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ラーマ・ナヴァミー2012

正義や美徳である「ダルマ」の象徴として崇められている神、それがインドの叙事詩ラーマーヤナの主人公であり、ヴィシュヌ神の化身でもあるラーマです。今、そんなラーマが誕生した日が近づいています。ヒンドゥー教の暦でチャイトラ月(3月から4月にかけて)の新月から9日目がその誕生の日として知られ、今年は4月1日がその日にあたります。
この降誕祭は、新月から9日間に渡り寺院やアーシュラムにおいて叙事詩ラーマーヤナが読み上げられ、あちらこちらでサットサンガ(講和)が開かれます。人々がラーマの名を詠唱し、バジャンやキールタンが響きるこの9日間、敬虔な信者たちの多くは断食をして過ごします。
感覚を制御し、自分自身を見つめ直すことでもある断食は、神との一体を強めるばかりでなく、この時期に特定の食物(そば粉、じゃがいも、乳製品など)だけを限られた時間に取る断食を行うことで、冬の間にため込んだ毒素が抜かれ、酷暑の夏に向けた体へと整えられます。神が生み出す自然のサイクル、それが、インドの生活にはいつの時も共にあります。
また、この誕生の日はラーマとシーターが結婚をした日としても知られ、多くの家庭は二人の像を飾り、日中の間断食をして過ごした人々が夜には家族一緒になって愛らしい像を囲んで祈り祝福します。これがまさに、今日失われているラーマの象徴を表していると気づかされます。
正義や美徳といったダルマそのものでもあるラーマは、この日に家族を繋ぎ合わせます。社会福祉を誰もが存分に享受できるとは限らないインドでは、人と人との繋がりがとりわけ重要な意味を持ち、家族からそれは社会へと、生きていく上で何よりも必要なものとして、その絆を人々は深く信じています。
日本を離れここインドに一人で身を置きながらも孤独だと感じることがないのは、どんな時も人々が助けの手を伸ばし側にいてくれるからであり、不安や恐れを抱くことがないのも、その存在があるからだと感じます。困難が生じた時に支えとなるのも人であり、幸福を共に喜びあえるのも人の他にないと、その最も大切な事実を教えてくれたのも、ここインドの人々と共に過ごす日々でした。
人々のお互いを思う気持ちは、一人一人の自我を鎮め、全体との間に一体を生み出していきます。その正義や美徳が与える波が、家族から社会へと大きく響いていく事実を目の前にしながら、あらゆる絆が薄まり不安定な社会である今、私たちはその重要さに気づくべきなのだとここで実感しています。
このラーマ・ナヴァミーを迎えるまでの9日間は本当に美しいものです。響き渡るラーマを讃える讃歌、その神の名、家族が共に過ごす夜。忘れてはならない一番大切なことを、インドではこうして、いつの時も神々が私たちに教えてくれるような気がします。
(文章:ひるま)

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