サントゥール:
カシミール地方のツィター属の打弦楽器。「Sant」は印欧語族の「100(%のcentと同義)」で「Tur」へ、ペルシア語の「弦」。実際イランのサントゥールは、各音(チェスの駒のような各音ずつの駒に弦を乗せる)は「四復弦(同質・同音の弦をせばめて四本張る)」で25音在り、文字通り「100弦琴」となる。
イスラム教がペルシアを併合する前、カシミールは隣国で独立王国であったこともある。その後、ペルシアで興った神秘主義がカシミールにも伝わり、かなり信仰が厚かった。サントゥールは、その音楽「Sufiana-Q(K)alam」で重要な楽器。第二次世界大戦以降、北インド古典音楽の楽壇に登場して「ラーガ音楽」を演奏するようになったが、本来の演奏様式は全く異なる。
サンチャヤ:
心身の何処かの部分に於ける、何かの「蓄積」の総称。良い意味では「栄養・エネルギー・知識の蓄積」があるが、「代謝・循環」を由とする観念が中心なので、多くの場合「滞り」を意味し。「障害・問題・事件・病変・病原」と解釈される。
サンニャース:
出家修行者のこと。サドゥーと混同されるが、その差異については「サドゥー」の項で詳しく述べた。
ブラフマン教後期に、「反苦行」を掲げて仏教が隆盛したことは良く知られるが、同時期にブラフマン教から現われた新たな「修行スタイル」を実践したものが源流。その時代「聖人:リシ」は、あまりにハイレベルであり、遅れて隆盛した「聖者:ムニ」の多くが「苦行」に偏った。「サンニャース」は、その間を取ったような性質があった。
しかし8c.に、初代シャンカラが、独自(実は、シャンカラ没前後から弟子が分裂対立して後世かなり歪曲して伝えられている面も否めない)な「アドヴァイタ(不二一元論/梵我一如)」思想(理論)を展開し、ヒンドゥー教が黄金時代を終え、権威が失墜し、寺院も腐敗しつつあった時代に知識層に大いに歓迎された。この弊害によって、シャンカラ以前の聖者・聖人の教義・説法は殆ど不詳になってしまったり葬られてしまった。しかも、シャンカラの晩年、シャンカラ自身が理想を思い描いて構築した「東西南北・四寺組織」が、結局は、シャンカラの四人の高弟同士の熾烈な対立に至り、教義・理屈の争いから政治紛争に至るまで複雑化した。またシャンカラが構築した「10の階級」も、「形骸化・権威化」という方向に偏った。同時にシヴァ派との密着や反発も繰り返され、総合してブラフマン教・ヴェーダの叡智は、大きく湾曲して後世に伝えられることとなった。事実、その源流から考察すれば明らかに矛盾する教義の派も少なくない。
無論、単なる批評批判ではなく、その時代、「生き残ること」「対立に負けないこと」などが熾烈であったことを知るべきであろう。奇しくも、西洋哲学が崩壊の一途を辿り始めた18c.後半~19c.のドイツ哲学の様相が、初代シャンカラ以降のインド思想・哲学の姿に極似している。
「サンニャース」は、日本では「サンニャシン」などと読まれることが多い。
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私(若林)事で恐縮ですが、1987年にメジャー・デビューした「ネオ・サイケ・ロックバンド」にシタールとタブラで参加していました。壊れたシタールをソリッド&エレクトリック(当時インドには未だ無かった)に改造してイントロ・間奏でガンガンに弾いています。タブラは全面に鳴っています。
このバンド。デビュー直前迄バンド名が「サニアス」だったのですが、初めて聞いてその場で違和感を伝えました。その後「馴染みがない名称」ということで、結局「七福神」になったというエピソードがあります。高度成長期からバブル絶頂期。1980年代お笑いタレントなども勝手にアジア・アフリカの実在の国名地名などを芸名にしていた(やったもん勝ちの)時代です。それでも当バンドは音楽的にもメッセージ的にも真面目に高みを目指していたところがありました。是非、聴いてみて下さい。
サプタ:
「七」の意味。古典音楽では「サプタ・スワル=ドレミファソラジドの七音」
「サプタク」古典音楽に於ける「オクターヴ(ドから上のド迄)」の意味。(※)
ヴェーダ科学(物質論)では「サプタ・ダートゥ=七要素」などで用いられる。
そもそも西洋の「オクターヴ」は、「ドからドまでの八度(Oct=8)」の意味だが、インド音楽では「サプタク」=「ドからシの七度(Sapt/Sept=7)」の意味なので「サプタク=インド音楽に於けるオクターヴのこと」と言うのは、本来奇妙な表現でもある。
