私たちの精神的な歩みは、果てしない探求のように感じられることがあります。
内なる世界では光と闇が対立し、終わりのない葛藤が重くのしかかることも少なくありません。
ヒンドゥー教の神話には、こうした心の内を示す、サハスラカヴァチャという名前の悪魔がいます。
かつて、太陽神へ厳しい苦行を捧げたタンボードバヴァという名の王がいました。
この苦行により、サハスラカヴァチャを意味する「千の鎧」で守られた体を手に入れた王は、世界を征服し恐怖に陥れます。
この悪魔を倒すには、千年の戦いが必要でした。
しかし、千年の戦いを経ても、打ち破ることができるのは一枚の鎧だけでした。
サハスラカヴァチャを打ち倒すことは不可能のように見えました。
そんなサハスラカヴァチャに挑んだのが、ナラとナーラーヤナといわれます。
ナラとナーラーヤナは双子の賢者として知られる一方で、個の魂(ナラ)と至高の魂(ナーラーヤナ)を象徴するともいわれます。
また、バガヴァッド・ギーターで中心となるアルジュナ(ナラ、個の魂)とクリシュナ神(至高の魂、ナーラーヤナ)を示しているともいわれます。
サハスラカヴァチャの鎧は、例えば、私たちの精神的な歩みにおける障壁として見ることができます。
これらの障壁は、憤怒、嫉妬、執着、悪意、虚偽、貪欲といった否定的な感情や思考であり、私たちの内なる世界に厚く層を成しています。
これらを克服するためには、内なる強さが必要です。
その強さを得るには、ナラとナーラーヤナがサハスラカヴァチャを倒すために何度も戦ったように、一貫した努力が欠かせません。
このサハスラカヴァチャの神話は、精神的な歩みにおける忍耐や決意の重要性を教えてくれています。
そうして鎧を打ち破る過程は、精神的な変容と浄化のプロセスと見なすことができます。
精神的な歩みは容易ではないことを示しつつも、不屈の精神があればどんな困難さえも克服できることを、この神話は時を超えて伝え続けています。
何よりも、サハスラカヴァチャに対峙したナラとナーラーヤナは、永遠に共に存在する不変の伴侶といわれます。
それは、私たちの個の魂(ナラ)が常に至高の魂(ナーラーヤナ)と共にあるという気づきを与えてくれるものです。
この気づきを育むことで、私たちは人生においてサハスラカヴァチャの鎧を少しずつ打ち破り、永遠の勝利を収めることができるはずです。
(文章:ひるま)
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