スピリチュアルインド雑貨SitaRama

雑記帳

目には見えないもの

「目には見えず、しかし目が見ることを可能にしているもの―それが宇宙原理ブラフマンであり、この世で人々が崇拝しているものではないことを知りなさい。」(ケーナ・ウパニシャッド)
その深い哲学を理解する中で、ある師と弟子の対話を鮮明に思い出します。師が「光」について、弟子に質問を投げかける対話です。
「何の光で、あなたはものを見ますか?」
「日中の太陽、夜のランプです。」
「何の光で、その灯りを見るのですか?」
「目です。」
「何の光で、その目を見るのですか?」
「心です。」
「何の光で、その心を知るのですか?」
「私自身です。」
「あなたがその光なのですね。」
「…はい、私がその光です。」
その対話は、ウパニシャッドが述べる深い哲学を優しく説き明かし、そして胸に突き刺さるほどにはっと気づきを与えたことを思い返します。目には見えないものでありながら、それなしに見ることはできないもの、それは自分自身の他にありません。
何の命令によって、この心は動くのか。何の意志によって、この命は生きるのか。見えるもの、聞こえるもの、発せられる言葉や生み出される思考、そういったあらゆる現象は自分自身の存在をなくして経験することはできません。だからこそ、インドの叡智は伝えています。感覚を制御し現象世界を超えていく時、自分という光、その大いなる存在に気づくのだと。
そして、ヨーガの行いに全てを捧げる時、その意味を痛いほどに実感するのです。自分自身の存在が世界のあらゆる事象の根源であり、すべてを司る神に他ないことを人はこの生で気づかねばならないのだと、そう感じさせられます。その至福はどんなものにも代えがたいものです。
人は望むほどに、神を見ることはできないのかもしれません。なぜなら、自分自身の目が神に他ないからです。神の言葉を聞くことも同じです。発せられる言葉も、その言葉を聞く自らの耳も、神に他ないからです。ただその存在に気づくこと、それが唯一の神を見る術なのだと、そしてその術をインドの叡智が今日も静かに示し続けています。
(文章:ひるま)

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


RANKING

DAILY
WEEKLY
MONTHLY
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  1. 1
  2. 2
  3. 3

CATEGORY

RECOMMEND

RELATED

PAGE TOP