スピリチュアルインド雑貨SitaRama

雑記帳

生きる力

ヨーガの聖地、リシケシは、菜食の街としても知られています。街は動物性のものを一切禁止し、どのレストランに行っても、菜食のメニューしか見かけません。動物を殺傷する時に出る負のエネルギーというものは相当なものだと言われています。また、リシケシの多くのアシュラムでは、にんにくや玉ねぎも禁じています。これらは身体を過剰に刺激し、心を落ち着かなくするラジャス的(激質)な食べ物とされているためです。そういったものが無いリシケシの街なので、ここはいつだって平穏です。
そして、インド料理に欠かせない食材の一つに、豆(ダル)があります。宗教的に菜食の人が多いインドでは、豆は貴重なたんぱく源とされており、豆料理は多岐に渡ります。この豆料理が大好きな私を見て、先生は「体の声をしっかり聞いて生命エネルギーに溢れている証拠」と一言。豆と生命エネルギー?先生は続けて、「お肉を土の中に埋めると腐ります。しかし、豆を土の中に埋めるとどうなりますか?…芽が出てきます。」これと同じことが、体の中でも起こるというのです。
死というエネルギーを取り入れないこと。そして、生きようとするエネルギーを取り入れること。ヨーガを行っていると、不思議と動物性の食品を体が欲していないことに気づきます。集中的な呼吸法や深い瞑想によって、ヨーガの練習中は、体に起こる微妙な変化を敏感に感じるようになります。心臓の鼓動、血液の流れ、体を温めようとする力。体全体が生きようとしていることがひしひしと伝わってくるのです。
感覚器官を自由気ままに働かせておくと、過去に経験した心地の良いものを求めて心はさ迷い出て行きます。美味しいものは舌だけが欲していて、体が欲しているわけではありません。体が欲しているものは、生きるという力です。
古くから伝わるヨーガのプラクティスには、体の浄化、そして心の浄化が必須です。体にも心にも不純物というものが一切なくなったとき、ヨーガの最終的なゴールであるサマディ(悟り)に辿り着けるといいます。ある時、「体への薬は食物、心への薬は瞑想」と言われたことがありました。食物を通して生命エネルギーを体に取り入れ、瞑想をして心を養う。ここでは食事をすることも、もちろんヨーガなのです。
(文章:ひるま)

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