煌々と輝く光が溢れるディーワーリーの祝祭は、ラクシュミー女神の降誕祭として祝福される慣習があります。
幸運や豊穣の女神として崇められるラクシュミー女神を招き入れるために、その道を照らす光が灯されるこの夜、眩い光の数々が私たちを真の豊かさへと導きます。
ラクシュミー女神は、誠実で努力を怠らない者を好み、維持神であるヴィシュヌ神を夫に持ちます。
世界を維持するヴィシュヌ神は、努力を怠らない働き者であると考えたからだといわれます。
ラクシュミー女神は、そんなヴィシュヌ神の足元を清めるような仕草をして描かれることが多くあります。
そこには、ある言い伝えがあります。
ラクシュミー女神には、不幸や貧困の女神として知られるアラクシュミーという姉がいることが伝えられます。
ある時、誰からも崇拝されないアラクシュミー女神は、ラクシュミー女神に嫉妬したことがありました。
そして、誰からも崇拝されるように、ラクシュミー女神が行くところへはどこへでもついて行くと言い放ちます。
ラクシュミー女神は、そんなアラクシュミー女神に呪いをかけます。
そして、強欲、怠惰、嫉妬、憤怒、傲慢、汚穢といった邪なエネルギーがあるところにのみ存在するようになるだろうと告げました。
ラクシュミー女神は、そんなアラクシュミー女神を遠ざけるために、夫であり至高神であるヴィシュヌ神の足元を清め続けているのだと伝えられます。
私たちは、恵まれた豊かさのもとで強欲になったり、怠惰になったり、嫉妬をしたり、清浄な心を失う瞬間が多くあります。
アラクシュミー女神は、豊かさが増すにつれて私たちの心を蝕む、そうした邪なエネルギーの象徴です。
ラクシュミー女神がいるところには、常にアラクシュミー女神がいるということを、私たちは心に留めておかなくてはなりません。
そして、豊かさに心を蝕まれることがないように、常に至高のヴィシュヌ神を崇め清浄な心を保ち、誠実に努力を続ける必要があります。
そうすれば、真の豊かさの中で美しい日々を生きることができるはずです。
(文章:ひるま)
※ラクシュミー女神がヴィシュヌ神の足元に描かれる理由は、この他にもさまざまに異なる言い伝えがあります。
参照:Why is Goddess Lakshmi always seen sitting next to Lord Vishnu’s feet?
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