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インド音楽

60、Chakraと神経と科学音楽

illustration of human chakra, lotus flower

前九回で、七つのChakraとその大まかな解釈、そして、それぞれにちなむRagaについての概論をお話しました。

それぞれのChakraには、第一に「特筆すべき役割」があり、第二に、「複数のChakraの関係性」があり、当然、それを繋ぐ「Nadi(ナーディ)」の理解・認識も欠かせないわけです。そして、第三に「体全体の状態」であるとか、「全身的恒常性のバランス」であるとか、「自然治癒力」「免疫力」という全身に渡る分野も合わせて考えなくてはなりません。

そして、その全身的な状態を把握することには、「プラーナ、気、脈、血流、神経、ホルモン、リンパ腺」などの多様で膨大な脈絡の存在も学ばねばなりません。

しかし、それらは大きく分けて、やはり「二元性」「相反するものの共存」があり、それは「恒常性」に欠かせない、「相反する作用」によって、二つに大別されるはずです。

それらは、「自律神経」の二大分類「交感神経系」と「副交感神経系」の存在として、西洋医学の専門家にもある程度理解されています。しかし、私の不勉強のせい(や誤解や決めつけ?)かも知れませんが、局所対処療法を主として治療なさるお医者さんの多くに、「自律神経」との関係をあまり重視していないのではないか?と思うことが少なく在りません。そして、原因が不明になると、一昔前迄は「自律神経失調症」で片付けてしまい、最近は、それに代わって「ストレスの所為」で片付けているように思えてならないのですが、間違っていますでしょうか?

実は、これらは全て、正解を言っているとも言えます。「原因不明」というのは、中医・漢方弁証論治で言うところの「裏証」であり、一般に「慢性疾患」と言われますが、急性の局所に現れる症状より深く、原因がひとつに限定出来ないものを意味しています。つまり、「原因不明」は、「原因を特定出来ない」という意味としては「正解」なのです。何故ならば、「原因多数」だからなのです。

しかも、それは刻々と変化するのです。これがある意味「当たり前」のことなのですが、「全身医療(Holistic)」から見れば、「止まっている的しか射れない西洋局所対処療法」では、「原因不明」となってしまうわけです。

「お医者さんがそんなことじゃ困る」と言えば、「自律神経失調症」と言われ、最近では「ストレスの所為」となるような流れです。

「自律神経」も、何らかの「外的要因」に反応して「主副の二系統」のバランスが変化する訳ですが、結果論で、「芳しくない」と「失調症」と診断されるようです。 しかし、そこには、「自律神経が懸命に働いている過渡期の状態」もあれば、何らかの理由で「自律神経の働きが過度になっている場合」もあれば、同様に「自律神経の働きが衰えている場合」もあるはずです。

また、「懸命に働いている場合」でも、「直接的に原因に対して対処している場合」もあれば、「間接的、総合的」に働いている場合もあるかも知れません。

例えば、下痢だけが生じている場合、排出やDetoxの必要性があると共に、自律神経は、腸の働きや、各種関所の通過を促しますが、その状態では、胃の上部の関所「噴門」は開きません。必要なものは摂り込み、不要なものを早く排出しようとしている訳です。

ところが、下痢ではないけれど、嘔吐が頻発する場合は、その逆が考えられ、下痢と嘔吐が同時多発する場合は、「両方の意味の複合」と、「全体の疲弊」という別次元の問題も絡んできます。

不謹慎な喩えで恐縮ですが、拳銃の暴発事故が起きたとして、犯人は「引き金を引いた者」なのか? 「そこに拳銃を置いた者」なのか? 「そもそも拳銃を作ったものなのか?」というテーマです。

しかし、これを「より源流がより悪い」という単純な理解をして良いでしょうか? 確かに、大本を解決することは、「全身療法」が「局所療法」に対峙している基本であります。しかし、流しの蛇口の漏水の度に、道路の地下を走る本管を止めるのは愚かではないでしょうか? また、古今東西で、「川上、風上が悪者、川下、風下が被害者」というレベルでの争いは絶えませんでした。

つまり、原因追及は、一見して「根源的意味(価値)がある」ように見えて、落とし穴も多いのです。

言い換えれば、ある種の「犯人探し」のようなものであり、森中を探しまわり、森の奥底で見つけ出したとしても、それもひとつの「樹」に過ぎず「樹を見て森を観ない」ことと大して変わらないのではないでしょうか。

「犯人探し」のようなことであるならば、その犯人を作り出した構造(森全体問題)を探求しなくては、同じことが繰り返されますから、一見してそう思えたとしても、実は「根治療法」でも「全身療法」でもないと言える訳です。

このようなことを考慮しながらでないと、Ragaの音楽療法は、正しく作用しません。しかし、世に広まる漢方薬の多くがそうであるように、「分かり易さ」を求め、結局は、「頭が痛いのを治したいだけだ」と、東洋医学をも「局所対処療法」的な感覚、観念で理解しがちなように思えます。

(文章:若林 忠宏

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