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雑記帳

満たされない器

空虚であったり、渇望であったり、どこか満たされない気持ちは、誰しも一度は経験することかもしれません。
息が詰まるようなそのやり場のない思いの中で、学んだ話があります。
ヴィシュヌ神を心から愛する聖仙、ナーラダの話でした。
ナーラダ仙は、数々の聖典をこの世に伝える、重要な聖仙の一人に数えられます。

ある時、ナーラダ仙は器を手にした一人の物乞いに出会い、話しかけられます。
「今日は何も得ることができませんでした。どうか、この器を満たしてください。」
ナーラダ仙は、物乞いの器を満たしてくれるよう、財宝の神であるクベーラ神へ手紙を書き、物乞いに渡しました。

物乞いは喜んでクベーラ神を訪ね、ナーラダ仙の手紙を渡します。
聖仙の手紙に喜んだクベーラ神は、物乞いの器を満たすよう従者に伝えました。
従者は、ありとあらゆる財宝を器に入れるも、器はいっぱいにはなりません。

ナーラダ仙は、器をよく観察するように伝えます。
その器は、人間の頭蓋骨でした。
目や耳や鼻や口の部分に穴が開いており、いくら財宝を満たしも、いっぱいになることはなかったのです。

物質という肉体を持って生まれた私たちは、始まりがあり、終わりがある時の中で生きています。
そこには、見えるもの、聞こえるもの、匂うもの、味わうもの、こうした感覚から生み出される変化に富んだ喜びが溢れます。
その感覚のもたらす刺激的な喜びを求めて動き回る心は、自分自身の本質である不変の喜びから私たちを遠ざけていきます。

限りある物質に執着している限り、私たちは決して、満たされることはありません。
物乞いの満たされない器は、そうして苦悩する私たちの姿を映し出しているようです。
その器は、自分自身の本質である永遠の魂に気づき、満ち足りた自分に喜ぶことの意味を教えてくれたように思います。

ナーラダ仙は、さまざまな話を通じて、時に難解な教えを親しみやすく伝え続けます。
そんなナーラダ仙が降誕した日として崇められるナーラダ・ジャヤンティーが、2019年は5月20日に祝福されます。
迷いが消え失せるような教えの数々を胸に刻み、日々を歩み続けたいと感じます。

(文章:ひるま)

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