シュリー・ヴェーンカテーシュワラ・スプラバータム第2節

・Uttisthottistha Govinda
Uttistha Garudadhvaja
Uttistha Kamalakanta
Trailokyam Mangalam Kuru
・ウッティシュトーティシュタ・ゴーヴィンダ
ウッティシュタ・ガルダドゥヴァジャ
ウッティシュタ・カマラーカーンタ
トライローキャム・マンガラム・クル
・意味:ゴーヴィンダ神よ、目覚めてください(そして私の心の中で活動を開始してください)
聖鳥ガルダに乗られる神よ、目覚めてください。
繁栄の女神カマラー(ラクシュミーの別名)の伴侶であられる方よ、立ち上がってください。
三界のすべてをあなたの祝福で満たしてください。

このマントラは、神々を目覚めさせるためのマントラであるスプラバータムの中でも、もっとも有名なヴェーンカテーシュヴァラ・スプラバータムの第2節などに収録されています。スプラバータムは、寝床から起きた後、早朝に唱えられます。「ガーヤトリー 究極の瞑想」によると、このマントラは、意識を拡大するための非常に高い波動をもたらし、唱える人々の活動を高め、繁栄と平安を得るマントラであるとされています。
このマントラが収録されているCDには、以下のCDがあります。
・「スプラバータム&マンガラム」(トラック3: シュリー・ヴェーンカテーシュワラ・スプラバータム)

ガネーシャ・ビージャ・マントラ

・Om Gan Ganapatye Namo Namah
・オーム・ガン・ガナパタイェー・ナモー・ナマハ
・意味:群衆の主であるガネーシャ神に帰依いたします。

「ガン」はガネーシャ神のビージャ・マントラ(種子真言)となります。ガナパティは、群衆(ガナ)の主を意味するガネーシャ神の別名です。
このマントラが収録されているCDは以下のCDがあります。
・「シュリー・ガネーシャ・マントラ」(VMCDH59)
・「Shri Ganesha Dhyaan」(VMCDH63)
・「ガネーシャ・マントラ」(TSNCD01/2008)

ヴァサンタ・パンチャミー

今月31日(土)は、サラスワティー女神の降誕祭にあたるヴァサンタ(ヴァサント)・パンチャミーです。
サラスワティー女神は、ブラフマー神と同じように、インドでは寺院の数も少なく、あまり大々的に礼拝されることのない女神です。しかし、この祭日には、インドの学生はペンやノートをサラスワティー女神の像の前に置いて、学業の成就を祈願します。またこの祭日を設立日としている教育機関も少なくありません。
日本ではこの時期、受験シーズンにあたりますが、受験を控えた方々は、この祭日にあわせて弁財天に合格祈願されるのもよいかもしれません。
ここでは、ヴァサンタ・パンチャミーについて、アーチャーリヤ・サティヤム・シャルマ・シャーストリ氏の解説をご紹介いたします[1]。
『ヴァサンタ・パンチャミーは、学問の女神であるサラスワティーに捧げられるお祭りです。マーガ月(1月〜2月)の新月から5日目が、ヴァサンタ・パンチャミーにあたります。世界中のヒンドゥー教徒は、熱心にこの祭日をお祝いします。この祭日は、サラスワティーの誕生日だと信じられています。
この祭日では、黄色が特別な意味を持つことになります。サラスワティーの女神像は、黄色の衣服で飾り付けられて礼拝されます。また人々も、この日は黄色の衣服を着るようにしています。親類や友人の間では、黄色のお菓子などが贈られます。
中には、この日は僧侶に食事を与える人もいます。また先祖供養(ピトリ・タルパン)を行ったり、愛の神であるカーマ・デーヴァを礼拝する人もいます。
子どもたちにとっては、学習を始めるのに最適な日であることから、アルファベットを学ぶ初日になります。そして、学校、大学などの教育機関は、サラスワティー女神への特別な礼拝を行います。パンディット・マダン・モーハン・マラヴィヤ氏は、バナーラス・ヒンドゥー大学をこの日に創設しました。今では、世界的に有名なトップクラスの教育機関となっています。
ヒンドゥイズムでは、マカラ・サンクラーンティや、ヴァサンタ・パンチャミーのように、宗教的な祭事を季節に織り込むことを特に重要視しています。人々は、個人の信条や願望に応じて、家庭の主宰神(イーシュタ・デーヴァータ/デーヴィー)を礼拝する傾向があります。また一般に人々は富や権力を求める傾向にあります。カリ・ユガ(現在)の時代では、お金(富、権力、名声)の追求が、ほとんどの人々の主目的になっています。まるでお金が神のように崇められています。
しかし、分別のある人々は、霊的な啓蒙のために、サラスワティー女神を礼拝します。彼らによると、王と学識ある人(霊的に優れた人)との間には何の違いもありません。王は、王国の中では敬意を払われますが、学識ある人は、どこに行っても敬われます。高徳の人、霊的な進歩に邁進する人々は、サラスワティー女神への礼拝を非常に重視します。
サラスワティー、ラクシュミー、ドゥルガーの三女神に割り当てられた乗り物は、彼女たちの特別な力を象徴しています。サラスワティー女神の乗り物である白鳥は、サットヴァ・グナ(清浄と識別の要素)を象徴します。ラクシュミー女神のフクロウ、そしてドゥルガーのライオン(虎)は、それぞれタマス(暗質)とラジャス(激質)を象徴しています。
ヴァサンタ・パンチャミーは、これに続くお祭りであるホーリー(2009年3月11日)の前兆になっています。季節は次第に変化し、春の到来が感じられてきます。木々は新芽を出し、森や草原では新しい生命が息吹き始めます。自然は、マンゴーの木に花を咲かせ、小麦や作物は、新しい生命に活力を与えます。
ヴァサンタ・パンチャミーは、季節感、社会的意義と敬虔さに満ちた祭日です。新しい季節の到来を胸に、世界中のすべてのヒンドゥーによって盛大に祝福されます。』

