満ち足りた存在

今年も残りわずかとなった今、過ぎ去ろうとしている一年を振り返る機会が多くあります。
得たもの、失ったもの、さまざまな思いが心の中を駆け巡ります。
そんな中、今年の初めにご紹介をした、願望の実現のための「サンカルパ」について思い起こしています。

サンカルパは、自分自身の内で目標を明確にし、決意することを意味します。
それは、目標達成のための力を呼び覚ます、瞑想としても伝えられてきました。
しかし、さまざまに揺れ動く心の働きを持つ私たちにとって、目標を持ち続けることは、決して簡単なことではありません。
新年の時に抱いた目標を、どれだけ実現することができたでしょうか。

達成できたもの、できなかったもの、この一年にはさまざまな経験があったことと思います。
そんな一年を振り返ることは、さらなる成長のために、人生の整理のために、とても大切な行為であるとされてきました。
しかし、その過程では、できなかったものが心の中を大きく占めることも少なくありません。

私たちの心は、欠けているもの、足りないもの、手にしていないものに向かいがちです。
そんな私たちに、インドの叡智はあるシャーンティ・マントラを伝えてきました。
「オーム・プールナマダ・プールナミダム」として知られるそのマントラは、満ちている完全なブラフマンを讃えます。

インドの叡智が時を超えて伝えてきたように、何かが欠けていたとしても、私たちはそれだけで完全な存在であるということを忘れてはなりません。
人生が与えてくれるさまざまな教訓を通じ、その意味を学び深めるとき、私たちは真に満ち足りた人生を過ごすことができるはずです。

山があり、谷がある人生。
その中で、満ち足りた存在への気づきを育む時、私たちはより確かなサンカルパのもとで、成長することができるに違いありません。
感謝とともに一年を振り返りながら、新しい一年の目標をしっかりと思い描いてみたいと思います。

皆様の来る年が、幸せに満ちた実り多き一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
どうぞよいお年をお迎えください。

(文章:ひるま)

2019年1月の主な祝祭

boat sailors at sunrise sunset in ganga river at allahabad indian asia

2019年1月の主な祝祭をご紹介いたします。

束の間の寒い冬を迎えている北インドも、1月15日に迎えるマカラ・サンクラーンティ以降は太陽が北方への回帰を始め、暖かくなり始めます。日本では寒さの厳しい時が続きますが、どうぞ良い年末年始をお過ごしください。

1月1日 エーカーダシー
1月3日 プラドーシャ
1月4日 シヴァラートリー
1月6日 新月
1月12日 スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ生誕日
1月13日 ローリー
1月15日 マカラ・サンクラーンティ/ポンガル
1月17日 エーカーダシー
1月19日 シャニ・プラドーシャ
1月21日 満月/タイプーサム
1月24日 サンカタハラ・チャトゥルティー
1月26日 共和国記念日
1月31日 エーカーダシー

*地域や慣習によって、日にちに前後の差異が生じます。

1年を通じた祝祭、またその詳細について、インド暦カレンダーでご紹介しております。

参照:http://www.drikpanchang.com/panchang/month-panchang.html

164、アーユルヴェーダ音楽療法入門26(心から発する-その3-)

「障害者と健常者とは?」(精神構造から見た考察)
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私事で恐縮ですが、私は、家族・親戚に障害者手帳を持っていた者が、私以外殆どという環境に生まれ育ち、小学校低学年の頃の一二年、母が近所の施設の手伝いをし、我が家借地の百坪の芝生の庭が、施設の校庭代わりだったことがあります。今でも知人には、障害のあるお子さんを懸命に介護しする日々の親御さんが何人か居ますが、私のように、10歳にもならないうちに介護まがいのことをしていた人間には、そうそう出会えません。(もちろん現代では在り得ないでしょうが)。
また同時期、私は「やーい!役者の子! 河原乞食!」とクラスのほぼ全員から石を投げられる虐めを体験しています。
これらのことから、2000年代初頭に「セラピー、カウンセリング、音楽療法」を始める以前から、「社会的排除と社会的包摂(※)」のテーマに関しては、専門家を自負する並の人々に劣らぬ経験をして来たと御理解いただけると思います。
そもそも1970年代、「民族音楽?!土人の音楽のこと?」と言われた時代に民族音楽の研究と紹介をプロとして(プロダクションに所属したため)始めたこと自体。或る種の「差別問題」「音楽の人権問題」に取り組んでいたようなものです。
また、1978~99年の「日本初の民族音楽ライブスポット」では、毎月なんらかしらのチャリティーイベントを行っていましたし、音楽療法を仕事にする前、音楽療法士学園の講師をする前の、高齢者施設、障害者施設での演奏は百回近くに及びます。
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(※)これについて語るならば、また連載の数回を用いるほど語るべきことがありますが、基本的に、当連載の主旨とは異なりますので、ここで少しだけ説明させてください。

