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雑記帳

歓喜の中へ

盛大に祝福が行われた先日のホーリー祭では、誰もが皆、同じようにカラフルな色にまみれ、笑みを絶やさず、その歓喜は言葉に出来ないほどに辺りを喜びでいっぱいに満たしていました。日常に溢れる祝祭を通じて、改めて、日々の中に在る喜びとは何か、考えさせられたように思います。
色鮮やかに示されるクリシュナ神の生が喜びの象徴であるように、私たちの生もまた、ただそれだけで喜びに満ちたものであると伝えられます。そしてこのホーリーの祝祭ではまるで、この肉体と言う小さな世界が幸せという美しい色だけで染まってしまったかのように、憎しみや嫉妬、悲しみといったあらゆる負の思いが消え去り、心はただそれだけで清らかに澄んでいたことを思い返します。そこから見える外の大きな世界にはもちろん、喜びしか存在していませんでした。
どんなものにも限定されず、変化もしない、ただそこに存在する喜びは、時に神という言葉で言い表されるものでもあります。そして、神を賛美するという一つの目的の為に集った人々の心は、必然的に喜びに強く定まります。この世界は心の映し鏡であるとも言われるように、集った心が一つとなった喜びは、悲しみや憎しみのない、あらゆるものが繋がった至福の世界を生み出していました。
それはまた、神と一体となることが、決して祈りや儀式だけを通じて得られるものではないことを物語っていたかのように感じます。厳しい修行や、耐えがたい苦行が想起させられる修練の世界においても、ただそれだけが全てを示すわけではありません。日々の生活において、永遠に変わることのない喜びに心を定めることは、誰にでも可能なとても簡単でシンプルなことであり、それは神と共にあることを意味します。
クリシュナ神は喜びの在るところに存在します。「悲しむ理由は何もない」そう述べるクリシュナ神の言葉がここで改めて胸の奥まで響いたことを深く感じ、誰しもの内から悲しみや憎しみが消え去り、歓喜に包まれたあの瞬間の喜びが今でも色鮮やかに蘇ります。いつまでもその喜びを抱き続けていられるよう、そしてまた、多くの人々の心が喜びと共にあることを今日も願い、改めてこの日々の生活を努めています。
(文章:ひるま)

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