新緑の季節に入り、植物が新芽を出し始めるこの頃、霊的にも実りある豊かな時間をお過ごしください。
[1]Vasant Panchami, http://www.hinduism.co.za/vasant.htm
[2]ヴァサント・パンチャミー,http://blog.sitarama.jp/?eid=186517

マカラ・サンクラーンティ

マカラ・サンクラーンティは、春の到来を告げる収穫祭です。インドに限らず、東南アジアの国々でもお祝いされる盛大なお祭りであり、今年2009年は1月14日に行われます。
マカラとは「山羊座」、サンクラーンティとは「変遷」のことであり、この日より太陽が山羊座に入ることから、マカラ・サンクラーンティと呼ばれています[1]。
マカラ・サンクラーンティは日本でいう冬至にあたり、昼がもっとも短い日であり、この日から太陽は北方への回帰を始めます(ウッタラーヤナ)。
緯度の違いから、日本では例年12月22日頃がそれにあたります。
インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」では、ウッタラーヤナについて次のように述べられています[2]。
「火、光明、昼、白月、太陽が北に向かう六ヶ月。そこにおいて、逝去したブラフマンを知る人々はブラフマンに達する。(8.24)」
インドでは太古よりウッタラーヤナの期間中に肉体を去ることは、成就に至るために重要であると考えられてきました。
そのためマハーバーラタの英雄として知られるビーシュマは、この吉兆の時に死ぬことを望み、ウッタラーヤナが訪れるまで、矢でできた臥床で死を待ったといわれます。
マカラ・サンクラーンティの吉日では、インド各地において、朝早くから沐浴をし、祈りを捧げ、太陽の恵みに感謝し、豊作を祈願します。
また精神的な恵みを得るためにも重要な吉日であると考えられています。
プラーナ文献では、マカラ・サンクラーンティから1ヶ月間、太陽神スーリヤが息子である土星神シャニの家を訪れると述べています。
山羊座は、インド占星術における土星神シャニが支配する星座です。
父スーリヤとその息子シャニは、いつもはあまり仲が良くありませんが(敵対星座)、父スーリヤが1ヶ月間、息子シャニの家に来ることにより、お互いの関係を確かめ合います。
これは占星術的には、一般の父と息子の関係にとっても重要な意味があるととらえられています。
息子にとっては、父を快く受け入れることで、よりよい家族関係を築くのに重要な時期であるといわれます[3]。
また太陽が北へ向かう6ヶ月の間(冬至から夏至の間)、ここから神々の昼が始まるとして、多くの祭事はこの期間を中心に行われることになります。
太陽が南へ向かう6ヶ月の間(夏至から冬至の間)は、神々の夜にあたる時期と考えられ、ギーターでは、「そこにおいて、逝去したヨーギンは月光に達してから回帰する。(8.25)」と、忌み嫌われている時期であることが窺えます。
しかし、ガンディーが「無執着ヨーガ」の中で、「信愛に従い、ひたすら無執着の行為を行い、真理を見た者は、いつ死のうとも解脱を勝ち得る。」と述べているように[4]、真理とともに生きている人々にとっては、毎日がマカラ・サンクラーンティのような吉日であるといえるのかもしれませんね。
太陽の恵みを感じやすくなるこの時期、皆さまに大きな恵みがありますように。
Reference
[1] Sankranthi, Wikipedia, http://en.wikipedia.org/wiki/Makar_Sankranti
[2] 上村勝彦訳,バガヴァッド・ギーター,岩波文庫,1992
[3] Makar Sankranti Festival, http://www.vmission.org/hinduism/festivals/sankranti/
[4] 赤松明彦著,『バガヴァッド・ギーター』神に人の苦悩は理解できるのか?,岩波書店,2008

