破壊神でありながら万物に限りない恵みを注ぐシヴァ神は、古くから慈悲深く寛大な神として崇められます。
捧げられた一杯の聖水に喜び、豊かな恩寵を注ぐその寛容さには、一切を受け入れ、誰しもが持つ神性を目覚めさせる力があります。
そんなシヴァ神に呪いをかけられたという花があります。
ケータキー(ケーヴダー、阿檀)と呼ばれるその花は、かつてシヴァ神に愛され、頭部の飾りとして身につけられるほどでした。
ケータキーが呪いをかけられることになった事の始まりは、ブラフマー神とヴィシュヌ神の間で生じた、どちらが優れているかという無益な争いにあります。
その争いを見たシヴァ神は、巨大なリンガとなって姿をあらわし、その大きさを見届けた方がより優れていると告げました。
ブラフマー神は高く飛び立ち、ヴィシュヌ神は深く潜り込みます。
しかし、始まりもなく終わりもないそのリンガの大きさをどちらも見届けることはできません。
ヴィシュヌ神は諦め、シヴァ神の偉大さを讃えました。
しかし、リンガムの上から垂れ下がるケータキーの花を目にしたブラフマー神は、ある考えを思いつき、ケータキーを手に取ります。
そして、リンガムの頂上に到達したと嘘をつくようにケータキーに頼みました。
ブラフマー神はケータキーを証人として、リンガムの頂上に到達したことをシヴァ神に伝えます。
しかし、それが嘘であると見抜いたシヴァ神は、ブラフマー神と嘘の証人となったケータキーを呪ったと伝えられます。
このケータキーの姿は、私たち自身にも重なるものです。
日々の中で、自分自身の地位や名誉を守ろうと、私たちは心にもないことを口にすることがあります。
うわべだけを飾ろうとして、自分自身の本質を見失うことも往々にあります。
シヴァ神は、そうして本当の自分を偽ることをもっとも嫌うのかもしれません。
質素でも一杯の聖水に喜ぶシヴァ神は、本質から離れない無垢な心に豊かな恵みを注ぐことをはっきりと示しています。
ケータキーはシヴァ神に禁じられた花といわれるも、神々は嘘をつくことを強いられたケータキーを憐れみ、今では植物の中で広く愛される存在になっています。
その豊かな香りは人々に親しまれるとともに、多岐にわたる薬効が人々の健やかな日々を支えます。
ケータキーは私たちに寄り添い、偽りの心をシヴァ神に捧げてはならないことを伝えているようです。
何があっても、自分自身の本質であるシヴァ神と絶対に離れない真の心を育む時、私たちは恵み溢れる豊かな人生を歩むことができるはずです。
(文章:ひるま)
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