自分自身の身体という小さな世界の中で、霊的な探求の道を歩ませてくれるヨーガ。
そんなヨーガのポーズに、アーカルナダヌラーサナというポーズがあります。
「アーカルナ」は「耳へ引く」を、「ダヌラ」は「弓」を意味します。
「弓矢を引くポーズ」とされるこのポーズを通じては、神という標的を射抜く方法を見ることができます。
インド神話において、弓というと、ラーマ神の弓矢を引く姿を思い起こします。
そこには、シーター女神と結ばれるための神話が伝わります。
シーター女神の父であるジャナカ王は、シヴァ神より神聖な弓を授けられました。
弓はとても重く、この弓に弦を張ることに成功した者が、シーター女神の夫となることができるとされていました。
しかし、弓に弦を張るどころか、その弓を持ち上げることができる者すらあらわれません。
するとある時、ラーマ神があらわれます。
ラーマ神は、その弓を持ち上げ弓を張るだけでなく、2つに折ってしまうほどの力を持っていました。
そしてラーマ神は、シーター女神と結ばれたといわれます。
マーンドゥーキヤ・ウパニシャッドには、以下の一節があります(2.2.4)。
プラナヴァ(オーム)は弓である
アートマ(自己)は矢である
ブラフマー(神)は標的である
瞑想(弓)によって自己(矢)を制御することで
神(標的)を射ぬくことができる
神と一体になるための術として、プラナヴァというマントラの弓を用いて、自己という矢を制御し、神という標的を射ぬくということが説かれます。
弓矢を引くポーズは、同じように捉えることができます。
このポーズでは、足を伸ばして座り、右手で右足の親指を、左手で左足の親指を掴みます。
そして、片膝を曲げ、掴んだ親指を耳の近くにまで引いていきます。
このポーズの過程では、股関節やハムストリングの高い柔軟性、腕の筋力、そして均衡をとる力など、頭から爪先までの全身の動きの中で、深い集中力が必要とされます。
こうした身体を用いた瞑想(弓)の中で、完全に自己(矢)を制御できた時、このポーズで安らぎ(標的)を感じることができます。
そこでは、身体と心が一つに結ばれた、完全な境地を経験することができるはずです。
それは、神という標的を射ることにも他ありません。
ヨーガのポーズには、その一つ一つに深い意味が秘められています。
実践を通じてその意味を読み解くことで、真実の理解に近づくことができるに違いありません。
(文章:ひるま)
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