「社会的排除(の志向と精神性や機運)」は、文字通り「弱者を排除する」というものですが、基本的にその根底に「社会貢献の義務」があり、これの主義者(とシンパ)には、「弱者は義務を果たせない(お荷物に過ぎない)」という理屈が存在します。
他方の「社会的包摂」は、今日感覚で言う「弱者救済」ですが、実のところ「可愛そう」だとか「自分より苦しい立場の人々を助ける」という説明では誤解も、「排除主義者の批判」も免れません。
これについてのブラフマン教の感覚は、仏教の「喜捨/布施」に現れています。また、イスラム教では「Zakat/Sadaqah」と呼ばれ、いずれも「全うな人間である為の・万人の業」とされます。
つまり、「社会的包摂」には
1.弱者救済の意味・価値
2、自らの業の為 喜捨、布施、Zakat、Sadaqah、
古語の「情けは人の為ならず」は派生とも言える。
が混沌としているのが実情です。
しかも、仏教関係者や、一般の知識人の間でも、喜捨・布施は「一般大衆から出家者へのもの」という観念が主流になっていますが、本来は、「相互(方向)援助・互助」の精神に支えられたものでした。イスラム教の場合は、逆に「弱者へ向けて」に偏っているとも言えます。
つまり、
古今東西で、このテーマを「人間(生命体)のバランス機能の健全の為に不可欠」とは殆ど誰も説いていないのです。無論、「健全な精神構造との関係」を語っているのも、日本では私だけのようです。
しかし、ヴェーダの叡智を良く理解すれば以下のことは当然理解出来るはずです。
3、人間(生命体)の健康(本来の状態)維持に欠かせないバランス行為
4、その集合体は、人間の集合体=社会のバランスを保つ不可欠な行為(及び、価値観・精神性)
の二つを加えた「四つの理由」が揃っていることが健全と言えます。
この論理から見れば「社会的排除」は「利己に偏った病的な精神性/枝葉の今しか感じられない」と言え、「悪玉菌が利己に徹し、ヴィジョンを持たない結果・宿主を滅ぼし自らも死に至る」ことに同義であると、議論を戦わせる必要もなく、一蹴することが出来ます。
同時に、「排除主義者の決まり文句=弱者救済なんか偽善に過ぎない」も、ごく一般の「曖昧・日和見主義者の決まり文句=自分は他者救済の余裕がない(助けて貰いたい位だ!)」も、同じく一蹴されます。
つまり、「社会的排除」は、「社会全体を語っている」ように見せながら、その実は「枝葉・今感覚」であり、決して「全体(森羅万象)」を俯瞰する意識があるとは言えないのです。それに対し「社会的包摂」もまた、上記の「四つの理由」の半分や一つであることが、「呼び掛けに応じる率が高まらない」「同じ人が続かない」などの「アテに出来ない状況」を作っているという欠点もあります。

当連載をさせて頂いております、シーターラーマさんは、ご存知のように、現地インドの弱者救済の一環として「Anna-Dana」にご熱心に関ってらっしゃいます。
ちなみに、既に説かれていると思いますが、「Dana」は仏教用語(梵語)の意訳で「喜捨・布施」ですが、音訳では「檀那/旦那」です。前者は「檀家」に通じ、後者は、文字通り「旦那さん」に通じますが、上記のように、やはり仏教では「在家から出家者へ」の方向性のイメージが強いようです。
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話を今回のテーマ「障害者と健常者とは?」に戻します。
冒頭で述べましたように、「障害者や虐め問題など弱者救済に幼少から関って来た人間の意見」として、以下を御理解いただきたいのですが。

