ア:補填
アーサナ
ヨガに於ける「ポーズ(座法・体位)」の総称。あくまでも一般的な現代ヨガに於いてのもの。
そもそも、インド六大哲学のひとつとしての「ヨガ」と、今日の「ボディー・ヨガ」との関係性を説くこと自体が容易ではない。当然、哲学ヨガの一派「ハタ・ヨーガ」と現代ボディーヨガとの関係性もしかり。また、哲学ヨガの完成(ヨーガ・スートラ経典に見るならば)は、4~5世紀とみるのが妥当で、ハタ・ヨーガに至っては16世紀であり、「古代ヴェーダの叡智」とするにはあまりにも新し過ぎる。
今日のヨガ・アーサナの基本となったものは、「ハタヨーガ経典:ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」にあり、多くは19世紀後半に新たに付け加えられた。
また、ヨガ、瞑想に於いて重要視される、仏教で「印相/手印」と呼ばれる、手首から先の指の形は、主に「ムドラー」と呼ばれ、これは仏教成立以前の伝統を引いているものが多く、「古代ヴェーダの叡智」の要素が多く得られる。従って、現在様々な宗派が説いていることを全て鵜呑みに肯定することは出来ないが、ヨガ哲学、ハタヨガ、アーサナ、ムドラーは、その原点に於いてヴェーダ科学と深く関わっており、現代ヨガや瞑想とも深く関わっていることは紛れもない。しかし、その分別と認識は、極めて難解であることは言うまでもない。
また、この一方で、アーサナと音楽は極めて深い関係にあり。それは手首の先のほんの数本の指の形(ムドラー)でさえもである。それらは、音楽療法の効果効能を大きく変化させる。無論過剰になる場合もあるが、無効・無力化させる場合もある。当然、音楽によってアーサナ、ムドラーの効果も大きく左右されるが、近年の欧米経由のボディーヨガのBGMには、その考慮が全くと言って良いほど見られない。
アーサヴァリ
インド古典音楽の旋法:ラーガのひとつで、近現代分類法「タート」のひとつにもなっている。かなり古いラーガであるが、古代科学音楽に於いて既に成立していたかは確証が得られない。西洋の短調に近いと言える。しかし「タート」は、そもそも既に存在したあまたのラーガを「やむなく整理する為に近代に創案した10の引き出し」のようなもので。アーサワリはたまたま10のひとつの「引き出し名」に挙げられたに過ぎない。従って「アーサワリの引き出し」の中には、ラーガ:アーサワリの音律とは異なるラーガも少なくなく、それらは西洋短調と似て大きく異なるものである。
イ
インド
名称「インド」は、国名(英名:India)の日本語表記(日本語読み)。英語(汎世界的な学術用語)でも、例えば「インドヨーロッパ語族/印欧語族」などで「Indo-European-Languages」などと用いる。
そもそもは、インド以西の文明が、インドを発見した際にその地「インダス河流域」の呼称を土地の民に訊き「インダス」の返答を得「インド」と聞いたことが始まりとされる。しかし、厳密にはそれは「Sindh」であり、しかも、土地の民「Sindh族」は、土地や民族の自称ではなく、インダス河のことを訊かれたと思い「Sindh=河」と答えたに過ぎないとも言われる。「サハラ砂漠」の名を訊いた外来者に、土地の民が「サハラ=砂漠」と答えたことと同じ。「インダス河=河河」「サハラ砂漠=砂漠砂漠」で、「ちげ鍋」「殿様キングス(日本の昔のコーラス・グループ)」並みの笑い話とも言われる。
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他方、「インド/Sindh」が何時、何故「Hind」に転じたのか?は、いまだに不詳とされる。ちなみに当時(唐代頃?)の中国は、「身毒」の字を当てた。(音訳当て字とは言え、不敬な文字だ)
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「Hind」から「Hindi語」「Hindhu教」の語が生じるが、無気音、帯気音の分別の根拠も不詳。その結果、「Hindhu」から、土地(国サイズの地域名)名「Hindustan」が生まれるが、語源的には「ヒンドゥー教徒の土地」という意味になり、既にイスラム教徒に支配されていた時代にも関わらず、「異教徒の地」の意味合い(カーフィルスターン)が否めない。
