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アーサナ

空を行く者

世界を明るく照らす太陽は、暗闇と無知から私たちを解放する神なる光として、古くから多くの文化で讃えられてきました。
自然との調和を重んじるインドの文化にも、そんな太陽を尊ぶ数々の祝祭が存在します。
冬至を過ぎ、陽光が満ちていく時を祝う1月のマカラ・サンクラーンティもそのひとつです。

万物に多くの恩恵をもたらす太陽には、その性質に応じてさまざまに異なる呼び名があります。
そのひとつに「空を行く者」を意味する「カガ」という名前があります。
太古の昔、天空を横切る太陽の動きは、時間を測る基礎となるものでした。
カガとしての太陽を讃えることは、時間の尊さを認識し、その価値を讃えることにも通じます。

ヨーガには、このカガとしての太陽を礼拝するポーズがあります。
それは、スーリヤ・ナマスカーラとして知られる太陽礼拝の一連の動きのひとつに数えられ、「オーム・カガーヤ・ナマハ」と唱えながら行われます。
このポーズは、腕立て伏せをする姿勢で体をまっすぐに伸ばすポーズであり、板のポーズと呼ばれます。
この板のポーズにもさまざまに異なる呼び名がありますが、その中に、クンバカーサナという呼び名があります。

クンバカには呼吸を止める意味があり、呼吸とともに行う太陽礼拝の一連の動きの中で、クンバカーサナでは呼吸を一時的に止めることがあります。
呼吸の保持は、心身を落ち着かせ集中力を高める働きがあるとされてきました。

この姿勢を通じて呼吸の保持に意識を向ける時、その静安の中で私たちは「今」という一瞬に結びつきます。
過去、現在、未来という時間の狭間で揺れ動き、落ち着くことがない私たちの心は、時として人生の暗闇に迷い込むことがあります。
しかし、この太陽礼拝の流れの中で結びつく「今」という一瞬には、時を超えた自分自身の本質があります。
それは、光に満ちた永遠不変の存在です。

太陽が昇り、空を駆け巡る姿は、時間の流れとともに移り変わる私たちの人生を思い起こさせます。
朝焼けから夕焼けへ、その光が照らす美しい景色には、人生の一瞬一瞬の尊さを学ぶ機会が溢れています。
かけがえのないこの光が照らすその一瞬を崇める時、私たちは自分自身の真の姿を生きることができるはずです。

(文章:ひるま)

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