ॐ नमः शिवाय
om namaḥ śivāya
オーム ナマハ シヴァーヤ
(シヴァ神に帰命いたします。)
om(オーム):聖音、原初音(プラナヴァ)、ブラフマン
namas(ナマス)【中性名詞】:敬礼、敬服、挨拶、礼拝、会釈
namas(ナマス)【不変化辞(間投詞)】:〜に敬礼します、〜に帰命します、礼拝します
→namaḥ(ナマハ)【中性・単数・主格の変化形/不変化辞】
連声:namaḥ + śivāya → namaśśivāya(ナマッシヴァーヤ)
śiva(シヴァ):吉兆、慈悲深い、親切、友好、幸運、満足、解脱、シヴァ神
→śivāya(シヴァーヤ)【男性・単数・為格】(シヴァ神に、吉兆の方に)
パンチャークシャラ(5音節)・マントラとして知られるシヴァ神の有名なマントラです。インドでもっともよく唱えられているマントラのひとつで、さまざまな場面で用いられます。毎朝108回唱える習慣を身につければ、シヴァ(吉兆)の祝福に恵まれることでしょう。参照『オーム・ナマ・シヴァーヤ』
※連声のため、続けて詠む場合は「オーム・ナマッシヴァーヤ」となります。
お久しぶりです。2分間瞑想法を身につけてから、
以前お取り寄せして頂いたシヴァ・パンチャークシャリ・ヤントラに
ほぼ毎日1008回オーム・ナマ・シヴァーヤと唱えています。
マハー・ムリティユンジャヤ・ヤントラにも108回唱える毎日が続いています。
ポケットサイズのヤントラの場合、財布に入れて持ち歩いたりしているのですが、帰宅後は自分で作った祭壇に置いています。
ポケットサイズの場合このような使用で良いのですか?
アドバイスばかりですみません。
毎日マントラを唱えられているのですね。継続することが最も重要でので、ぜひ数年、数十年と続けられてみてください。
ポケットサイズのヤントラは、パスケースに入れて御守りとして使用できるようになっておりますので、現在のご使用方法で差し支えないかと存じます。
映画『リトル・ブッダ』で死者を弔うサドゥーが唱えていましたよね。美しく印象的な場面でした。
ハヤト様
死者の弔いに唱えられていたのですね。
今度、『リトル・ブッダ』を拝見してみたいと思います。
やはりシヴァ神と不動明王は別の神だと感じますね。
シヴァ神を信仰していると最終的に必ず不動明王のイメージの存在に行き当たり、ひどい目に合うような気がします。仏教は正しいのかも知れないと感じますね。
毎朝続けております。
ありがとうございます。
やまの様
コメントありがとうございます。
シヴァ神は、仏教では大自在天または大黒天として伝来しておりますので、不動明王とは別の神格になるかと思われます。本来のイメージとしては、不動明王の方がシヴァ神に近いものがあるかも知れませんね。
以前ひどい目にあうとコメント致しましたが、これは逆で酷い物、人を引き寄せ改心させようとする、あるいは酷い物を破壊するイメージが正しいようです。乳海攪拌の世界を救うためにハラハラの毒を飲んだという神話のイメージが強いです。
やまの様
シヴァ神は破壊の神とされておりますが、破壊の後には必ず再生があり、その繰り返しで万物は成長・進化しくのでしょうね。「シヴァ」には、慈悲という意味もあり、そのような行為は、まさに神の慈悲なのだと思います。
このマントラには、ムリティユンジャヤマントラと同じシヴァ神に帰依する意味合いだそうですが、凶星の悪影響を鎮める働きはありますか?
ムリティユンジャヤマントラはまだまだ長すぎて覚えにくくて、ショートバージョン(オーム・ジューン・サハ・サハ・ジューン・オーム)ばかり「心の中で」唱えている状況です。
というのもうちは住宅密集地なので、隣近所の話し声すら筒抜けになりますので・・・
>ナクシャトラさま
オーム ナマハ シヴァーヤは唱えることで様々に浄化の働きが行われると言われ、凶星の悪影響も静められると信じられております。
また、心の中で唱えることは「マーナシカー」と呼ばれ、集中力を要することから大きな効果があるとも言われております。
マントラと共にシヴァ神のお恵みがありますこと、心よりお祈りしております。
失礼ながら同じことをガネーシャ・ギリ様にコメント欄で質問した所、管理人様と同じ事を言われました。
やはりシヴァ神、凶星の影響を鎮める効果は同じなんですね。ありがとうございます。
「マーナシカー」見慣れない名前?ですが、これも修行の一つの形なのですね。私の周り、なんていい環境でしょう(苦笑)
形としてのシヴァ神だとそれこそ本来の姿から程遠くなってしまうような気がしますので、「破壊の側面も持ち合わせている、ただ一人の妻(サティー=パールヴァティー)を一途に愛する繊細な心を持った強くも優しい存在」の雰囲気を持った光の存在としてお祈りしようかと思います。
シヴァ神のような、ただ一人の女神を、時代や容姿が変わっても愛し抜く、その一途さが大好きです。今時こんな男性ってそうそういませんよね?
