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雑記帳

新しい天と地

冬至の暗い夜を照らす、クリスマスの美しい光が溢れる時となりました。
クリスマスは、ヒンドゥー教徒が大多数を占めるインドでも祝日として祝福されます。
キリスト教徒が多く暮らす地域をはじめ、街では煌びやかな飾りつけを目にすることも少なくありません。

クリスマスにおいてその降誕が記念されるイエス・キリストは、ヒンドゥー教で広く礼拝されるクリシュナ神と多くの共通点があることで知られます。
この聖なる時に、聖書とバガヴァッド・ギーターの記述に触れながら、その共通点を見ていきたいと思います。

今ある世界が滅び、創造される新しい天と地について、聖書には以下のような記述が見られます。

もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。
神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。
(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネの黙示録 第22章5節)

この新しい天と地では、主が私たちを照らす光となり、もはや夜はないと述べられます。
そして、その神の国は、私たちが主を心に迎えた時、もうそこに来ていると説かれてきました。
その光と共にあることで、私たちは闇のない世界を築くことが可能になります。

一方、バガヴァッド・ギーターでは、クリシュナ神が住まう住処について、次のように述べられます。

太陽も月も火もそれを照らさない。そこに到達したならば、もう戻ることはない。
それが、私の至高の住処である。
(バガヴァッド・ギーター 第15章6節)

この住処には、常にクリシュナ神を想い、クリシュナ神を信じ愛する者が、必ず辿り着くと説かれます。
すべてを輝かせる光であるクリシュナ神を常に想うとき、私たちは自分自身の本質がその光であることを知ることが可能になるからです。
それを理解すれば、もう無知の闇が広がる物質世界に戻ることはありません。

異なる方法であっても、私たちはこうした叡智で示される光を常に想い、その光を灯し続ける必要があります。
そうすれば、さまざまな闇を経験するこの人生においても、至高の住処で生きることができるはずです。
この聖なる時に、皆様にも明るい光がありますように、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

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