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雑記帳

ラーマ神の凱旋

眩い光が溢れるディーワーリーの祝祭は、日没が早まった秋、暗い新月の夜を照らすように祝福されます。
この夜に灯される光は、王国に戻るラーマ神を迎え入れるために、その道を照らす明かりでもあります。
ディーワーリーは、ランカ島で魔王のラーヴァナを倒したラーマ神が、アヨーディヤー王国へ凱旋する日であると伝えられます。

王国を追放され、14年間を深い森で暮らしていたラーマ神は、妻のシーター女神を魔王のラーヴァナに誘拐されてしまいます。
シーター女神を救い出すために、ラーヴァナとの戦いに挑むラーマ神のその歩みは、私たちの内なる世界でも常に起きていることです。

例えば、アヨーディヤー王国は私たちの心であり、その統治者をラーマ神と考えることができます。
しかし、私たちの心は、ラーマ神を追い出そうとすることが少なくありません。
それは、10の頭を持つラーヴァナがいるからです。

ラーヴァナの10の頭は、5つの知覚器官である目・耳・鼻・舌・皮膚(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)、そして、5つの行為器官である口・手・足・生殖器官・排泄器官(発声・操作・移動・生殖・排泄)に例えられます。
これらの働きに幻惑する心は、正義の象徴であるラーマ神を追い出し、さまざまな苦難を生み出していきます。

しかし、肉体を持って生まれた私たちが、その真の目的に向かって歩む時、ラーマ神は常に私たちの心を支配するはずです。
解脱という真の目的を見失わずに歩むためにも、与えられた日々を霊性修行の場として、大切に受け入れなければなりません。

古代から受け継がれるインドの慣習は、日々が霊性修行となる叡智に溢れています。
ディーワーリーの前には、女神を讃えるナヴァラートリを通じて、心身を浄化する期間がありました。
そうして今、私たちは清らかな心身で、正義の象徴であるラーマ神を迎え入れようとしています。
季節の巡りに調和しながら、毎年こうした祝祭を祝う時、私たちは光の道を踏み外すことなく歩むことができるはずです。

今年もまた、ラーマ神の凱旋を祝福することができるように、自分自身の内に光を灯す努力をしたいと感じます。
皆様にも光がありますように、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

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