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雑記帳

すべてを尊ぶ心

光の祭典であるディーワーリーは、羅刹王のラーヴァナに打ち勝ったラーマ神がアヨーディヤー王国へと帰還する喜ばしい日でもあります。
この夜に灯される光は、王国へ帰還するラーマ神を讃え、その道を明るく照らす光として捉えられてきました。
それは、究極的には私たちの内なる暗闇を追い払い、魂を光へと導くための灯火でもあります。

ラーマ神が倒したラーヴァナは、羅刹王として恐れられる一方で教養に富み、その知識の深さには讃えられるべき資質がありました。
ラーマ神は、弟のラクシュマナがその価値ある知識を受け継ぐことを望みます。
ラーヴァナは死の床で、そんなラクシュマナに成功した人生を送るための秘訣を授けます。

その教えは、「善は急げ」という明瞭な教訓に始まりました。
次の教えは、「この世界のいかなる存在も軽視してはならない」という警句に続きます。
この警句は、自分と他者の間に優劣をつけることなく、謙虚にすべてを尊ぶ心から真の成功が生まれるということを伝えています。

事実、ラーヴァナの転落は、ラーマ神やその仲間たちを軽視したことに始まりました。
特に、単なる猿とみなされたハヌマーン神をはじめとする猿軍は、不屈の忠誠心により、ラーマ神の勝利において決定的な役割を果たします。
ラーマ神とラーヴァナの戦いが繰り広げられる叙事詩のラーマーヤナは、そうして多様な存在が協力し合い、一丸となって困難に打ち勝つ美しい物語です。

この宇宙の大いなる計画においては、あらゆる存在が特別な役割を持ち、全体の調和と秩序を維持しています。
それを理解することは、私たちが他者とのかかわりにおいて謙虚な心を育む力となるものです。
それはまた、すべての魂が悟りに向けた旅路にあることを気づかせてくれるものであり、その過程においては他者の位置を測ることなく、その旅路を尊重し合うことの大切さを教えてくれます。

何より、霊的な探求の道においては、あらゆる存在から価値ある教訓を学ぶことができるという事実を忘れてはなりません。
何かを軽視することは、その価値ある教訓に耳を傾ける機会を自ら閉ざしてしまうことでもあります。
謙虚さによって開かれた心には、何からでも学ぶ可能性が生まれ、ラクシュマナがラーヴァナから学んだように、隠された智慧を見つける機会が与えられることを忘れずにいる必要があります。

ディーワーリーの眩い光は、あらゆる存在に宿る神性を見出し、この世界の無限の可能性に心を開くことの大切さを教えてくれます。
ラーヴァナが自らの経験をもって示したその教えのもとで生きることで、私たちは常に光の中で人生を歩み、より美しく、実りある日々を過ごすことができるはずです。

(文章:ひるま)

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