自分の中に幸せを見つける。自分の中に全てはある。そういったヨーガの教えを理解するのは容易なことではありません。分かりやすくよくたとえ話としてあげられるものに、こんなものがあります。
ムスクというお香の原料は、ジャコウジカ(麝香鹿)という鹿の持つ麝香腺から採取されます。成獣の雄は、雌を引き付けるためにこの麝香腺から麝香を分泌するのだそうです。
ジャコウジカの雄は、どこからか漂うよい香りの源を求めて、森じゅうをさまよい続けると言います。その香りの源が自分だと、決して気づくことはなく。
私たちは、このジャコウジカと同じです。幸せや良いものというのは、自分の中から生み出されるものです。そして真実、その全ては自分の中に存在しています。それにも関らず、どこに幸せはあるのだろう、どれが良いものだろうと、目に映るものや聞こえるもの、感じるもの、そういった外の世界にあるものに私たちは答えを見出そうとしています。
瞑想の時間、ただじっと座り静かに目を瞑るとき、そこにある内側の世界には、何を比べることもなく、自分という存在、そのひとつのものしかありません。その存在が不確かなものであると、目に映るもの、聞こえるもの、感じるもの、そういった感覚に左右され、自分の周りに起こる出来事によって、心は一喜一憂、いつも定まらずにいます。変化を続ける外界のものに幸せを見出すことで、その変化に心は休まることがありません。
瞑想は、そんな落ち着かない自分の内側の世界を強く確かなものにするために、見つめながら大切に育てていく手立てです。心を落ち着かせることは、たったの5秒ですら難しく、そしてただ座るということも、体は痛くこんなにも退屈で仕方がないものなのかと、慣れないうちはじっとすることさえ苦痛に感じます。ただ、その心と体、そこに起こる感覚というものを少しずつ理解し、収められるようになってくると、それは自分にとって最も大切な友となります。
私たちがジャコウジカと違うのは、こうして自分の内側を見つめることができ、そしていつしか、幸せは自分の中から生み出されることに気づくことができるということです。私たちは、そんな偉大な力を持っているのです。
そして、瞑想に集中できるその時間と場所があること。ここで、そのことに感謝をしながら過ごす毎日です。
(文章:ひるま)
雑記帳
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