人生の荒波の中で浮き沈みを経験する私たちは、世俗的な課題や問題に思い悩むことが少なくありません。
しかし、その過程では、あらゆる物事が師となり、私たちを向かうべき場所へと導いています。
その美しい例えに、スールダースとグル(導師)の神話があります。
16世紀の詩人であるスールダースは、盲目で貧しくも、クリシュナ神への深い信仰から生まれる美しい詩句により、偉大な詩人として崇められる存在です。
そんなスールダースは、かつて、霊性を高めるために師の教えを得ようと、あるグルを訪ねたことがありました。
そのグルは、スールダースに怒りという欠点があり、それが霊性の向上を阻んでいることを見抜いていました。
そこで、まず1ヶ月間、神の御名を唱えた後に身を清めてから会いに来るように、グルはスールダースに伝えます。
その1ヶ月を終え、グルを訪ねようとした時、スールダースは道を掃除していた掃除人に衣服を汚されてしまったことに気がつきます。
スールダースは掃除人に激しく怒りをぶつけながら、再び身を清めて出直しました。
そんなスールダースに、グルはもう1ヶ月、神の御名を唱えてから来るように伝えます。
更なる1ヶ月を終えてスールダースがグルを訪ねようとした時、同じことが起きました。
スールダースは再び怒り、同じように出直します。
しかし、グルはもう1ヶ月、神の御名を唱えてから来るようにと伝えました。
そうして1ヶ月を終え、スールダースが再びグルを訪ねようとした時、またしても同じことが起こります。
しかしその時、スールダースは怒りを感じませんでした。
代わりに、怒りを克服する方法を示してくれた掃除人を自分の師として崇めました。
その後、スールダースがグルを訪ねると、グルは弟子としてスールダースを受け入れたと伝えられます。
私たち自身、日々の生活において、スールダースのように怒りを感じるさまざまな状況に直面します。
しかし、グルの教えに従い神の御名を唱えたスールダースは、怒りを完全に克服することができました。
そんなスールダースは、掃除人を自分の師として崇めるほどでした。
この神話に見られるスールダースの姿は、日々において直面するあらゆる物事が、自分自身の欠点を認識し、克服する機会としてあることを伝えています。
それを理解するためには、スールダースがグルに示されたように、神の御名を唱えることが必要です。
そうして崇高な存在を中心に日々を感謝とともに過ごす時、私たちは起こり得るあらゆる物事をグルとして崇め、成長することができるに違いありません。
そうすれば、自分自身の本質を知るための大切な機会として人生を受け入れ、完成に向けた道を着実に歩んでいくことができるはずです。
(文章:ひるま)
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