バガヴァッド・ギーター音読のすすめ

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
前年の最終号では、バガヴァッド・ギーターをご紹介いたしました。
バガヴァッド・ギーターは世界中で学術研究の対象となっているように、その解釈は多様に分かれ、はじめて目に触れる人には意味がまったくわからない難解な書籍に思えるかもしれません。
そのような場合には、理解を急がず、ゆっくりと音読しながら読んでいくことをおすすめします。
バガヴァッド・ギーターは、インドにおける祭祀で、マントラとして頻繁に詠唱される経典でもあります。マントラであっても意味の理解は必要不可欠ですが、最初は意味を理解しようとせずに、日本語訳のバガヴァッド・ギーターを音として親しんでみるのも良いでしょう。
ゆっくりと音読を繰り返しているうちに、この句についての意味の理解が深まり、他の句との関連性が明らかになる、ということが起こると思います。
バガヴァッド・ギーターは、18章700節よりなりますので(約700余節ともいわれますが、ぴったり700節となっているようです)、一章の平均は、約39節です。声に出して読んでも、それほど時間がかかるものではありません。
どの章からも読み始められる内容になっていますので、一日一章を目標に、順番にとらわれずに好きな章から音読していくのもよいかと思います。
またバガヴァッド・ギーターの理解を深める解説書として、「バガヴァッド・ギーターの世界―ヒンドゥー教の救済 (ちくま学芸文庫)」をあわせて読まれるのもよいでしょう。
皆さまにとって良き年となりますよう心よりお祈り申し上げます。

