スピリチュアルインド雑貨SitaRama

雑記帳

生きる叡智

ヨーガや瞑想といった修練を続ける中で、そこに完璧さを求める時があります。その完璧さとは何か、日常の実践において繰り返し見つめる時、叡智が述べる一つ一つがはっきと見えてくるように思います。
例えば浄化を通じ、自身の内の余分なものを排除する時ほど、生み出される思考や言葉、行いに至るまでが、明瞭になる時はありません。自分という者に執着する際に生じる苦難もまた、自我を取り除くことで容易に消えていきます。手放すこと、身を任せること、その自由の中で見つける至福はどんなものにも代えがたいものです。
そこに、求める完璧さがあることを、ここで幾度となく感じています。完璧さとは、何も加えるものがない状態ではなく、何も削るものがない状態であること、繰り返し説かれてきたその教えの意味が、ここで行いを通じ明確になります。
その気づきは全て、日々の出来事によって与えられるものでした。叡智は、この日々の経験によって生きるものとなり、物質科学では理解できないような、魂を通じる気づきとして、あらゆる物事を浮き上がらせるように感じています。
叡智が日々の中で生きたものとなるには、何よりも自分自身による実践が伴わなければなりません。積極的に無償の行いを努めることが切に説かれるように、その中で真理が真理として自身の内に実現されなければ、叡智はただの物語として終わってしまいます。
この一年で何よりも強く感じていたこと、それは、悟りとは未来にあるものではなく、今ここにあるものだということに他ありません。現在の自分が未来の自分を築いている事実を常に心に留め、叡智を生かすべく、今この瞬間を清く美しく生きることをどんな時も努めていたいと感じています。
本年もSitaRamaをご利用くださいまして、誠にありがとうございました。来るべき新しい年が、皆さまにとって平安で、至福に満ちた年となりますことを心よりお祈り申し上げております。どうぞ良き年末年始をお過ごしください。
(文章:ひるま)

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