誰かが自分よりも優れていたり、恵まれていたりする時、羨んだり、妬んだりする気持ちを抱くことがあります。
自分が持っていないものを持つ者に対しての気持ちは、時に穏やかではありません。
それが大きな障壁となって、自分自身の歩みを阻むことも往々にあります。
この嫉妬心について、ヴィシュヌ神を心から愛するナーラダ仙の話に学んだことがありました。
ガンダルヴァと呼ばれる天上の音楽師、トゥムブルとの間に生じた出来事にまつわる神話です。
トゥムブルは、ガンダルヴァの中でも最高の音楽師と伝えられる存在です。
かつて、ナーラダ仙とトゥムブルがヴィシュヌ神の天の住居であるヴァイクンタを訪れた時のこと、トゥムブルはヴィシュヌ神の前で歌を披露しました。
ヴィシュヌ神は喜び、貴重な装飾品をトゥムブルに贈ります。
ヴィシュヌ神を心から愛するナーラダ仙は、トゥムブルに深く嫉妬しました。
ナーラダ仙は、同じようにヴィシュヌ神を喜ばせようとするも、その声はトゥムブルのように美しくなく、ヴィシュヌ神を喜ばせることができません。
長きに渡り、ナーラダ仙はさまざまな方法を試みるも、ヴィシュヌ神を満足させることはできませんでした。
最終的に、ナーラダ仙は嫉妬心を抱くトゥムブルを訪ね、歌う方法を学びます。
その後、ナーラダ仙がヴィシュヌ神の前で歌を披露すると、ヴィシュヌ神は非常に喜び、貴重な装飾品を贈ったと伝えられます。
自分の愛する者の愛情が、他に向く時ほど、嫉妬心を強く抱くことはありません。
その心を乗り越え、トゥムブルに教えを乞うたナーラダ仙。
それは、我執や慢心を克服することを意味するものでした。
その過程には、自分自身がそれだけで満たされた存在であるという理解が伴ったはずです。
ヴィシュヌ神への純粋な愛が、ナーラダ仙にそれを可能にさせ、ヴィシュヌ神はそれを深く喜びました。
私たちの心は、欠けているもの、足りないもの、手にしていないものに向かいがちです。
嫉妬心を抱いても、それが満ち足りた存在に対する気づきを育む糧となる時、私たちは精神的に豊かに成長することができるはずです。
そして、ナーラダ仙のように大きな成功を手にすることができるに違いありません。
(文章:ひるま)
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