バガヴァッド・ギーターのエッセンス

バガヴァッド・ギーターは、インドの古典文献中でもっとも有名な聖典です。古今東西、世界中の人々が、バガヴァッド・ギーターに親しみ、最高の知識を学び、生きる勇気を与えられてきました。
バガヴァッド・ギーターは、社会人として世間の活動に従事しつつも、成就に達することが可能であると説きます。
ここでは、バガヴァッド・ギーターの日本語訳として「バガヴァッド・ギーター」(上村勝彦訳、岩波文庫)[1]を参照に、ギーターに感銘を受けた人々が残したギーターのエッセンスについての言葉を紹介いたします[2]。
比較宗教学、比較哲学で著名なラーダークリシュナン博士は、ギーター第11章55節が「バクティ(信愛)のエッセンス」であり、ギーターのすべての教えの要旨であると語っています[3]。
「私のための行為をし、私に専念し、私を信愛し、執着を離れ、すべてのものに対して敵意ない人は、まさに私に至る。アルジュナよ。」(11.55)
ここでいう「私のための行為」とは、クリシュナを念想することといわれています。
一方、スティーブ・ローゼン博士は、ギーターの要約を以下の4節にまとめています[4]。
「私は一切の本源である。一切は私から展開する。そう考えて、知者たちは愛情をこめて私を信愛するのである。(10.8)
私に心を向け、生命を私に捧げ、互いに目覚めさせつつ、彼らは常に私について語り、満足し楽しむ。(10.9)
常に〔私に〕専心し、喜びをもって私を信愛する彼らに、私はかの知性(ブッディ)のヨーガを授ける。それにより彼らが私に至るところの。(10.10)
まさに彼らへの憐愍のために、私は個物(アートマン)の心に宿り、輝く知識の灯火により、無知から生ずる闇を滅ぼす。(10.11)」
ラーマクリシュナは、ギーターの本質は、「ギーター」を繰り返し唱えることで得られると述べています[5]。
「「ギーター、ギーター、ギーター…」と繰り返し唱えると、やがて「ターギー、ターギー、ターギー…」と聞こえてくるでしょう。ターギー(ティヤーギン)とは、一切の行為の結果を神に委ねる捨離者のことです。」
クリシュナは、ギーターの中で、放擲(サンニャーサ)と捨離(ティヤーガ)の重要性を繰り返し述べています。放擲と捨離との真実については、第18章でアルジュナがクリシュナにたずねています。
またラーマクリシュナの弟子であるスワミ・ヴィヴェーカーナンダは、「あなたが次の一節を読むならば、ギーターのすべてを読む功徳が一度に得られるだろう。この一節にはギーターのすべてのメッセージが要約されている」と述べ、ギーターのエッセンスとして次の一節を取り上げています[6]。
「アルジュナよ。女々しさに陥ってはならぬ。それはあなたにふさわしくない。卑小なる心の弱さを捨てて立ち上がれ。(2.3)」
これは、すべての現代人に向けられた言葉といえるでしょう。
マハートマ・ガンディーは、ギーターについて次のように書いています[7]。
「ギーターの目的は、私にとって、成就に至るためのもっとも優れた方法を示しているように見える。」
そして、「欲望のない行為によって、行為の果報を放棄することによって、すべての行為を神に捧げることによって、すなわち、肉体と魂を神に委ねることによって」―このような無私の行為によって成就に至ることができる、とガンディーは述べています。
またガンディーは、ギーターへの想いを次のように表現しています[8]。
「私はバガヴァッド・ギーターの中に安らぎを見る。それはイエスの山上の垂訓でもなかったことだ。失望が私を覆い隠すとき、私は一筋の光に目をやるのではなく、バガヴァッド・ギーターに回帰する。ここで詩句を見つけ、あちらで詩句を見つけ、そうするうちに、どうしようもない悲劇のさなかでも瞬時に笑顔に戻る。私の人生は、悲劇の連続だった。目に見えない、消すことのできない傷跡が私に残っても、私はバガヴァッド・ギーターの教えにすべてを委ねる。」
バガヴァッド・ギーターは、現代に生きる術の知識がすべて含まれた、まさに現代人にとってのバイブルと言えます。バガヴァッド・ギーターで得られる知識は、時代を経ても変わることなく、永遠に自己の糧として残るでしょう。
毎日飲み、食べ、眠るように、毎日バガヴァッド・ギーターを読む習慣を身につけるならば、知識という火に照らされた輝きが心に与えられるに違いありません。
今年一年間、SitaRamaをご愛顧いただきまして、誠にありがとうございました。
また来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
どうぞよいお年をお迎えください。
Reference
[1] 上村勝彦訳,「バガヴァッド・ギーター」,岩波文庫,1992
[2] http://en.wikipedia.org/wiki/Bhagavad_Gita
[3] Radhakrishnan, S (1974). “XI. The Lord’s Transfiguration”. The Bhagavad Gita. HarperCollins. p. 289.
[4] Rosen, Steven; Graham M. Schweig. “The Bhagavad-Gita and the life of Lord Krishna”. Essential Hinduism. p. 121.
[5] Isherwood, Christopher (1964). “The Story Begins”. Ramakrishna and his Disciples. p. 9.
[6] Vivekananda, Swami. “Thoughts on the Gita”. The Complete Works of Swami Vivekananda. 4. Advaita Ashrama.
[7] Gandhi, M.K. (1933). “Introduction”. The Gita According to Gandhi.
[8] Quotation from M. K. Gandhi. Young India. (1925), pp. 1078-1079, is cited from Radhakrishnan, front matter.