そもそもの人間の「脳機能・精神構造」のことに関しても、前述しましたように、「まだ殆ど分かっていない」と当事者が言うほどですから、その「障害」についても全く初歩的な段階なのです。更に「弱者救済・社会的包摂」と言っても、果たして「現行の常識的社会の社会性が規範で良いのか?」というテーマに関しては、ようやくこの二三年、異論反論が出始めた段階と認識します。

そのような状態の中で、「低機能・高機能」が「一概に線引き出来ない」という批判に加え、様々な問題が複雑に絡み合っていることも踏まえて、「シンドローム(Syndrome)」などに改められ、更には、その時点で「グレーゾーン」についての疑問や曖昧さが問われていたことを受けて、とうとう「Spectrum」などという都合の良い言い逃れに至ったのは、たったの十年二十年のことなのです。

、「シンドローム(Syndrome/症候群)」に関しては、「専門分野に特化して分化した近現代西洋化学対処療法」が行き詰まりながらも、さりとて「東洋医学の全身医療」にすんなり変身も出来ないが為に言い出した「苦し紛れの誤魔化し用語」とさえ言えるかも知れないのです。要するに「症候群」としておけば「何がどう発展・付随しようが、その範疇を広げておけば問題ない」ということで、究極は「全身医療の観念」を認めざるを得ないことの「一時凌ぎ」なのです。
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3)スペクトラムという語彙のいい加減さ。現代人はある程度皆病気
今回特筆すべきは、近年言い換えられた「Spectrum(域、領域、連続体)」という語彙のまやかしについてです。
結論から言えば、この連載でこの一年、何度もお示ししています「精神構造図(本来の健康状態と現代人の病んだ状態)」で説いて来ていますように、そもそも現代社会の常人(健常者)とて、決して「正常・健康」とは言えない。つまり「(誰しもが)Spectrumの住人」に違いないだろう、ということです。
ただ、「心(及び思考)のテーマ/心の問題/心の病気」は、専門家も含め、「永遠の課題」かも知れませんが、「内科・外科」のように、「自他共に認識する症状が分かり難い」という大問題があります。周りが「おかしい」と思っても進言しても、「本人」が「おかしくない」と思っていればそれまでですし、「治療(健康状態へ戻す・修正)」もまた、当人にその目的・意識が無ければそれまでです。
しかも、この数十年「心の問題」は、極端な言い方をすれば「治す気が無いんじゃない?」とさえ言いたいような「現状追認=認め、いたわり許し、癒す」ことが主流になっています。もしくは、真逆の「強引に社会性を持たせる方向性」です。

更に昨今「私は病気=可愛そう=許され守られ労わられるべき存在」という観念で、自ら「発達障害だ」と言い出す人が増えてきました。
「病気だと思いたくない人」「病気だと思いたい・言いたい人」そして、そのどちらをも「いやわり癒すことばかりの専門家」
この極端な偏った状態で、果たして改善されるのでしょうか。
そもそもこの「偏った状態」こそが、元凶なのではないでしょうか。
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4)持続性の紐の上の何処に自分を置くか?という論理思考が不可欠

もっと基本的なことを言えば、
これも既に説きましたが「人間(生命体)は誰しも相反する要素を併せ持つことで恒常性を保っている」のですから、今回のもう一方の図のように、「病気であるか否か」以前に、むしろ「健康(恒常)であるために」、「個性的⇔社会的」「独創的⇔協調性」の「両極端の帯の上」の「何処にいるか?」の違いでしかないのが「そもそもの人間」なのです。

極端な話、
「両極端のグラデーションの帯の上の何処にいるか?」の問題ではなく、
「一時何処に居ようとも、常に自在に位置を変えられるバランス力を持っていること」が
本来の「真っ当=健康」である筈です。