サラジュ:
科学音楽~古典音楽のドレミの「ド」のこと。「基音」であり、「基音持続法(英語でDrone)」が欠かせないインド音楽に於ける「重要伴奏音」でもある。「サラジュのラ」は、「(日本人向けに言うと)ラとダの間の発音」で、ローマナイズでは「Dの下に点」で現すため。「サダジュ」と表記したり、聞こえる日本人も少なくない。
サーランギー:
北インドの民謡~古典音楽の弓奏楽器。「Sau」は、「百」、「Rang(Ranj)」は「彩り」で、「百の音色を出す楽器」の意味。18世紀に、花柳界歌謡だった「Kayal」が宮廷古典音楽の楽壇に登った際に、その伴奏楽器として昇格し、その際に「大型で共鳴弦が増した」。これを現地では「Classic-Sarangi」と呼ぶ。
民謡では、特にラージャスターン地方の世襲大道芸人一族の音楽で重要な楽器で、八種ほどあり、専ら三種を合奏で用いる。
サラスワティー:
インド文化に興味を持ち始めたばかりの人でも知っている「日本の弁才天のルーツ」。ブラフマン教の主要神であっただけでなく、東進したアーリヤンの故郷ペルシアでも、重要な女神であった。一説には、同格の女神との政争に敗れたのが東進の理由とも言われる。神話では、ガンジス河とヤムナー河の間を流れる「伝説の河(の女神)」とされる一方、事実として「伏流水」とも言われ、中国、日本でも「河・川・池・湖・(海)」の畔に祭られる。本来の神格を継承する一派は、弾圧によって地下に潜り、密教化し、様々な異名を持つに至った。日本に於ける別名の「妙音天」は、一般に「絶妙に美しい音楽を奏でる女神」のように説かれるが、「密教系の弁天を意味した」という説もある。この場合、インドやチベットの密教に於ける姿と同様に、むしろ厳しい荒神として捉えられる。
乗り物(ヴァーハナ)は、白鳥のハンスで、その他に孔雀の従者を伴うことは良く知られているが、「川辺の巨岩に座る」ことが極めて重要なことは、あまり語られていない。
筆者は、東日本大震災の後、五年待ってから、長年弁才天を継承して来られた、沿岸の古刹に状況を問い合わせをさせて頂いたが、復旧の見通しも予定も立っていないところが少なくないことに驚くと共に、憂慮した。復興は、人間生活の基本的なものでさえ、まだまだ道半ばなのであろうが、それとは別な次元のような気もする。
サーリンダー:
インド~亜大陸の民謡の弓奏楽器。前述の「サーラーンギー」が民謡用・古典用共に、「胴体と棹が一体化した長方形で、弓道の括れは軽くへこむ程度」であるのに対し「サーリンダー」は、胴体上部が翼を広げた鳥のような形になっていて、下部にだけ山羊皮を張り、翼の内側は大きな響き穴になっている。棹は翼の大きさに対し細く、明らかに「胴と棹」が分離している。ネパールの世襲大道芸人一族ガイネの楽器「サーランギー」は、むしろこの「サーリンダー」の系譜に在る。「サ-ランギー」と「サーリンダー」の胴にシタールの棹を取り付けた新楽器が19c.に創作され、今日も用いられているが、「ディルルバ(主に西~西北インド)」は「サーランギー+シタール」で、「エスラージ(主に東インド)」は、「サーリンダー+シタール」である。「サーリンダー」は、パキスタン領とイラン領に分かれるバルチスターン地方が発祥と思われるが、そこでは「スローゼ」と呼ばれる。
サロード:
18世紀に宮廷古典音楽の楽壇に登った新楽器。アフガニスタンからの帰化傭兵部族が与えられた、首都デリーの西、旧都ラクナウなどの地域ローヒンルカンドでアフガン弦楽器「Rubab」を改造して創作。(奇しくも筆者のシタールとサロードの兄弟師匠の先祖。筆者の師匠迄12代、面々と音楽家が継承されていた)
花柳界・修行僧・大道芸人の楽器であったシタールが宮廷音楽に登るのよりも百年早い。ルバーブは板張り指板でガット(羊腸)弦だが、それを金属指板の金属弦に替え、刻み重視のルバーブ奏法から余韻とその装飾重視のインド音楽に奏法も転換した。その際、デリー宮廷の主流派(16cの楽聖ターンセンの一族)の門下となったことが発展と隆盛を裏付けた。主弦4本に、伴奏弦2本、リズム弦2本、10本前後の共鳴弦がこの伝統スタイルの楽器で、アフガン・ルバーブの「主3、伴奏3、リズム1、共鳴10前後」より音域も広げた。従って、伝統スタイル(Trad-Sarod)は楽器の先端に六つの糸巻が確認出来る。
