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雑記帳

バクティ・ヨーガの教え

宗教を超えた信仰のあり方に、バクティ・ヨーガの実践があります。中世のヒンドゥー教において盛んとなったバクティ・ヨーガは、献身的な礼拝、絶対神への帰依、信愛や奉仕を特徴とし、近代の代表的聖人であるシュリー・ラーマクリシュナ・パラマンサの生き方にも見ることができます。長きにわたり偉大な信仰の規則に順々と従いバクティ・ヨーガを実践し続けたラーマクリシュナは、そこで完全な悟りの境地に到りました。ラーマクリシュナの人生は、言葉では証明することが難しいバクティ・ヨーガの本質を明らかにし、それがサマーディに近づくための、とりわけ優れた方法であることを伝えています。

ラーマクリシュナは、自己を放棄し、俗なるなものとの繋がりを断ち、願望を捨て、神へ無条件に身を委ねる必要があるバクティ・ヨーガを、あらゆる修行の中でもっとも容易で直接的なものであると考えました。しかし、それが一番難しいと感じる人もいるでしょう。バクティ・ヨーガは、明瞭で定まった心を持つ人にとって実践しやすいものであり、どんな人でも容易に実践できるものではないかもしれません。集中(ダーラナ)、瞑想(ディヤーナ)、三昧(サマーディ)を同時に実践するバクティ・ヨーガやラージャ・ヨーガにおいては、主体は自分でなく、神という全体であり、そこで自我が完全に消え去る、究極の境地に到ります。

バクティ・ヨーガは、思考ではなく感情に働きかけるものであり、私たちの心に深く浸透します。それは、感情を壊すと同時に、感情を育むことでもあります。自己を制しながら欲望を超越しようとする教えは、時に強い反応を生み出しますが、バクティ・ヨーガは、神への愛に夢中になることで苦しみを生み出す欲望が自然と消え去ります。

バクティ・ヨーガは、宗教を持たない人にも、信仰を育むシンプルな方法となるでしょう。バクティ・ヨーガの思想は、他のヨーガに比べ、西洋文化により近いものかもしれません。本質的な部分は同じであり、バクティ・ヨーガに似たライフスタイルが西洋の宗教の慣習にあるためです。

バクティ・ヨーガの教えを説くバガヴァッド・ギーターで、クリシュナは次のように語っています。

「私に意(こころ)を向け、私を信愛せよ。私を供養し、私を礼拝せよ。あなたはまさに私に至るであろう。私は必ずそうなると約束する。あなたは私にとって愛しいから。」
(バガヴァッド・ギーター第18章65節、上村勝彦訳)

職業、性別、年齢にとらわれることのないバクティ・ヨーガの教えは、宗教の枠を超えて、いま世界中に浸透しています。

(SitaRama)

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