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雑記帳

光のあるところ

ディーワーリーの祝祭に欠かすことのできないもの、それは「光」です。この祝祭は、新月の夜、月の無い真っ暗な夜に祝福されます。季節は冬へと向かい、日の入りも早まり、暗闇が辺りを覆い尽くすこの時だからこそ、「光」の存在はいつも以上に際立ち、暗闇を打ち消すかのように放つその光と、人々の喜びが街中を満たしていきます。
ディーワーリーを通じては、神々を迎え入れるために、家じゅうをきれいに磨き整え、灯りを灯す行いが欠かせません。その過程においては心もまた浄化がなされ、清らかな心によって、美しい光と共に人々は真の喜びを見出していきます。神々のために行われるその行いを通じる経験は、何よりもの大きな気づきを生み出すことをここの生活で深く学んできました。
精神性の道を歩む中で、光は、私たちの「無知」という暗闇を破るものとして重要視されます。バガヴァッド・ギーターにおいても、クリシュナ神は述べています。
ブラフマンは、光の源であり、自ら光り輝いている。
それは、無知の闇を超えて、全てを照らす光である。
知識であり、その目的であるブラフマンは、
あらゆるものの心に住み、光り輝いている。
(バガヴァッド・ギーター13章17節)
光が存在しなければ、私たちは何も見ることはできません。そしてその光は、自分自身の存在がなければ見ることができないものです。それ故、自己の認識が究極の真実に至る道であると、古くから切に伝えられてきました。
心という物質の働きによって生み出される迷いや疑いに、私たちは自己の本質を見失う暗闇を度々経験せねばなりません。そんな中で、真実である神の言葉を繰り返し、そこに定まる献身的な行いは、私たちに真実を経験させ、気づきと共に無知を破っていきます。
個々のすべての心に住む究極の真実は、常にそこに光り輝いています。その内なる光を認識することが、私たちの最も重要な目的に他ありません。神々と共に生きる意味を、このディーワーリーの喜びが、再び気づかせてくれるように思います。
(文章:ひるま)

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