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最もややっこしいのが、印パ分離独立の際に、インド領からパキスタンに移住した人々の中の大多数であった、パンジャブ族以外の「北インドの人々」には民族名がなかったことだ。やむなく「Hindustani」とされたが、イスラームの信仰・信条を抱いて長い苦しい旅を耐えて来た人々に対し、語源的に「ヒンドゥー教徒の地の(イスラム信者)の人々」という不充分さ・不適正さを含んでいる。
また、18世紀のイギリス植民地時代にイギリス人総督が名づけた「Hindustani語」という分別もまた、ややっこしさを増長させた。言語学的に厳密には分別し切れない「(デリー周辺の)ヒンディー語」と「ウルドゥー語」を総称したものであるからだ。しかも、実際「インド残留のデリー周辺域生まれのイスラム教徒」と「パキスタン移住のデリー周辺域出身のイスラム教徒」とでは、接続詞や語彙が異なる場合もあると同時に、今日でさえ、デリー周辺域のヒンドゥー教徒で、夫婦で語彙が異なる場合さえある。筆者の友人夫婦は、夫がデリー出身で妻がより郊外出身だった。共にヒンドゥー教徒だが、「人生」という言葉を夫は「Zindagi(ペルシア語起源のウルドゥー語)」と語り、妻は「Zivan(サンスクリット起源のヒンディー語)」と語った。厳密には「Zindagi」は輪廻転生しない人生だが、彼はヒンドゥー故に輪廻転生を信じていた。
ちなみに、インド共和国が定めた「正式自称国名:バーラタ」は、マハー・バーラタに引くものであり、イスラム教徒などの非ヒンドゥー小数派には厳しい呼称である。
インドラ
ブラフマン教の神。デーヴァ神族の「雷神(雷霆神)」。ブラフマン教でも最も古く基本的なデーヴァである、天空神:ディヤウスと大地母神:プリトゥヴィーの息子の一柱。現存する最古のヴェーダ聖典:リグ・ヴェーダでは、ペルシア時代の神々と共に名を連ねている。後のプラーナ文献の時代に、太陽女神:アディティーの子神群「アディティヤ神族」に加えられる。この場合父神は、聖者:カシュヤパ。更に後の「ラーマーヤナ」では、天空神として描かれるが、クリシュナの眷属ハヌマンが互角に戦うように描かれる。更に後には、クリシュナ物語の中で、「ブラフマン教の神々の代表=旧体質の象徴」のように描かれ、ことごとこく卑下される。この間の仏教時代には、「天部」すなわち、如来、菩薩、(明王)の下位に追いやられる。他の天と共に「仏典の守護神」の地位を得るが、それでは、ブラフマン教後期のデーヴァ神族の敵「アシュラ神族」が仏教に隷属させられた立場とさほど変わらない。
リグ・ヴェーダにも後世加筆された部分が否めない上に、ウパニシャド、アパ・ヴェーダ、プラーナともなるとどれほど書き換えられたかは全く不確かであるが、大まかに見ても、このインドラの立場の変化は、ブラフマン教~仏教~ヒンドゥー教という流れ。もっと言えば、ブラフマン教→仏教との軋轢→漁夫の利のヒンドゥーという流れそれ自体を象徴している存在でもある。
また、「アニミズム」を世界的に俯瞰した時、「天空神と地母神の合体→子神産み神話」を「宗教(ポスト・アニミズム)の創世記」とするならば、ヒンドゥー勢力の漁夫の利的な台頭は、むしろブラフマン教によって圧迫された(より古い)インド各地のアニミズムの反撃とも考えることも出来る。(この意味では、クリシュナが青顔で描かれる=Shyam:肌が黒い=ドラヴィダ系のより古いアニミズム系の神のインドラ=ブラフマン教に対する反撃→勝利である、と説いた諸説と一致する。)
更に、ペルシアに於けるミトラ信仰、および弁天信仰などの太陰信仰が、ブラフマン教後期に太陽信仰に屈し、密教化して行った様子をも象徴しているとも言える。文字通り「象徴」故に、その実態は多くを語らないが、インドラが何時の時代の局面に於いても象徴として残されていたという事実こそは大きな鍵とも考えられる。
インドリヤ
一単語としては「感覚器官」。しかし、実際のヴェーダ起源の科学の様々な分野で様々に登場する語。良く語られる「6感覚器官(六感とほぼ同じ)」の他に、総数は最低でも27種ある。それら全体を俯瞰するならば、それは「能力」と解釈する方がより正しくなる。従って、上記の「六感」を筆頭に「6知覚能力」「3身体能力」「5感情能力」「5行為能力」「5精神力」「3悟性力」の27種と理解すべきである。(宗派によっては更に加えている)
ちなみに、現代人の多くは、この27力のうち、よくて18種しか機能させようとしていない。従って「思考回路・思考力の問題」は、「Kosha論」のみならず「Indriya論」に於いても警鐘が鳴らされていると知るべきであろう。
