの時間的位相をとって変化し、常にその現象に即して存在していると説かれました。本節では、現象の連続には相違があり、それが転変の相違の根拠になると説かれ、実体の転変は、さまざまな現象の連続に即して行われていると説かれます。

インド縦断ツアー2

ヒンドゥー教徒しか入れない、と言われていたプラティヤンギラー女神の寺院ですが、何も問題なく入れていただけました。寺院の門をくぐると全く気が変わります。
しかも、そのエネルギーは、今まで体験したどの神格とも違う、聖なる南の島の楽園のような感じを受けました。
寺院の入り口には、ヴァーラーヒー・デーヴィーという猪の顔をした女神が祀られていて、必ずこの女神を礼拝しなければならないようでした。しかし、僧侶がマントラを唱えだすと突然黒い犬が現れ、まるでヒンドゥー教徒のように時計回りに3度回り、私の足元に伏す、という奇跡的なことが起こり、この寺院が特別な波動に包まれていることを感じました。
寺院内には、ご本尊のプラティヤンギラー女神より遥かに大きく3階建ての建物ほどあるカーリー女神像や小ぶりなガーヤトリー女神像など、たくさんの種類のメジャーな神々が祀られていました。
中でもカール・サルプ・ドーシャに関する惑星や蛇の神々が目立ち、この女神が特にそういった方面の御利益に卓効のある神様だということを感じさせられました。
ここはプラティヤンギラー女神を中心に据えた神々の総合寺院なのでしょう。
寺院内のショップで聖なるアイテムを購入すると、ヴァーラーヒー・デーヴィーに関するものは店員が僧侶に頼み、その場で女神像に持たせるなどして入魂してくれますが、プラティヤンギラー女神に関するものは入魂などはしてくれませんでした。
ヤントラ類は、あらかじめ祈られたものだとは思いますが、現地ガイドがあらかじめ言っていたようにもしかしたらこの女神への敷居はかなり高く、本来はご縁を結ぶのは簡単ではない神様なのかもしれません。

写真:寺院内で売られていたラミネート加工された素朴なヤントラと、僧侶が入魂してくれた素朴なペンダント。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