座法や呼吸法の修練を努めるようになって以来、体だけではなく、心の面における強さと柔軟性の意味を深く学んでいます。何事をも受け入れることのできる体と心は、ただ強いだけではなく、柔軟性を兼ね備えたしなやかさを要することを幾度となく実感しているからかもしれません。
ヨーガの修練を続ける中で、広く伝えられる話があります。ある時、穏やかな地に大きな洪水が起きました。強さを示すようにどっしりと構えていた大木は強靭さを軸に急流を耐え抜くも、最後には根こそぎ流されてしまいます。一方で、そよ風にもなびく柔らかい草たちは、急流に身を任せ、難を切り抜けました。流れがおさまった後、草たちは再び身を起こすも、大木たちはニ度と起きあがることはできなかったと言います。
心の柔軟性は、ヨーガの教えにもある、受け入れることや身を任せること、そのものです。そこにあるのは、謙虚さとも言われます。大きく強い自我にまみれる時、個々の心は全体である崇高な存在から離れ、迷いや疑いを抱き、さまざまな苦難を経験せねばなりません。あらゆる物事が複雑に、そして困難さが増していきます。いつしか体にも緊張が伝わり、不安や心地の悪さがさらなる強張りを心に生み出します。
あらゆる状況を受け入れ、身を任せ生きることの美しさを見せてくれたのは、何よりもここインドで続けるヨーガの修練でした。自分自身の存在と、崇高な存在との繋がりに、一番の重点を置き学んでいたからかもしれません。全体の意味=崇高な存在に気づくことができれば、自我は容易く消え失せ、心はしなやかに、体の緊張もほぐれ、あらゆる物事を受け入れることのできる強さを獲得するように思います。
崇高な存在があちこちに見えるこの日常は、自身が「生かされている」事実を常に気づかせ、より謙虚に、日々を感謝と共に過ごすことを教えてくれます。柔らかい草のように、身を任せること、そして謙虚さを何よりもの強みとして日々を過ごしていきたいと感じています。
(文章:ひるま)
雑記帳
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