インナーライト
語意的には「内なる光」という意味。「アンタルヴァーニ」と同義と言える。しかし、思考領域が脆弱である場合と正常(Defalut的な、「本来の」の意味で)である場合とでは、「光」の現れ方、見え方は当然大きく変わってくる。インド系スピリチュアルが西洋に迄伝わり、それが日本にも波及した19世紀末から、様々な聖人が説き、あるいは人心を欺いて来た、ある種の「永遠のテーマ」とも言える。
ちなみに、この語意が世界のスピリチュアルに関心のある人々以外にも広く知られるようになったのは、1968年にBeatleのGeorge Harrisonの「The Inner Light」によってであった。シングル(ドーナッツ)盤のヒット曲「レディー・マドンナ」のB面として聴かれた。この曲は、ジョージのビートルズ・メンバーとしてのインド音楽風作品の四曲目だが、それらのインド音楽視座からの分類を語る人はほとんど居ない。
1、Norwagian Wood (1965/Album:Rubber Soul)
2、Love you to (1966/Album:Rivorver)
3、Within you whitout you (1967/Album:Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)
4、The Inner Light (1968/Single)
「ノルウェー」は、ジョージがロンドンの楽器屋でシタールを購入し、調弦もろくにわからないまま弾いた。すでにブリティッシュ・トラッド・フォークの連中は、インド人を起用したりイギリス人でインドで学んだ者も居て、ライブでシタールを起用していた。ドノヴァンも既に弾いていたし、ジミ・ペイジも「俺の方が先に弾いていた」と主張しているが、リリースはジョージが先になって、世界的認知度もダントツだった。作詞作曲はジョン&ポールゆえに、インド精神世界との関連性は全くない。
「ラヴ・ユー・トゥー」では、在英インド人タブラ奏者(私:本辞典筆者は、文通していたことがある)を起用し、シタールはジョージが弾いた。「Raga旋法」には至っていないが、当時英米ロックギタリストの間で急流行した「Raga-Rock(エレキ・ギター奏法)」の中では「スケールの堅持」をしている点で評価出来る。ラヴィ・シャンカルに師事する以前に、ロンドン在住のインド人シタール演奏家(パンジャブ族シク教徒)に少し学んでの録音だった。ジョージは、仲間たちの間で密かに話題になっているシタールに好奇心を抱き、ロンドンの楽器屋で購入し、我流で弾いたのだった。それでも同時代のJazzギタリスト:ガボールサボよりは調弦がまともだった。ちなみにこのシタールは、2017年9月に米国のオークションで700万円で落札されて話題になったが、レコーディング風景で見るシタールとは全く別物にも見える。(ネックの縁取りの幅が違う)
「ウィズイン」は、ラヴィ・シャンカルの弟子となった以後で、音楽監督をシャンカル氏が勤めているので、「折衷の不思議な音楽」となっている。平歌のジョージの歌は、ラーガを守りつつ、ターラは守れて居ない。結果、伴奏のタブラ奏者は二三度リズムサイクルを壊して合わせている。間奏はシャンカル氏の独壇場で、リズムサイクルは10拍子。後に全て大御所となった(実の息子は潜んでしまったが)演奏者がずらりと揃っていた。「ラヴユー」に於ける「ユー」は、ほとんど一般恋歌の相方だが、「ウィズイン」に於ける「ユー」は、「神」である。この時点で、その神が「クリシュナ」であったかどうか?は不詳。
そして「インナー」では、ジョージは「インド民衆音楽(民謡)」に到達した。日本のマニアやファンは、古典音楽をより格上と勘違いするが、古典は理論体系のおかげで民族を超える。しかし、民謡は「200マイル移動すると変わる」と言われる多民族国家のインドでは、同じインド人が理解も習得も出来ない土着の音楽性が要である。ジョージが民謡に到達したということは、かなり深い意味で評価されるべきだ。
同曲では、UP州地方(ヴァラナシなどを含む)のホリー祭りや、MS州(ムンバイ、プーネなどを含む)の沿岸民謡などのリズムや旋律をミックスしている。シャンカル氏の直接的な監修もあっただろうが、前作よりは一歩引き、おそらくジョージ自身が「民衆音楽を紹介したい」と言って、アーティストを紹介されたのではないかと考えられる。近年公開された別テイク(歌無し)では、ジョージ自身がフルートのフレイズを口唱歌で伝えている様子が聴ける。ちなみにビートルズ楽曲情報データバンクのメンバーは全てでたらめ。タブラはビートを叩かず「旋律楽器」として用いられ、オーボエ風の音は、「Shahnay」ではなく、弓奏楽器に蓄音機の集音装置を取付けた「Tar(弦)-Shahnay」というハイブリッドな楽器。撥弦の音は、大正時代に日本から伝わった「大正琴=Benjo」である。