それが「或る程度前者に偏ると『おかしい』『病気?』と言われる」というおかしな話で、もし「価値観」が逆転すれば、現代社会の「真っ当な常人(健常者)」は、
「自分を殺し・向かい合わず・失ってまで他者に合わせ・社会に合わせる=異常性格者」ということになります。
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この話に関連して、40年前から良く語っていたことですが
アフリカ中部のエスニック調のロックバンドのライブ映像を見て驚嘆したのですが、盛り上がる聴衆の「踊り」「手拍子」が、みなバラバラなのです。
無論、「百人が百様」ということは在り得ませんから、大概数パターンなのですが、少なくとも「誰しも周囲とは異なる動作」なのです。「合わせたくない」「ひと(周囲の他人)と同じだと『自分を失ったようで嫌だ』と考えているに違いない」と、私は感動を抱いて決め付けたのです。
それに対し、日本のコンサートでは、数千人が「同じ手拍子」「立てば立ち」「踊れば踊る」。

「ひと(周囲の他人)と違うと『変と思われるから嫌だ』」と考えているに違いない訳です。
「国民総自意識過剰国」のごとくです。

もしかしたら日本人は、「世界で最も病んだ人種」なのかも知れません。
同じことが「究極のファシズム(正確にはファシズムではなく全体主義ですが)音楽であるオーケストラ」が、有色人種では日本が最も優秀と認められています。しかし、インド亜大陸とアフリカ諸国では聞いたことがありません。

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何時も最後迄ご高読をありがとうございます。

福岡市南区の自宅別棟楽器倉庫の教室では、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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シーズインディア支援事業より、クリスマスのご挨拶

シーズインディア支援事業へご協力をいただいております皆様、温かいご支援をいただき誠にありがとうございます。
シーズインディアより、クリスマスのご挨拶が届きました。
今年は、豪雨災害後に蘇った田んぼの写真が添えられていましたので、掲載をさせていただきます。

8月に起きた豪雨災害後、農地は瓦礫や割れたガラス、プラスチック片などが溢れ、土壌もひどく汚染されていました。

女性8人で結成されたチームでの作業によって、現在は稲作が出来るまでに蘇りました。
2月過ぎには始まる夏の間に、雨水をうまく利用できるよう、用水路も作っています。

お米を主食としているケーララ州は、絵になるような田んぼが広がり、とても自然の美しいところです。
復興には長い時間がかかりますが、こうして母なる自然をいたわることから歩みを進めています。
田んぼが広がる美しい自然の中で暮らす子どもたちの姿も、再び見られるかもしれません。

シーズインディアのあるケーララ州は、今年は豪雨災害に見舞われ、厳しく大変な一年となりました。
しかし、皆様の温かいご支援に支えられ、より良い社会のために歩みを進めています。
現地より、皆様への心からの感謝と、皆様の新しい一年が幸せに満ちるよう、祈りをお預かりしております。

いつも温かいご支援を頂き、改めまして心より御礼申し上げます。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

ヨーガ・スートラ第3章第49節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


सत्त्वपुरुषान्यताख्यातिमात्रस्य सर्वभावाधिष्ठातृत्वं सर्वज्ञातृत्वं च॥४९॥
Sattvapuruṣānyatākhyātimātrasya sarvabhāvādhiṣṭhātṛtvaṁ sarvajñātṛtvaṁ ca||49||
サットヴァプルシャーニャターキャーティマートラスヤ サルヴァバーヴァーディシュタートリトヴァン サルヴァジュニャートリトヴァン チャ
サットヴァとプルシャの相違の識別知に徹したならば、あらゆる状態の支配とあらゆる知識が生じる。

簡単な解説:前節において、感覚器官の支配が可能になると、心のような迅速性や肉体的な感官を使わずに知覚し得る能力を獲得し、世界の根元を支配すると説かれました。本節では、サットヴァとプルシャの相違を認識することに達成したならば、あらゆる状態を支配する力と、あらゆる事象を知る力が生じると説かれます。

第37回グループ・ホーマ(ダッタートレーヤ・ジャヤンティ)無事終了のお知らせ

第37回グループ・ホーマ(ダッタートレーヤ・ジャヤンティ)にお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

ダッタートレーヤ神を礼拝する第37回グループ・ホーマは、12月22日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