2分間瞑想法

仕事や勉強に追われ、心のゆとりがなくなってきている現代、心の安寧を得ようと、瞑想に興味を持つ人々が次第に増えてきました。
瞑想に関する数々の効能を説いた本も、本屋に行くといたるところで見ることができます。
その中の一冊「「脳にいいこと」だけをやりなさい!」(マーシー・シャイモフ著、茂木健一郎訳、三笠書房)では、マントラ瞑想の有効性が説かれています。
「マントラを唱えるうちに、身体から力が抜けていくようです。呼吸が落ち着いてきて、息をしているのかどうかもわからなくなってきます。胸の鼓動もゆっくりと、血の流れも緩やかになっているのがわかります。(中略)
マントラの原始的な音とリズムを感じていると、言葉にできない感覚が襲ってきました。心の奥の深みへどんどん落ちていき、旧友のような懐かしい何かと再び結ばれたような感覚です。(中略)
ああ、私は幸せなのだ。
この体験こそが心からの幸せというものだったと思います。」
(「脳にいいことだけをやりなさい!」ゴールディ・ホーンの体験記p173より)
数ある瞑想法の中でも、マントラを唱える瞑想法は、もっとも取り組みやすく、そしてもっとも効果的であるといわれています。
インドの聖典では、不正が世界の4分の3を覆うカリ・ユガの時代(現代にあたる)では、神の御名を唱えることが成就にいたるためのもっとも効果的な方法であると述べられています。
このことからも、マントラ(神の御名)を唱える瞑想法は、聖典に則った理に適う方法であるといえるでしょう。
しかし、瞑想を行おうとしても、どのマントラをどのように唱えたらよいのかわからない人も多いかと思います。
そこでここでは、マントラ瞑想法の一例として、空き時間を有効に活用でき、気分転換に効果的な2分間でできるマントラ瞑想法をご紹介します。
この瞑想法で使用するマントラは、シヴァ・パンチャークシャラ・マントラとして知られる「オーム・ナマ・シヴァーヤ」です。
では、実際に「オーム・ナマ・シヴァーヤ」と唱えてみてください。
(唱え方がわからない方は、弊店で取り扱いのCDにも収録されております。)
短いマントラですので、すぐに覚えることができると思います。
はじめはゆっくりと、マントラの響きとリズム感を大切にして唱えてみます。
慣れるに従って、次第に早く唱えてみましょう。
どれくらいの早さで唱えることができたでしょうか。
おそらく、1秒もあれば1回は唱えられると思います。
そこで次に、タイマーを用意して、タイマーの残り時間を1分48秒に設定します。
タイマーは、キッチンタイマーや携帯電話についている機能を利用すればよいでしょう。
なぜ1分48秒かというと、これはインドで神聖数とされる108に対応しています。
1秒で1回マントラを唱えることで、数珠を使用せずに1マーラー(108回)のマントラ行を完結させることができます。
では実際にタイマーを用意して、1分48秒に設定してみましょう。
呼吸を整えるために、聖音オームを3回唱えます(オーム、オーム、オーム)。
その後、タイマーのスタートボタンを押して、タイマーのリズムに合わせて、1秒間に1回、パンチャークシャラ・マントラを唱えていきます。
実際に唱えてみると、タイマーに合わせて唱えるためには非常な集中力を要するのに気がつくかもしれません。
また声に出して唱えていては、途中で呼吸ができなくなるので、自然とささやき声あるいは心の中で唱えざるを得なくなります。
マントラによる瞑想法では、
1. ヴァイカリー(声に出して唱える)
2. ウパームス(ささやき声で唱える)
3. マーナシカ(心の中で唱える)
という3つの方法があります。
後者ほど効果的であるといわれますが、集中力が必要とされるため難易度も高くなります。
この2分間瞑想法では、自然とこの効果的といわれる方法で唱えることになります。
無事に1分48秒が経過して、108回唱え終わったあとは、心を落ち着かせるために「オーム、シャーンティ、シャーンティ、シャーンティヒ」と唱えます(シャーンティはサンスクリット語で寂静の意)。
以上で、わずか2分足らずでシヴァ・パンチャークシャラ・マントラのマントラ行を完結することができました。
この瞑想法は、数珠を使用しないために、タイマーや携帯電話をポケットに忍ばせておけば、どこでも行うことができます。
落ち込んだとき、元気を出したいとき、イライラするとき、怒りに囚われたとき、集中力を増したいとき、気分転換したいときなど、細切れの時間を活用して行ってみるとよいでしょう。
続けるうちに、きっとその効果に驚くことと思います。

