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雑記帳

ヨーガ的生活

リシケシに戻ってくると、私はまずは集中したヨーガの練習に入ります。といっても、ここのそれはエクササイズ的なものとはちょっと違います。
私が今いるアシュラムでは、パタンジャリのアシュタンガヨーガに従った生活を務めます。それは、ヨーガ・スートラに記された八つのステップでサマディへと向かうもの。ここでの生活に入ると、それはもう驚くほどに身も心も軽くなるのです。
ここでは、「欲しい物」ではなく、「必要な物」しか持ちません。言わば私のヨーガの生活は、このインドへの出発の準備から始まっています。本当に必要なものだけに絞って、バックパックへと荷物を詰めていくのですが、最近のその荷物の少なさには自分でも驚くくらい。これだけの荷物で半年を過ごせるのだから、自分の部屋にあるあの荷物はいったい何のためなのだろうと、今ここにてそれ思い出すだけで、なんとなく心が重たく感じます。そういった「物」の管理や手入れに忙しく、日本ではいつも心が落ち着かないからです。
パタンジャリのヨーガ・スートラの中で述べられていたのがまさにそれで、物を持つことによって執着心が生まれ、何でもないことにも悩み始める、それが苦しみを生む要因となるということです。物を持てば、壊れたり無くなったり、その度に心を煩わせねばなりません。物だけでなく、それは社会的な地位や名誉もそうだと言います。自分はこうであるとか、こうでいないといけないとか、そういった思考が自分を苦しませます。
 実際、物がない生活は、自分自身を磨くとても大切な時間ともなります。まな板をあまり使わないインドでは、手がまな板代わり。ナイフさえあればもうどこでも料理ができるようになりました。電気がない夜は、ろうそくに火を灯してじっと座ると、瞑想にぴったりの空間が生まれます。物がないこと。それは持たないことだけではなく、物がない状況を受け入れ、満足することも大切だったりします。
 これが、ヨーガ・スートラに出てくるアパリグラハとサントーシャです。その他にも、パタンジャリはヨーガスートラの中で、生活の指針となるべく多くのことを述べています。スートラを読むだけでは理解できない事柄も、毎日の出来事一つ一つがきちんと教えてくれるインドの生活。行いの全てをヨーガとするというのはまさにこのことで、その叡智の素晴らしさに驚嘆する日々を過ごしています。
(文章:ひるま)

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