これに対し、Beatlesの師匠として世界的に有名になったシタール奏者ラヴィ・シャンカル氏の師匠:Ud.Allauddin Khan氏が創案した伴奏弦を4本とし全体的に大型にした「Modern-Sarod」が生まれた。流派がベンガル発祥のために「シャロッド」と発音する演奏者が多い。楽器の先端には糸巻が八本確認出来る。
サルダール:
「貴族」の意味。転じて、シク教徒の目上や名演奏家、師匠に対して敬称として用いる。シク教徒でない場合の音楽の師匠や年配者には「ウスタード(イスラム教)」「パンディット(ヒンドゥー教)」と言えば良いが、それらと一線を画するシク教の場合、言葉が無かったのを、何時の日か誰かが言い始めたのだろう。
街中でもシク教徒と見れば「サルダールジー(お貴族さま)」と呼称すると通りが良い。
サルダール・バイタク:シタールなどの弦楽器を構える際の足の組み方の一種。
サルガム:
インド音楽の階名「ドレミファソラシド」の総称。「S(サラジュ)、R(レシャヴ)、G(ガンダーラ)、M(マディヤム)、P(パンチャム)、D(ダイバタ)、N(ニシャドゥ)、S」を略し「サルガム」と呼ぶ。
古典声楽では、これで歌う部分もあり、それをも「サルガム」と呼ぶ。
ちなみに西洋では同義のものを「ソルファ/ソルフェージュ」と呼ぶが、これも「ソラファ」をもじったもの。
サートグン・ラヤ
「七の律動」に関する「リズム分割」の総称。基本は、「一拍を七等分する=七連符」だが、大概、関連の「サイズ違い」を並べるか、「七で割ったものを四で括る」などで演奏される。(単純に「七連符」が連続して演奏されるような様子はまず見られない)
前者は「2拍七連、1.5拍七連、1拍七連」などで、後者を表すと「1234567/1234567/1234567/1234567」→「1234123/4123412/3412341/2341234」となり
「元=7X4拍=28音」「変=7分の4音X7回=28音」で一致(同じ刻みの同じ拍数)する。「ドレミファソラシド」を四回歌う人の隣で「同じリズムでドレミファを七回歌うと揃う」というもの。
サート・サンガット
北インド古典音楽に於ける主奏者と太鼓の掛け合いの最も複雑なもの。サンガットは、伴奏。
20世紀初頭に隆盛した「掛け合い」は、「数拍の即興的旋律を聴き、それをリズム翻訳して太鼓で応答する=Sawal(問い掛け)-Jawab(返答)」が一般的だが、より高度なものは「(例えば)旋律の8拍フレイズの4拍目まで聴いて太鼓が答える=答えながら後半の4拍を聴き記憶する」で、もし旋律が、太鼓の後半4拍に次の問い掛けを弾けば、「Sawal-Jawab」は、「4拍ずれながら同時演奏」となる。これを「ララント・サンガット」と呼ぶ。「サート・サンガット」は、これを同時に演奏する。つまり、「旋律のフレイズを同時リズム通訳する」形である。
しかし、2000年代から、現地演奏家は、本来「全て即興であるから意味があったもの」を事前にリハーサルや練習をしてステージで大衆迎合するようになった。故に現代の「ララント」も「サート」も嘘臭くイヤラシさが際立つ。
サティヤ・ローカ:
「世界論」に於ける、最高位・普遍神の世界。
サットゥヴァ:
「純正」「神性」の意味。かなり多くの意味で様々なテーマで用いられている。
「属性論(トゥリ・グナ)」では、「ラジャス(動性)、タマス(鈍性/静性)」、と共に語られ「純性」とされる。この場合「動きもしないが止まりもしない=動くが止まる=自在=在るようで無い=無いようで在る」のような解釈である。アーユルヴェーダの「トゥリ・ドーシャ(ダートゥ)論」では、「ラジャスの亢進は、ピッタ(火・熱・消化)とヴァータ(風・運搬・伝達)を過剰にし危険」「タマスの亢進は、(決して動かない訳ではない)カパ(定着・接合・融合)を停滞させて危険」「サットゥヴァ(純性)の活性は、トゥリ・ドーシャのバランスを整える」と説き、その状態の診察を「サットゥヴァ・サーラ」と言う。重要なポイントは、古代のアーユルヴェーダでは、この診察には、「精神性・思考力」の診断(サットゥヴァ・パリークシャ)も必ず伴っていたが、近現代ではそらが形骸化している点である。例えば、「問診」は、現代医学に於いても東洋医学に於いても重要であったが、「自意識・被害者意識・比較意識(優越・劣等感)」などについて問診する現代の医者はまず居ない。ただただ「患者の自己申告=体調や症状の実感」を訊くのみである。これを「サットゥヴァ」と言うことは到底不可能。実践的、具体的には、「サットゥヴァ」は、「生命力、人間力、恒常性力、精神力、思考力、バランス調整力、安定性・不偏性力」の総合「Sattuva力」と解釈すべきであろう。