ジョージがシャンカル氏の門弟となる直前、ビートルズのメンバー全員が渡印し、リシケシでマハリシの教えを得たが、様々な憶測が語られるいざこざがあって、徐々に帰国。ジョージは、後にクリシュナ意識協会と出会いスポンサーとなって、ソロアルバムでもインド・スピリチュアル色を濃厚にする。
ちなみに、この頃のシャンカル氏を「ジョージを利用して」と揶揄する人は世界の評論家に少なくなかったが、ジョージの「インド風音楽」に対しても、「スピリチュアルな信仰」に関しても、むしろ「もっと導いてやれば良かっただろうに」と思えるほど放任しているのが事実である。
イティハーサ
ヒンドゥー二大叙事詩「マハーバーラタ(BC4c)」と「ラーマーヤーナー(BC3c)」の総称。字義的には「歴史書」の意味だが、神話的要素と、史実が混在している。成立年代も実のところ不詳で、それぞれ数百年の幅がある。従って、これらを「歴史書」とすることの価値のみならず、そもそもそのようなくくりは後世であることは紛れもない。しかし、軍楽に登場する様々な古代楽器の呼称は、音楽史・楽器学史に於いては極めて貴重な情報である。
イーシュヴァラ
インド六大哲学・学派のひとつ「ヨーガ学派」に於ける「自在神」。仏教では、「大自在天」と意訳され「天部」に属する。後に、仏教の一派でシヴァ神と同一視されるが、本来は全く別系統の神。
「偉大な(マハー)」の語を冠して「マハー・イーシュヴァル→マヘーシュヴァル」とも呼ばれる。
そもそもは、ブラフマン教主流派とも対立する「唯一神信仰」に於ける「神の意味」または「神の総称」であり、「総称」の場合も、「神々=唯一神の異なる相」という観念に基づいている(もしくは近い)。
イーシュヴァルは、ある派では、ブラフマン神と同一であり、同様な派系では「宇宙」と同義でもある。また、インドで密教化し、一部チベットに逃れ、更に中国で原型が築かれた密教(全ての系譜が同一という意味ではない)に於ける「大日如来」の存在とも一致する部分が多い。
これらの混沌は、いずれの宗派でも、「独自の最高神」を主張し、それこそが「宇宙原理」と説く結果、他派のそれを隷属したり同一視したりすることが繰り返された結果とも言える。その意味に於いては、アブラハム系宗教に「多神教」とされて来た、ブラフマン教、仏教、ヒンドゥー教の多くの要素は、「むしろ唯一神・単一神信仰に近い」とも言える。その代わり宗派が極めて多く多様で、それぞれの対立した教義を総合すると多神教のように見える、と言うことも出来る。
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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。
今回は、アーユルヴェーダ関連の「イ(I)の語彙」があまりに少ないため、アーユルヴェーダのテーマから逸脱した部分も多いことをお許しいただきたいと思います。
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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。
4月~6月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。
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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。
「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。
(文章:若林 忠宏)
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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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