神々への供物として広く捧げられるものに、ココナッツの実があります。
ココナッツは「神の果実」を意味する「シュリーファラ」とも呼ばれ、広大なインドの各地で神聖視される果物のひとつです。
硬い実の中に清らかな水を湛えていることから、もっともサットヴァな果物と見なされ、純粋の象徴として捉えられます。
祈りの儀式においては、そんなココナッツを割って神々に捧げる行いが見られます。
生活を支える基盤が現代のように整っていなかった古い時代において、長期に渡り保管可能なココナッツは、必要な時に神々へ捧げることができる唯一の果物であったといわれます。
ココナッツが豊かに実る常夏の南インドでは、こうした理由から、神々へココナッツが捧げられていました。
それがインド全土に広まった理由は、一説に、アーディ・シャンカラーチャーリヤによるものと伝えられます。
南インドに生まれた偉大な師であるアーディ・シャンカラーチャーリヤは、8歳で出家をした後、インド全土を巡礼します。
その時、インドの一部では、ナラバリという、人間を生贄として神々へ捧げる風習があったといわれます。
アーディ・シャンカラーチャーリヤはこの風習を止めさせたく、ココナッツを代わりに捧げることを広め始めたといわれます。
ココナッツは、人間の頭に似ています。
外側の繊維質は髪の毛、硬い殻は頭蓋骨、内部の水は血液、白い胚乳は脳のようです。
そして、硬い殻は個々が破壊すべき自我意識であるといわれてきました。
ココナッツを割って神々に捧げる行いは、神との一体を阻む自我意識を破壊し、永遠の至福に至ることを意味します。
そんなココナッツには、3つの凹みのようなものがあります。
3つの凹みは、第3の目を持つシヴァ神のようであり、破壊神としてのシヴァ神に自我意識を破壊することを祈る意味もあるといわれます。
しかし、神々は真心が込められたものであれば、一枚の葉でも喜んで受け取ると伝えられてきました。
日本では、ココナッツを入手することが難しい場合もあります。
ココナッツでなくても、偽りや飾りのない心を神々へ捧げ利己的な思いが消滅する時、私たちは永遠の至福である崇高な存在と一体になることができるはずです。
(文章:ひるま)
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