ライブ・ダルシャン

インドの聖典では、神に謁見すること(ダルシャン)は、非常に大きな功徳があるといいます。そのため、広大なインド各地から、バスや電車に揺られながら、長時間かけて目的の寺院に参拝に行くことも珍しくありません。
そんな中、いくつかの有名な寺院では、インターネットでライブ・ダルシャンが受けられるサービスが始まりました。
これは、インド最大級のタタ財閥のグループ企業のひとつ、タタ・スカイという衛星放送会社のサービスです。営利会社のため、このサービスを広告としてよく思わない人も中にはいるようですが、遠く離れた日本からでも、インドの寺院の様子がライブ中継で見られるのはとても有り難いですね(インターネット版は無料です)。
(追記:このサービスには他にタタ・インディコム、タタ・コミュニケーションズのグループ関連会社が携わっているようです。メインのサービス提供元は申し訳ございませんが分かりませんでした)
現在は、シュリー・シッディヴィナーヤカ・ガナパティ・テンプル、シュリー・サイババ・サマーディ・マンディール、シュリー・カシ・ヴィシュワナート・マンディールの3寺院でライブ中継が観られるようです。
以下にライブ中継が観られるリンク先と毎日のスケジュールを掲載いたしますので、ご参照ください。
またインドとの時差は日本時間−3時間30分です。日本時間で午前7時は、インドで午前3時30分になります。
・シュリー・シッディヴィナーヤカ・ガナパティ・テンプル
(この寺院のガネーシャ像は、珍しい右曲がりの鼻になっています)
ライブ・ダルシャンのリンク先
http://www.siddhivinayak.org/livewebcasting.htm
(リンク先の「Camera 1」をクリックしてください)
デイリー・プログラム
http://www.siddhivinayak.org/dailyaartischedule.htm
(※www.siteadvisor.comやwww.aguse.jpでは安全性が確認できておりますが、Googleにおいて危険なサイトとの認識があるようですので、念のため安全が確認できるまで直リンクを外しております。試聴希望の方は、申し訳ございませんが自己責任でURLをコピー&ペーストして移動してください)
・シュリー・サイババ・サマーディ・マンディール
ライブ・ダルシャンのリンク先
http://www.shrisaibabasansthan.org/shirdilivedarshan1.htm
デイリー・プログラム
http://www.shrisaibabasansthan.org/main_English/shirdi/dailyprograms.asp
・シュリー・カシ・ヴィシュワナート・マンディール
ライブ・ダルシャンのリンク先
http://www.shrikashivishwanath.org/en/online/live.aspx
デイリー・プログラム
http://www.shrikashivishwanath.org/en/daily/aarti.aspx
映像を観ていると、パンディットの人たちが花飾りや信奉者の持ち物にブレスを与えている場面が繰り返し流れています。あまりにも参拝者が多いので一見録画かと思いましたが、どうやら録画ではないようです。インドの人々の信仰心が窺えますね。
どうぞよい一週間をお過ごしください。

