16世紀の楽聖であり、デリー・ムガール王朝の宮廷楽師長であったターン・センが中央アジア・パミール高原のルバーブに「サワリ音の出る駒」を取り付けた楽器ラバーブ(ターンセン・ラバーブ)は、その重低音の深みでドゥパド音楽を余すことなく伝えました。そして、その系譜はターンセンの次男、ビラス・カーンの子孫に継がれ、「ラバービヤ・ガラナ(派/家)」と呼ばれました。
その系譜でターンセンから数えて9代目(何度か兄弟で順に家元を継いだこともあるので世代的には5〜6代とも)に、この連載のVol.49でご紹介しましたバーサット・カーンが居て、その三人の息子、アリ・ムハンマド・カーン、ムハンマド・アリ・カーン、リヤーサット・アリ・カーンは、何れも卓越したラバービヤーであったと共に、前回ご紹介しましたヴィーンカル(ヴィーナ奏者)のウムラオ・カーンと同様に多くの他流名演奏家にも教えを付け「セニ派の奥義」を授けました。
Vol.74と75でご紹介した「サロード」最古の流派ラクナウ・シャージャハーンプール派(2派連合/以下LS派)の家元とその兄弟たちは、バーサット・カーンの三人の息子、及びバーサット・カーンの長兄ピャール・カーン、中兄:ザッファル・カーンに代々師事していました。
LS派は、既にアフガン・ルバーブの指板を金属板に替え、羊腸弦を金属弦に替え、やや伸ばした爪によるスライド奏法で装飾豊かな音楽を演奏していました。
ターンセンラバーブは、その重厚さは素晴らしいのですが大きな欠点もあります。例えば、声楽家(ドゥルパディヤー)が「ドーーーレミレミレミファソラミレミレミファソーーーラソー」と「アーの発音(アカルよ呼ぶ)」で一息で歌ったとして。残念ながらラバーブの羊腸弦は、「ドーーーレミレミレミファソラミ......」位で音が消えてしまいます。もちろん弓奏楽器サーランギーでしたら弓の往復で、限りなく音を絶やさずに出せますが、「格」の問題があってドルパッドの伴奏は愚か、模倣も許されませんでした。
それを尻目に、LS派のサロードは、金属弦の余韻の長さに、アフガン・ルバーブが既に持っていた共鳴弦の助けも得て「ドーーーレミレミレミファソラミレミレミファソー」程迄楽に弾いてみせたのです。きっと、弟子の新楽器の方が「色々出来るのは羨ましい悔しい」とピャール・カーンもムハマッド・カーン兄弟も思ったのでしょう。
新楽器が登場した当時のレッスン風景はいささか不思議です。ジョージ・ハリソンがプロデユースしたラヴィ・シャンカル氏の自伝映画でもシャンカル氏が師匠:アラウッディン・カーンに稽古を付けてもらっている写真が出ましたが、師匠がサロードで教え、弟子がシタールで学ぶのです。音域どころか基音の調律が本来異なるのですから、かなり工夫をせねばなりません。
それに見られるように、セニ派本家の師匠はラバーブやヴィーナで教え、弟子はもちろんそれらを基礎からみっちり学びながら、プロデビューした後のレッスンは、世間に問うている専門楽器でレッスンを受けるのです。ラバービヤーにシタールで学んだ者もあれば、ヴィーンカルにサロードで学んだ者もあります。ステージでは決して競演、合奏はしないのですから、不思議な光景です。もちろん師匠が男声で、弟子が女声といった調の違いを乗り越えるレッスンは、太古から日常的だったのでしょう。互いに2〜3度程度ずつ譲り合ってやりくりする訳です。
上記しましたような「羨ましい、悔しい」というより、「そのサロードのスライドは良いね!」「何とか成らんもんかなぁ」とピャール・カーン兄弟と甥っ子兄弟とLS派の弟子達で、試作を重ねて誕生したのが、「新しくて古い楽器」である「スール・シュリンガール(Sur-Shringar)」でした。
まずセニ・ラバーブの胴体を干瓢にしました。サロードは堅木のくり抜きですから前回ご紹介した「スール・バハール」の胴体です。シタールも干瓢ですが、シタールの場合は干瓢を縦に切り小型の胴ですが、スール・バハールは横に切り大型です。そして、表面は、ラバーブ、サロードの山羊皮を改めスール・バハールやシタール同様に板張りに替えました。もちろん、「サワリ駒」です。そして、くり抜いた太い棹はラバーブのままですが、指板は金属板で金属弦です。構え方は胸の前にほぼ垂直のラバーブ式。サロードは床に水平のギター風です。
この楽器によって、ラバービヤーは、長い余韻と華麗な装飾によって19世紀末から20世紀初頭に一世を風靡したと言われます。ムハマド・アリ・カーンは、サロードをスール・シュリンガールのように縦に構えている写真もあります。
(文章:若林 忠宏)
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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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