スピリチュアルインド雑貨SitaRama

雑記帳

学びの実践

あっという間に過ぎ去ったこの度のインドでの日々は、心身の清浄に特に深く集中したものであったように思います。ヨーガの教えである、社会生活を営む中で規範ともなり得るヤマ、ニヤマを基礎とした日々の生活が、様々に揺れ動く心を清く正しいものに、そしてアーサナやプラーナヤーマの行いが、身体に安定と浄化を促すことを、とりわけ強く実感していました。
しかし、そういった行いに集中した日々の中でも、やはり強く現れるのが自分自身の自我であったことを思い出します。そして、どんなものにも負けず強く現れるそんな自我を捨て去ることが、一番の清浄の行いであり、日々の修行であることを今でも実感しています。
神々が中心にあるインドでの生活において、まず為されるのが神々への祈りや捧げ物です。日々の行いの中で私たちが出来ることと言えば、自らの行いを捧げることであり、それが心身へと大きな浄化の作用をもたらすことに度々気づく瞬間がありました。そして、ある師に言われたことを思い出します。
「雨風にさらされながら、木々が甘い果実を生み出すように、燃え尽きながら香が香りを放つように、溶けながらろうそくが光を与えるように、自らを捧げられながら生み出される行いは、世界に至福を与えます。それを阻む自我を、全体に心を定めることで浄化しなさい。」
常に全体を思いながら繰り返す行いの修習が、自我を静め、心身に清浄をもたらす感覚は、この半年間で一番強く感じていたことです。自身が全体と一つであると常々思うことから生み出される行いの大本には、我欲ではない、至福にある愛が存在していることを、確かに感じる瞬間があったことをいつでも思い出します。
自我を静めることは容易なことではありません。困難であるからこそ、こうして生きる術としてのヨーガが存在し、今こうして実践できることに心から感謝をしています。心を全体に定め、行いを努める日々の清らかさは、ヨーガのもたらす日々の至福です。日本に戻った今、この社会においても、インドで過ごす日々に学ぶ生きる術を丁寧に実践していきたいと感じています。
(文章:ひるま)

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