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インド音楽

75、中世宮廷音楽の貴公子:Sarod (2)

18世紀に相次いで登場した、イスラム宮廷の新音楽は、当連載のVol.46でご紹介致しましたデリー宮廷を追われたターンセンの或る子孫が花柳界の歌姫用に開発したのが原点である「カヤール様式」の声楽と、その器楽版の「ガット」に代表されます。
ガットの意味は「定められた」なのですが、たったの数小節ずつの主題、副主題、第三主題、第四主題があるだけなのに、ドゥルパド系器楽の「アーラープ(ターラが無いので太鼓が着かない)」と比較して「定められた」と呼ばれたもので、実際は90%以上は即興です。

そして、その「カヤール」の伴奏楽器が後に詳しご紹介致します弓奏楽器「サーランギー」で、これが独奏するようになったのは1945年前後です。そして、「ガット」の為の独奏楽器が、世界的に有名な「シタール」と、その好敵手「サロード」です。シタールが古典器楽のステイタスを得るのは19世紀中頃ですが、サロードは、18世紀中頃です。が、シタールより難解な為と、ラヴィ・シャンカル氏のような才能と派手さと営業力を持った革新的な天才が現れなかった為、世界的にはマイナーかも知れません。シャンカル氏の義弟、アリ・アクバル・カーン氏も卓越した演奏家ですが、比較すれば派手さと営業力はあまりない実直な演奏家でした。二人は1971年8月のジョージ・ハリソン主催のバングラデシ難民救済コンサートで二重奏を披露しています。この30年インドでも海外でも結構有名なサロード奏者に、アムジャッド・アリ・カーンという人は結構派手で営業手腕もありますが、元々保守派なので、ラヴィ・シャンカル氏とは比較になりません。

ここで特筆せねばならないことが、アムジャッド・アリ・カーン氏が「保守派ということです。保守派という言葉は、改革派が現れて初めて言われるものですが、サロードの改革派とは、サロードを大きく改革した、ラヴィ・シャンカル氏の師匠でありアリ・アクバル・カーン氏の実父である、アラウッディン・カーン氏の一門を言います。
元々アラウッディン・カーン氏は、デリー宮廷のドゥルパッド流派から派生したランプールの分家サロード奏者の弟子でしたが、後にターン・センの末裔に学び、独立後に、サロードを改造し派手な演奏スタイルで人気を博しました。

改造は、「主弦4/伴奏弦2(此処迄が棹の先端にあります)/リズム弦2/共鳴弦11」の伝統サロードを、「主弦4/伴奏弦4/(此処迄が棹の先端にあります)/リズム弦2/共鳴弦15」に変え、全体を一回り近く大きくしたことです。見た目的に前者は棹の先端の左右に6本の糸巻が刺さり、後者は8本刺さります。前者は今日の巨匠で9代目ですが、後者は3代目と大きな隔たりがあるので、前者を「保守派」、後者を「革新派/改革派」と呼ぶ訳なのです。現地では単刀直入に「トラッド派/モダン派」と言われますが、当然後者に属する演奏家は、目前でそんな風に言われれば不愉快そうにしたり反論し、時には激怒します。

また、「ランプールの分家」と前述したことについてですが、元々サロードは、デリー王朝衰退期に北インド古典音楽の最大の中心地となったラクナウで生まれました。アワド王朝の都で、「セポイの乱発祥の地」で世界史に登場します。なのでサロードは、現巨匠の9代前のラクナウ派が正派・本家で、最も多くの作品を継承しています。
一方ラクナウ派と同時期に、ローヒルカンドの中心部シャー・ジャハーン・プールで生まれたサロード派がありました。両派は、6代目と7代目にラクナウ派と婚姻したため、両派は正式には「ラクナウ・シャージャハーンプール派(以下LS派)」と呼ばれます。前述のアムジャッド氏は、一時期「我がグワリオール派こそサロードの発明者」と言ったのでラクナウが騒然としたことがありますが、グワリオール派はLS派の4代目辺りの分派です。この辺りはインドでも1990年代にかなり詳しい文献が出て、発明者論争も現在では下火になっていますが、日本ではまだ知らない人も多いかも知れません。
そして最も肝腎な話しが、前述した「ローヒルカンド音楽家」です。一言で言うと「アフガン音楽家」です。アフガン人(当初はローヒラー族という呼称しかないらしい)は、10世紀のイスラム軍侵入から「ローヒルカンド音楽」が確立する17世紀頃迄の700年、ずっとムガール王朝の優秀な傭兵でした。17世紀に遂に「ローヒルカンド(デリーとラクナウの中間点)」に独立自治地域を確立するのですが、更に細かな部族自治政治を取った為に、藩王国的な歴史は語られていません。強いて言えばデリー王朝とアワド王朝(北はネパールのグルカ/グルングの領土に及ぶ)の領土内に跨がる部族集団ということでしょうか。これは非常に画期的で賢い方策で、近隣と領土紛争が起きない。戦況に応じてどちらにも着ける訳です。当初大名としての領土を持たず、地侍頭集として結束し、近隣の大名配下を渡り歩いた、2016年NHKドラマで改めて有名になった戦国時代の「真田一門」のような感じです。
そして、このアフガン傭兵集団には、アフガン音楽家、軍馬飼育人そして料理人、が居て、私たちが今日インド料理の代表メニューと思う「タンドリー・チキン」も「ナン」も「シシカバブ」も皆彼らが持ち込んだものです。(タンドールという壷料理そのものがアフガン系)。
音楽は、アフガン・ルバーブというパミール・ルバーブとは前代に別れた別系統のルバーブで主に七拍子の軍楽や叙事詩、叙情詩を演奏していました。彼らは10世紀にインド入りした後も、18世紀頃迄は頻繁に故郷を行き来していましたから、私の師匠(LS派の家元)の家には100年前のルバーブがありました。19世紀に新たに故郷から持って来たものです。

つまりサロードは、ルバーブの羊腸弦を金属弦に替え、それに合わせて指板を金属板に替えた楽器で、スライド奏法によってインド古典音楽の技法の全てをあますことなく表現出来るようにした楽器なのです。
このサロードの発明によって、彼ら(ローヒルカンディー/ローヒラー族)は、「ドゥルパド系器楽」を演奏し、ラクナウやシャージャハーンプールの宮廷に登官するようになったのです。そして、6代目の頃に、この連載のVol.49でご紹介したターンセンの末裔バーサット・カーン兄弟の直弟子となって更に重厚なドゥルパド
系音楽を演奏するようになったのです。
私の師匠故:ウマール・カーン氏の父サカワット・カーンは、アラウッディン・カーン氏、アムジャッド氏の父ハフィーズ・カーン氏(アムジャッド氏は父親がかなり高齢の時の子なので孫に近い若さです)と並び、「サロード三羽烏」と称賛されていましたが、唯一ムリダングを伴奏に使うことが許されたほどの保守派正派でした。つまりLS派は、9代の歴史の中で、6代目迄はドゥルパド系器楽をサロードで演奏すると共に、ローヒルカンド音楽をラバーブで演奏し、7代目からはドゥルパド系器楽とガットを演奏して来たのです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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