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雑記帳

心の貧しい人たちは、幸いである

インドは、さまざまな宗教や思想、慣習が入り混じる国です。そんな中で、キリスト教徒の占める割合は約2.3%と統計が出されています。(2001年国勢調査、外務省HPより)人口が12億人を超えているインドにおいて、その割合は決して少ないものではありません。
精神性を育む教えが溢れるインドでは、こうした異なる宗教や思想を通じても、その教えの真髄を学ぶことが多くありました。その一つに、聖書が述べる以下の節があります。
「心の貧しい人たちは、幸いである、天国は彼らのものである。」
(新約聖書:マタイによる福音書5:3)
この「心の貧しい」は、さまざまな解釈の中の一つにおいて、心に所有物を持たないことであると伝えられます。その所有物とは、執着や欲望、更には、自分自身を定義する地位や名誉など、自我を大きくする全てのものに他ありません。心の作用により自我が大きくなることで、私たちは自分自身の本質という崇高な存在を見失います。
心が静まり、自我が小さくなる時、崇高な存在はよりはっきりと見え、一体となることが容易となります。そこには、自分ひとりが中心となることで生じるさまざまな不安や恐れが消えた、平安な世界が生じます。それはまさに、天国と言えるものに他ありません。
ヨーガの経典「ヨーガ・スートラ」でも、その冒頭で「心の止滅」が説かれます。神の詩「バガヴァッド・ギーター」においても、心を統制する術がクリシュナの言葉を通じ事細やかに記されています。
多くを持つことが良いことだと考える私たちに、精神性を育む教えの数々は、所有の否定を説いてきました。「足るを知る者は富む」そんな言葉もあるように、心に何もない、そして静まった平安は、自分自身の本質である終わりのない至福を知るための、何よりも豊かな術になるに違いありません。
教えの数々は、時を超え、幸せに生きる術を私たちに示しています。その真髄を見失うことなく、日々の生きる指針として常にその教えを抱き続けたいと感じています。皆さまにとっても、この聖なる時が平安に包まれるものとなりますよう、心よりお祈り申し上げております。
(文章:ひるま)

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