ここで過ごす行いに集中した日々は、多くの大切なものを気づかせてくれるように常々感じています。この度の移動の中でも、まるで一瞬一瞬が勉学の場にあるように、非常に多くのことを学び、様々なものを見せられました。
行いの大切さは、インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」の中でも、特に強く説かれるものです。そして今、とりわけ強く感じるのは、この動き続ける生活の中で見える自分自身と全体との、その深い繋がりです。
日々の様々な行いの中で、感謝や祈り、そして様々な想いが、時や形は異なっても、確実に自分のもとへと返ってくることに驚きを感じることがあります。その中で、私はこの世界に生かされているのだということを強く実感し、そして必要なものが与えられることに、ただただ謙虚さと感謝の念を抱いています。
バガヴァッド・ギーターは述べています。
祭祀とともに生類を創造し
かつて造物主は言った
「これによって 成長せよ。
願望はすべて叶えられるであろう」
祭祀により 神々は豊かになり
神々もまた 人を豊かにする
互いを想い 養いあって
人は 最高の境地を得るのだ
(3章10−11節)
私たちが生きる日々の生活においては、全ての行いを神々への捧げ物とすることが、祭祀のための行為ともなり得ます。事実、ここにいて神々に全てが定まった時ほど、自分自身の内に平安と至福を見つけることはありません。そして、私たちはその全体と個の繋がり中で生かされ、調和を生み出しているのだと実感します。生きる日々を通じ、その繋がりを深め堅く結びつける行いの中で、人はどんな時も最高の境地へと達することが可能なのだと感じています。
それを思えば、この日々を生きることはどんなものよりも美しく、そして感謝に満ちたものとなり変わります。陽の光を浴びること、大地を踏みしめること、呼吸をし、そしてこの空間に存在すること。それが何よりもの至福であることに個々が気づき、そして感謝を捧げる中で、全体である世界はただ平安に落ち着くのだと確信します。
一つ一つの行いを丁寧に、そして大切に全うする今、自分自身に起こりうるあらゆる物事を通じ、全体と個は常に一体であること、それを何よりも強くこの瞬間に見ているように思います。
(文章:ひるま)
雑記帳
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