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雑記帳

母なる大地との約束

毎年この時期を迎えると、母なる大地への祈りを強く抱くことが多くなります。
時に破壊的な姿を見せながらも、私たちを粛々と育むその慈悲深い力には、畏敬の念を感じざるを得ません。

インドにおいて、母なる大地はプリティヴィーという名前で崇められることがあります。
それには、私たちに多くの気づきを与えてくれるある神話が伝わります。

大昔、ヴェーナという邪悪な王がいました。
ヴェーナ王は礼拝や供物を禁止し、自然の恵みを略奪し続ける傲慢な王でした。
聖仙たちは怒り、そんなヴェーナ王を打ち倒します。
しかし、ヴェーナ王の死後に支配者を失ったこの地には略奪が蔓延り、混乱に拍車がかかりました。

すると、聖仙たちはヴェーナ王の身体から後継者となる善良なプリトゥを生み出します。
そうして生み出されたプリトゥがこの地を治めるようになるも、この地に生じた飢饉に終わりは見えません。
もはや、この地が食物を生み出さなくなっていたからでした。

プリトゥ王は、食物を生み出すように母なる大地を説得しようと試みます。
しかし、母なる大地は牛の姿になって逃げてしまいます。
そして、正しい方法でそれらが用いられることを条件に、母なる大地はこの地に戻ることを約束しました。

その後、プリトゥ王の治世においてこの地が耕されると、必要な食物がすべて授けられ、繁栄がもたらされます。
プリトゥ王は喜び、大地を自分の娘のように受け入れました。
そうして大地はプリトゥ王の子どもであるプリティヴィーと呼ばれるようになったと伝えられます。

ヴィシュヌ・プラーナやバーガヴァタ・プラーナに見られるこの神話を通じては、私たちが自然を守ることは母なる大地との約束であることがわかります。
しかし、得ては失うを繰り返すこの日々に執着し欲深くなる私たちは、その約束を忘れることが少なくありません。

その忘却の中で困難に直面する私たちをよそに、母なる自然は創造、維持、破壊に逆らうことなく悠々と動き続けています。
一切を受け入れるその姿は、不変の存在に身を委ね、あるがままに生きることの真の意味を私たちに教えてくれているようです。
そうして今を生きることで解放される苦悩があり、守られる自然があることを教えてくれているのかもしれません。
そんな母なる愛によって生かされていることを胸に、私たちは与えられた日々を生きる必要があります。

受け入れ難い困難を経験した東日本大震災から12年。
母なる大地との約束を守りながら、来る最善のために、今を生きる努力を続けていきたいと思います。
皆様にとって、この時が平安でありますように、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

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