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また、西洋化学療法に於ける「高血圧治療薬」は、「タマス的」であり「低血圧治療薬」は「ラジャス的」であるが、「生薬(及びHerb)」の幾つかは「高血圧は下げ、低血圧は上げ」と「サットゥヴァ的」である。「タマス:電子」「ラジャス:陽子」「サットゥヴァ:中性子」や、「タマス:無知」「ラジャス:行為」「サットゥヴァ:知識」などと説く派もあるが、基本から外れている感も否めない。
サッチタナンダ
ヨギ、サンニャース、サドゥー、在家信者に共通の理念。三つの言葉を結合された。
それらは、「サット(サットゥヴァ:絶対実在)+チット(純粋意識)+アーナンダ(至福)」の三つと言われる。ブラフマン教以後に加筆されたヒンドゥー時代のウパニシャドに現われるとされるが、現代では様々に都合良く解釈されている。本来のサットゥヴァは、前述(サットゥヴァの項参照)したように、「普遍・不偏・不偏」のきわめて論理的で、バランス恒常能力に長けた要素(力)を言うものであり、チットも同様の論理性にバランス制御されると共に、その根本原理(宇宙原理)が転写(相似)したものであり、アーナンダは、それによって得られる「不偏・不変の安寧」であった。しかし、現代隆盛しているご利益宗教的な説法では、信者の自浄力・恒常的普遍的思考力の問題を無視して、ひたすら祈願すれば得られると説く。
現代的に言えば「サット(サットゥヴァ:不偏性)+チット(論理性)+アーナンダ(恒常性・安定性)」と説いた方がより健全と思われる。
サティヤ・ユガ
ヒンドゥー時代論に於ける、「最初の時代」BC.389万千102年からの172万8千年間。
これを「神々の時代」とする感覚は、世界神話に普遍的にある。その普遍性に於いては、「神々の時代」「神々と純粋な人間の時代」「神々から離れつつある人間が、比較的聡明な時代」「神々に逆らい混迷する人間の時代(悪魔に人間がそそのかされる時代)→世界の崩壊」につながる。「創造=破壊」のヒンドゥー観念に於いては、「世界の崩壊」の後、再び「神々の時代」に至って循環する。
この「普遍的な時代論」は、まさしく個々の人間の人生を転写(相似)している。
「神々の時代」は、「生命の神秘=神々の所業」と言っても誰も反論しないだろう、個々の人間が母胎に存在する前から存在し産まれ出る迄の時期に相当する。
「神々と純粋な人間の時代」は、乳児から幼児。反抗期迄の無垢でいたいけな人間と親の時代に相当する。
「神々から離れつつある人間が、比較的聡明な時代」この時代は、果たして現代人・幼児は、もはや様々な社会的恣意・作為を行使するから、「聡明」の意味合いはだいぶ異なっている。
「神々に逆らい混迷する人間の時代(悪魔に人間がそそのかされる時代)→世界の崩壊」これは正に、反抗期のまま、親や先祖や故郷などよりも自分の目先の問題に執着している多くの現代人の姿に他ならない。
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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。
本連載は、インドスピリチュアル・グッズweb-Shopのシーターラーマさんのご好意で長年連載を続けさせていただいております。皆様の応援も大きな支えです。少しでもお役に立てる内容がございましたら、ぜひ「いいね」の応援を下さいますよう。よろしくお願い致します。
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「インドに関係ないじゃないか!?」と思われるかも知れませんが、無論、当書では書き切れませんでしたが、「日本の楽器→ルーツ(ペルシアとインド)」の物語の背景には、「Naga-Sadhu(裸形上人)」や「Saraswati(妙音天)派修行僧」などの活躍が大であるという解釈が存在します。機会を得る度に、その核心に迫って行きますので、どうぞ応援下さいませ。
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(文章:若林 忠宏)
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