神秘の国といわれるインドにおいて、人々に愛され、その心に深く刻まれた物語があります。
マハーバーラタと並び、インドの二大叙事詩の一つに数えられるラーマーヤナです。
ラーマ神の行状記が書かれたその壮大な物語には、霊性を育むための教えが諸所に秘められています。
さまざまに解釈されるその物語は、日々を幸せに生きる術を私たちに伝えています。
そんなラーマーヤナにおいて、ヒロインとして描かれるのがシーター女神です。
2018年は4月24日に、シーター女神の降誕祭として知られるシーター・ナヴァミーが祝福されます。
シーター女神は一説に、ヴァイシャーカ月(4月~5月)の新月から9日目に降誕したと信じられます。
ラーマーヤナでは、献身、勇気、自己犠牲、そして、高潔さや純粋さといった特質がシーター女神を通じて映し出されます。
どれも、私たちが日々の生活において見失いがちなものばかりです。
霊性を育む教えでは、豊かな人生を生きるための必要な要素として伝えられてきました。
それらを象徴するシーター女神は、ラーマーヤナの中で悪魔ラーヴァナに誘拐されると、その物語は悪との戦いに突入します。
それはまるで、私たちが欲望という悪魔によって高潔さや純粋さを見失い、苦難に包まれることを象徴しているようです。
そんな中で、ハヌマーン神の助けを借り、シーター女神を救い出したのは、夫であるラーマ神でした。
ラーマ神とシーター女神は、相反する二つの存在のようでありながら、本来は一つとして存在しています。
精神と物質ともとらえられるその二つが結びついた究極の美しさは、私たちの前に、最終的な解脱としてあらわれます。
ラーマ神がシーター女神を探し出したように、私たちは自分自身の内で、常に高潔さや純粋さを見出す必要があります。
そうして生きる日々は、真理の実現された、究極的に美しい人生を築くに違いありません。
シーター女神の姿は、人生という壮大な歩みの中で、私たちを導く指針となるはずです。
そんな女神の降誕祭が近づこうとしている時、ラーマーヤナを開いてみるのも良いかもしれません。
そこには、生きる日々に深い気づきをもたらす多くの教えが溢れていることと思います。
(文章:ひるま)
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