日々をより良く生きる術を学ばせてくれるインドの地は、どんな時も多くの魅力に溢れています。鳴り響く寺院の鐘や、漂うお香の香り、きらびやかな神々の姿が、決して寂れることなく聖なる世界を生み出し、人々を惹きつけ続けます。
しかしその地は、決して美しいだけのものではありません。食べるものを欠くほどの貧困、差別、死、それらが迫り来るように自身の目に前に現れることもあります。それでも、混沌とあらゆるものが入り混じるインドの地に、心が落ち着く瞬間が多くありました。
この地に姿を見せる神々は、時に、痩せ衰え、髪を振り乱し、血を滴らせています。墓場に座り、骸骨を身につける姿もあります。それはまるで、人々の内に潜むさまざまな苦悩を象徴しているかのように存在しています。仏陀もそんなこの地で悟りを開きました。
生きる日々において、誰もが経験するそれらの苦悩を見せる神々だからこそ、その存在をより近くに感じることがあります。喜びや憂い、生や死が入り混じるあるがままの姿は、神が人間のなかにあるということを、何よりも強く気づかせてくれるものでした。どこか遠くにあるものではなく、常に自分の内にあり、共にあるものです。
美しいものだけが聖なるものではないということも、インドの地は教えてくれます。この地は、あらゆるものを受け入れています。貧しさや豊かさ、憎しみや慈しみ、不浄も清浄も、あらゆるものをあるがままに受け入れ、存在しています。その存在は、姿形にとらわれることなく、一瞬一瞬をただひたすらに生きることの神聖さを気づかせ、日々をより良く生きる術を与えてくれるものです。
どんな姿形であっても、私たちの内には、聖なるものが存在しています。多くの苦悩を経て仏陀が悟りを開いたように、喜びも苦しみもあるがままに受け入れ、ただ懸命に生きることを努めたいと感じています。その中で得る数々の気づきは、確実に私たちを聖なるものとして定めてくれるに違いありません。
(文章:ひるま)
雑記帳
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