第37回グループ・ホーマの実施内容はこちらよりご覧いただけます。

運命改善には、複合技が効く2

2018年もあっという間に終わってしまいますね。
以前「運命改善には、複合技が効く」という題でルドラークシャとヤントラなどの併用をお勧めさせていただきましたが、今回は別の切り口でお話をさせていただきたいと思います。
たとえば結婚のプージャーをしたが、効果が今一つ感じられないとか、金運上昇のホーマを頼んだが思ったほどは上昇しなかった、ということがあるかもしれません。
本来インドで専門家によって行われるプージャーやホーマの力は非常に強力です。十分な結果が出なかったというのは、プージャーやホーマの効果が薄かった、ということではなく、解消すべきいわゆるカルマが重すぎて、十分な効果が得られなかったというのが、本当のところだと思います。
このような場合、比較的簡単に効果をアップする方法があります。
皆さま、お正月は初詣に行かれる方が多いと思います。その寺社には、初詣以外にも足を運ばれていますか?
ご自宅や職場のお近くの寺社などに月参りなどをされていると、運気自体はかなりあがると思います。
インドの寺院に気軽に参拝できない私たちにとって、日本の寺社に参拝するということはインドの寺院参拝に近い効果を得られるという意味で、お勧めです。
仏教の仏たちはヒンドゥー教から取りいれられたものも多いですし、神道はヒンドゥー教と同じくアメニズムをそのルーツにしています。相性は悪くないはずです。逆にプージャーの効果の底上げが大いに期待できます。
厳密には相性悪い場合もなくはないのですが、非常にまれなケースですし、ご自身がお気に入りの寺社があるなら、ご自身が選ばれるプージャーの神格との相性は何となく感じられると思います。
何よりも併用して効果が上がったのであれば、それは相性に問題のない証拠でもあります。
寺社の参拝の作法に関しては、趣旨が変わってしまうので、このコラムでご紹介はいたしませんが、ご自身で調べていただきよかったら2019年の初詣を機にインドのプージャーとの併用を試し、効果の底上げを楽しんでみてはいかがでしょうか?

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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2019年のプラドーシャ

プラドーシャは、月の満ち欠けのそれぞれ13日目にあたり、月に2度訪れるシヴァ神を讃える吉兆な時にあたります。プラドーシャは夕暮れを意味し、特に日没の前後1時間半が吉兆と信じられ、夕暮れ時には数多くの寺院でシヴァ神に捧げられるプージャーが執り行われます。

プラドーシャには、乳海撹拌にまつわる神話があります。不死の霊薬であるアムリタを得るために、神々と悪魔が協力し、海を撹拌したと伝えられる乳海撹拌では、霊薬であるアムリタだけでなく、猛毒であるハラーハラも生み出されてしまいます。世界を救うために、その猛毒であるハラーハラを飲み込んだのがシヴァ神でした。シヴァ神が猛毒に倒れたとき、妻のパールヴァティー女神は、シヴァ神の首を押さえ、猛毒は喉で止まりました。シヴァ神の首は猛毒で青くなり、後にニーラカンタ(青い首を持つ者)と呼ばれるようになります。

神々は、パールヴァティー女神のおかげで一命を取り留めたシヴァ神の回復を願い、集いました。意識を取り戻したシヴァ神は、神々が集う嬉しさのあまり、アーナンダ・タンダヴァムの踊りを舞います。この時が、プラドーシャであると信じられます。

すべての神々が集い、シヴァ神がアーナンダ・タンダヴァを舞うプラドーシャの吉日に、シヴァ神への礼拝を捧げることで、平安、至福、解放が授けられると信じられています。このアーナンダ・タンダヴァの礼拝は、15日間(半月)に犯されたすべての悪い行いを取り除く非常に効果のあるものだとも伝えられます。

また、プラドーシャは、重なる曜日によって、月曜日はソーマ・プラドーシャ、火曜日はバウマ・プラドーシャ、土曜日はシャニ・プラドーシャと呼ばれます。月曜日のプラドーシャはシヴァ神からのとりわけ大きな恩寵、火曜日のプラドーシャは病からの解放、土曜日のプラドーシャは土星の悪影響を軽減する恩恵が授けられると信じられます。

