慎ましい部屋の中で本当に必要なものだけに囲まれながら暮らすインドでの生活は、「自分自身で在る」というその究極の教えを学ぶ、神聖な時間と空間を生み出します。それは、「断行、捨行、離行」という行いに基づいた、物によって価値を見出だされた自分とは別の、本来の自分と向き合う大切な時間と空間です。
まだ、いろいろなものに執着を持ち、たくさんの物を抱えてインドを訪れていた時のことです。思い出深い大切な物を無くし、心は動揺し乱れ、そしてひどく落ち込みました。そんな時、あるスワミジは言いました。「いつか必ず、それを手放さなくてはならないことに気づいていましたか?今、その物を失ったことで、あなたは小さくなりましたか?」と。
物に対しての執着は、心や思考が生み出す誤った自分自身の定義です。物に自分を同一化し、そこから生み出される「自分は優れている」「自分は劣っている」という価値観によって、「自分自身で在る」という極上の状態を妨げる自己を絶え間なく生み出し、自らを破壊していきます。物で満たされた人生は、生きるというシンプルなエネルギーさえも曇らせていくのです。
高価な物やより多くの物を所有することは、自分自身の存在をますます豊かにさせてくれるような、そんな感覚を覚えさせます。その、物を主体としたもっともっとという世界の中で得る安らぎは、物が移ろい行くものであるが故に、永遠に落ち着くことがありません。
大切な物を失った時、スワミジに言われるように自分を観察すると、その物に同一化していた心は静かに消え、かつてないくらいに自分の存在を強く感じたことを覚えています。奪われる形であっても、自ら手放す形であっても、自分自身を定義していた物を失うことは、その過程に深い悲しみや痛みが生じます。しかし、自分自身が小さくなったり損なわれることは決してありません。その気づきは、物や形による束縛から解放へと、そして自分自身で在るというその究極の境地を与えます。それが永遠の安らぎです。
物を捨て、執着を断つ。物質の面でも心の面でも、そこにスペースを作ることは、究極の境地とまで言わずとも、日々の生活の中に多くの気づき、そして本当に必要なものを与えてくれるに違いありません。
(文章:ひるま)
雑記帳
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