右曲がりのガネーシャ vs. 左曲がりのガネーシャ

インドで人気の神様といえば、まずはじめに思い浮かぶのがガネーシャ神です。
ガネーシャ神は、礼拝が盛んなインドでも、他の神様を差し置いて、第1番目に礼拝されるとても重要な神様です。
このガネーシャ神は、人間の身体に象の頭をもち、ネズミを乗り物とするという、とても不釣り合いな姿をしていますが、実はこの姿形は神聖なシンボルとして大きな意味を持っています。
ここでは、「Ganapati」(H.H. Dr. Jayant Balaji Athavale & Dr. [Mrs.] Kunda Jayant Athavale編、Sanatan Sanstha出版)より、ガネーシャの姿の宗教的な意味についてみてみましょう[1]。
1. ガネーシャ神の全身はオームカーラ、すなわちプラナヴァ(原初音)と呼ばれるオームの音を表しています。象は、サンスクリット語の「オーム」を体現する唯一の生き物といわれておりますが、ガネーシャの頭が象になったのは、そのような意味から必然だったのかもしれませんね。
2. ガネーシャの鼻の向きは、多くの場合ガネーシャから見て左曲がりになっています。左曲がりの鼻のガネーシャは、別名ヴァーマムカとも呼ばれています。ヴァーマはサンスクリット語で、左側や北の意味があり、ムカ(ムキ)には顔の意味があります。そして、チャンドラ・ナーディ(月の管)が左側にあるといわれているため、左曲がりのガネーシャは、静寂をもたらすといわれます。加えて、北の方角は、霊的に有益な方角であり、祝福(アーナンダ)を与えるといわれます。また左曲がりのガネーシャは、女性的な面を表し、お金、名声、幸運、幸福な家庭などの生活に恵まれるとされています。
一般的に入手できるガネーシャ像のほとんどが左曲がりの鼻のもので、この「ヴァーマムカ・ガネーシャ」は通常の方法で礼拝してよいといわれています。
一方、右曲がりのガネーシャは、ダクシナームールティまたはダクシナービムカと呼ばれます。ダクシナーは南、ムールティは像、ムカは顔を意味するので、それぞれ「南向きの像」あるいは「南向きの顔」の意味になります。
南の方角は、死の神であるヤマ(閻魔大王)の方角といわれています。また、右側にはスーリヤ・ナーディ(太陽の管)があるといわれています。
ヤマやスーリヤから想像できるように、この方角はとても強力な組み合わせです。したがって、右曲がりのガネーシャ神は、とても強力で活動的なガネーシャ像といわれています。また男性的な面を表し、厳格、誠実、高潔、節制、そして道徳にもとづいた規則正しい生活などを象徴しているといわれます。
3. モーダカ(甘い蒸し団子)は、ガネーシャの大好物です。ガネーシャは、消化に悪い油が嫌いなため、甘いお菓子でも蒸したものでなければ召し上がりません。「モーダ」は喜びやうれしさを意味する語で、「カ」は小さなという意味があります。
またモーダカの形は、霊的な知識の到達度を象徴しています。はじめは霊的な知識が少なく、甘美さを味わえない状態(皮しか食べられない)から、霊的な知識が増すにすれ、やがて大きな甘みが味わえる状態(中身まで食べられる)になります。ガネーシャは、霊的な知識を与える神様であるといわれるゆえんです。
4. ガネーシャが乗り物としているネズミは無知の象徴といわれています。またネズミは素早く動き回るために、激情的な性質の象徴といわれています。ガネーシャがネズミに乗る姿は、無知や激質を克服することを象徴しています。
私たちも素早く動き回るネズミに振り回されずに、ガネーシャのように上手な「ネズミ乗り」になってみたいものですね。
同じガネーシャでも、入手できるガネーシャ像は、製作者によって姿形が様々に変わってきます。今一度、いつもお世話になっている手元のガネーシャ像を良く見直して、ガネーシャの姿形や手にしているものの意味を考え直してみるのもよいでしょう。
参考文献:
[1]H.H. Dr. Jayant Balaji Athavale & Dr. [Mrs.] Kunda Jayant Athavale, “Ganapati”, Sanatan Sanstha, India

ハッピー・ディーワーリー!

本日10月28日は、ディーワーリー(ディーパーヴァリー、光の祭典)です。この日は日本のお正月のように、インドでは、子供にお年玉をあげたり、大掃除や買い物をしたり、甘いお菓子を贈りあったりして新年をお祝いします。
参照ブログ
光の祭典−ディーワーリー(ディーパーヴァリー)
ディーワーリー(光の祭典)
ところで、ディーワーリーでの新年をお祝いするにあたって、その内的な意義も忘れてはなりません。ディーワーリーは「光の祭典」として知られています。
「光」は「富と繁栄」の象徴ですので、ディーワーリーは「富と繁栄のお祭り」ともいうことができます。
しかし、富と繁栄といっても、物質的な富や繁栄には限界があります。
インド哲学では、肉体や心を超越したところに、何ものにも犯されることのない、永遠不滅の「アートマン」が存在するといいます。そして、アートマンは、私たちすべての心の中に宿ると信じられています。
私たちが、肉体の誕生を毎年お祝いするように、ディーワーリーは内的な光である「アートマン」を祝うお祭りでもあります。アートマンは、私たちに限りない富と繁栄をもたらしてくれる永遠の存在です。
この内なるアートマンが輝き出すとき、私たちの無知の暗闇は消え去り、真の自然状態へと回帰することでしょう。それは、肉体や物質を超越した永遠不滅の存在、つまり神を知ることと同じです。
アートマンは、愛や調和の本質ともいえます。すべての人々に存在するアートマンは何一つ違うことなく、すべて共通の性質をもっているからです。
インド哲学では、このアートマンを理解することによって、アーナンダ(内的平安)を得ることができるといわれています。
ディーワーリーは、外見的にはオイルランプに火を灯し、花を捧げたり、お菓子を贈りあったりするお祭りですが、この内的な意義を忘れてはなりません。ディーワーリーの祝い方は地方によって様々ですが、内的な意義は世界共通です。
つまり、内なる光であるアートマンを照らし、すべてに共通の性質であるブラフマンを知ることです[1]。

どうぞよいディーワーリーの祝日をお過ごしください。
参考文献
[1]Diwali, http://en.wikipedia.org/wiki/Diwali