2019年のプラドーシャをご紹介いたします。

1月3日(木)
1月19日(土) シャニ・プラドーシャ
2月2日(土) シャニ・プラドーシャ
2月17日(日)
3月3日(日)
3月19日(火) バウマ・プラドーシャ
4月2日(火) バウマ・プラドーシャ
4月17日(水)
5月2日(木)
5月16日(木)
6月1日(土) シャニ・プラドーシャ
6月14日(金)
6月30日(日)
7月14日(日)
7月30日(火) バウマ・プラドーシャ
8月12日(月) ソーマ・プラドーシャ
8月28日(水)
9月11日(水)
9月26日(木)
10月11日(金)
10月26日(土) シャニ・プラドーシャ
11月10日(日)
11月24日(日)
12月9日(月) ソーマ・プラドーシャ
12月23日(月) ソーマ・プラドーシャ

※プラドーシャの日にちは地域や慣習によって異なる場合があります。

参照:2019 Pradosham Days

神の国があるところ

聖と俗が入り混じる広大なインドの地では、生きるという人間の一途な姿が、むき出しに迫ってくることがあります。
思わず目をつぶりたくなるその瞬間には、今でも学ぶことが尽きません。
しかし、さまざまな思想が多様に混在する社会が、調和と均衡のもとで、目をしっかりと開くことの意味を教えてくれました。

主となるヒンドゥー教徒だけでなく、イスラム教徒やキリスト教徒も多いインドでは、それぞれの宗教に基づいた祝日が定められています。
クリスマスも、その一つです。
そうして異なる思想が生きる社会は、より明確に、その中心を見せてくれるようでした。
そんな中で、聖書には次のような言葉があります。

ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねた時、イエスが答えた言葉です。

「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ルカによる福音書 第17章20-21節)

さまざまな解釈がなされるイエスのこの言葉は、インドの地が伝えてきた霊性を育む数々の教えに重なるものでした。
それは、今にいること、気づくこと、委ねること、受け入れること、手放すこと。
まさに、幸せに生きる実践そのものです。

苦しみに満ちる日々において、私たちは救いを求めます。
幸せはどこにあるのか。苦しみはいつ終わるのか。
しかし、そう思い続ける限り、苦しみは終わらず、幸せを手にすることはできないということを、混沌としたインドの地でただ生きようとする人々の姿が教えてくれました。

見える形に幸せを求めがちな私たちは、大切なものを見失いがちです。
この大きな世界に育まれながら、一つひとつの呼吸が生まれること。
見えないその瞬間の力に気づくことは、何よりも大きな幸せであるということを学びました。

私たちを取り巻くその恩寵に気づく時、神の国の中で生きることができるに違いありません。
宗教を超え、神とともに生きる人々の姿が織り成すインドの地に、これからも学び続けたいと思います。

(文章:ひるま)

2019年のシヴァラートリー

シヴァラートリーとは「シヴァの夜(ラートリー)または吉兆の夜」という意味です。シヴァラートリーは、毎月、満月から13日夜/14日目にあたります。しかし、特にパールグナ月(マーガ月となる地域もあります。2月~3月)のシヴァラートリーは、マハー・シヴァラートリーと呼ばれ、一年の内でもっとも神聖な夜として知られています。

この夜、シヴァ神の信者たちは、断食をし、睡眠を絶ち霊性修行に励みます。シヴァラートリーは、月が満月から新月へと変化する境目です。充ち満ちた欲望(月)がやがて消滅していくように、満月から新月へと変化するシヴァラートリーの日に霊性修行に励むことで、欲望を滅し、解脱へと至る精神力が獲得できると信じられてきました。

シヴァラートリーの日は、シヴァ神を崇めるもっとも神聖な日です。この日には、シヴァリンガムを崇めたり、あるいは、シヴァ神の御名やルドラムを唱えたり、バジャンを歌ったり、瞑想を行うことがすすめられています。またルドラークシャを身に着けるのにもっとも適した日であるとも言われています。シヴァ・パンチャクシャラ・マントラ(オーム・ナマ・シヴァーヤ)も、この日に唱えることで、大きな功徳をもたらすといわれます。

2019年のシヴァラートリーをご紹介いたします。また、2019年のマハー・シヴァラートリーは、3月4日となります。シヴァ神を礼拝する吉兆な月曜日に重なります。

1月4日(金)
2月3日(日)
3月4日(月) ※マハー・シヴァラートリー
4月3日(水)
5月3日(金)
6月1日(土)
7月1日(月)
7月30日(火)
8月29日(木)
9月27日(金)
10月26日(土)
11月25日(月)
12月24日(火)

参照:2019 Shivaratri Dates