それに比べてクリシュナ神は(苦笑)
>ナクシャトラさま
マントラの唱え方につきましては、「マントラについて(http://sitarama.jp/?mode=f6)」におきまして、少々記載させて頂いております。
こちらもご参考になれば幸いに思います。
破壊神としての象徴がある一方で、シヴァ神の心優しい一面には、多くの人々が帰依する理由があるように存じます。
多くの人々がシヴァ神の恩寵に恵まれ、強さと優しさを兼ね備えられるよう、私共もお祈りしております。
こんにちは。 質問があります。 私はヒンドゥー教ではないのですがシヴァ神が好きです。 発声練習も兼ねて寝る前布団に入った時、トイレに居るとき、車の運転中などにオムナマシバァーヤを唱えています。 ちゃんとした環境で唱えないとご加護がうけられませんか? またシヴァ神がお怒りになるでしょうか? よろしくお願いします。
>mioさま
オーム ナマハ シヴァーヤにつきましては、唱えるべき時刻も、唱えるべき場所もないと言われ、どんな時でも唱えることができ、また生きた力として繰り返し唱えることが勧められております。どのような状況にあっても、オーム・ナマ・シヴァーヤを唱える者は清められるとも伝えられております。マントラを通じ多くのご加護がございますよう心よりお祈り申し上げております。
仏教にしっかりと向き合えば上座部においては釈迦は呪文や呪術、占いや護摩を禁止していますので大乗仏教は釈迦以外の者が釈迦のフリをして作ったという現実に向き合わねばなりません
そして大乗仏教の背後で動くもの(憑物と言っても良い)が伝えるメッセージとは歴史で見れば例えば一尊如来きのの受けたもののようにあべこべで矛盾する内容となります
言ってる内容は何か正しそうに思える内容もありながら釈迦の入滅年数すら実際は間違える。釈迦を貶したりもする。神道の神をまるで大乗仏教でかたる仏の家来のように言ったりしているがこれ自体が日本仏教徒が勝手に作り上げた神仏習合や本地垂迹に矛盾する。
このようなものに振り回されてはならないという事に向き合わねばならなくなります
そしてそれが人々の中に入り込んで様々な内容を信じ込ませようとする事も知らなければなりません。
たとえそれが矛盾した支離滅裂な内容ですら。
そしてそれらの伝えるメッセージがなんの担保や保証にならない事も知らなければなりません。
信頼できるのは己の行いだけです。
嘘や矛盾があるならばそれら(大乗仏教で動く憑物)はやはりデタラメを言っているだけなのです
大乗仏教とは釈迦の教えを破る宗教でありしかして彼らはインドの神を大乗の仏の下だとする。
実際にはインドの神を如来と呼んだりしている事もあるにも関わらず。
真言を訳すれば地獄にいくなどと言う人もいるかもしれない
何故ならば真言を訳せばインドの神或いは魔物などにひたすら助けを求めたりしている。
知らぬが仏
昔の人は言いました。
何故釈迦の教えを実践する人々がインドの神或いは魔物などにすがるのでしょうか?
釈迦が禁止した事をそれら大乗仏教を作った人間たちは行わせようとするのでしょうか?
己の選択を後悔のないようにしなければならないかと思います
嘘をつけば地獄にいくという宗教もあります。
でもそれをいう宗教自体が嘘の塊だとすれば一体何者の手のひらの上で踊っているのでしょうか?どこに人々は導かれるというのでしょうか?それに後悔はないのでしょうか?
一体人々は釈迦の教えを求めるのか?釈迦のフリをした人間たちの教えを求めるのか?それとも神を求めるのか?
これを確認させ後悔のない選択をするようにすすめる事が今の私の一つのテーマとなりました