シヴァ神へと捧げられるこのシュラーヴァナの月に、その偉大な教えに改めて耳を傾け、自分自身の中で深く考える日々を過ごしています。そして、日々の生活の中でふと雑に過ごしてしまう瞬間があることを思い出すと、ヨーガが事細やかに語られる経典・シヴァ・サンヒターの中の言葉を思い起こします。
「行いから得た肉体がニルヴァーナ(涅槃)を得る手段となる時、肉体を持ったことも実りあるものとなる。」(シヴァ・サンヒター第2章)
現在の自分の姿は、過去の自分によって生み出されたものであると、ヒンドゥー教の教えは伝えます。今嬉しく思うこと、そして悲しく涙を流すこと、そこには過去の自分の思考や言葉、その何かしらの行い(カルマ)が表れています。
今の自分の行いが次の瞬間の自分を生みだすように、一瞬一瞬、一つ一つの行いに心を定め幸せと共にあることは、自分自身を終わりのない至福へと導くシンプルな術の一つとなります。そして、その行いがただ神の至福を求めて成される時、苦楽に左右されるこの世界に生じたことさえも、美しい果実のように意味のあるものとなるに違いありません。
私たちが今この世界に肉体を受け、物質という変化を生みだす世界の中で行いを続けることは、苦楽を経験しながらも、その過程で気づきという代え難いものを得る大切な機会の中にいるのだと気づかされます。
シヴァ・サンヒターの中では解脱を得るための術が、ヨーガの行いと照らされながら事細やかに描かれていきます。とても難解な技法が説かれながらも、最後の節では、「私の教えを実行すれば、在家人であっても幸せに日々を生きる」と締めくくられます。
この教えはシヴァ・サンヒターの中だけで語られることではありません。行いの大切さを説くバガヴァッド・ギーターの中でも説かれるように、古いインドの叡智が広く人々へ伝えるものです。
このシュラーヴァナ月の恵みによって、再びその大切さに気づかされたように感じています。今を生きることは、明日を生きることでもあるのだと、全ての瞬間を幸せに生きる術を今この瞬間に実行し、この世界に生じたことが実りあるものとなるよう日々を過ごしたいと思っています。
(文章:ひるま)
雑記帳
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