Hazrat Amir Khusraw(1253~1325年)は、デリーのイスラム王朝三代に使えた文官で、同時代の南西アジア~西アジアを代表とする詩人にも挙げられ、かつ様々な音楽様式、旋法:Raga、楽器の発明者とされ、現地でも「インド音楽のバッハ」などという人が居る、インド音楽史に輝かしく記された、文句無しの「楽聖」のひとりです。
が、その功績に関しては眉唾も多く、また誤解や安直な理解を招く表現が多いのも事実です。より正当に評価し讃えることこそ、偉人に対する敬意だと考えるのですが、如何でしょうか?
Khusrawが創作したとされる声楽様式に関して、比較的論理的信頼性がある解説では、「Qaul:ペルシア・アラビヤ語だが、インド歌曲Geetの様式」「Tarana:ペルシア語の歌曲」「Qawwali:ペルシア語とヒンディー語の歌曲」とあります。が、私は、「Qawwali」は未だ成立しておらず、「Qaul」は、おそらくKhusraw創作で、それに「アラビヤ語の語彙が含まれるペルシア語」と「ペルシア語の語彙が含まれるヒンディー語(もしくはウルドゥー語)」の二種が混在していたと考え、後継者の末裔たちが後世、後者を「Qawwali」と区別し、後世の新作を加え大きな「Qawwali歌曲体系」が形作られたと考えます。
いずれにしても、近代の「Qawwali」の、スーフィーの聖者廟で演じられる合唱様式の反復性の強い歌謡と、Khusrawの「Qaul」を結びつけるには、間に多くの形態が存在したことを忘れてはならないと思います。
特筆すべきは、「Tarana」ですが、パキスタンから南北インドにかけてたいへん流行した歌曲で、面白いことに、北インドですでにヒンドゥー教徒歌手には「意味の無いスキャット様式」の理解で歌われ、南インドでは、「Tirana/Tilana/Tillana」として現在でも古典舞踊の重要な演目のひとつですが、Khusrawの創作であるなどはもちろん、北インドから伝わったことさえ知らない、認めない音楽家も少なくない印象を受けました。実際は、ペルシア語による神秘詩が織り込まれた「意味のある(どころか深い)歌詞」の歌曲です。
Khusrawの逸話も、インド・ムスリム系とパキスタンでのものと、インド・ヒンドゥー系のものとでは、その扱いもニュアンスもかなり異なるのですが、比較的好意的な記述であるにもかかわらず、Gopal Nyakとの歌合戦の「裏話」を記したものがあります。
それによると、Khusrawは、王Alllauddinに許可を懇願し、王座の下に身を隠してGopalの御前歌唱を六日間毎日盗み聴きし、その後の「歌合戦」に備えたと言うのです。それによって、Gopalの「Prabandha様式」の技法の模倣や、類似する西域旋法の技法などを披露し、宮廷サロンの聴衆を唸らせたというのです。
この「王に頼んでこっそり隠れて」は、後世の「歌合戦」の逸話にも何度か現れます。インド人のフェア感覚を疑ってしまうのですが、それ以上に、このような逸話が「卑怯者」という意味ではなく、むしろ「凄い!」という賞賛のニュアンスで語られることです。西洋感覚とも、東アジアの儒教的感覚とも違う、計り知れないインド感覚を感じさせる典型的な例ではないでしょうか。
(文章:若林 忠宏)
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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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