マハーシヴァラートリにはさまざまな神話が伝えられますが、一説に、シヴァ神の象徴として崇められるシヴァリンガムが誕生した日であると伝えられることがあります。至高の存在の目に見える「しるし」として、また、シヴァとシャクティの結合を示す神聖なシンボルとして崇められるシヴァリンガムは、私たちの生きる日々に深い意味を与えています。
シヴァ神がシヴァリンガムとして姿を現した起源は、ブラフマー神とヴィシュヌ神との間で始まった争いにあると一説に伝えられます。大昔、ブラフマー神とヴィシュヌ神は、どちらの方が強いかという争いを始めます。その争いの無益さを示すために、シヴァ神は二人の前に始まりもなく終わりもない巨大な柱として姿を現します。そして、この柱の大きさを見届けた方が最も強いものであるとシヴァ神は述べました。
ブラフマー神は白鳥に乗り高くまで飛び立ち、ヴィシュヌ神は猪となり地中深くへと潜り込みます。しかし、始まりもなく終わりもないその巨大な柱の大きさを、どちらも見届けることはできませんでした。二人が諦めかけた時、柱が裂けシヴァ神が姿を現します。そのあまりの荘厳さに、二人はシヴァ神を最も強いものとして受け入れ、シヴァリンガムとしてその姿が崇められるようになったと言われます。
この日が、マハーシヴァラートリの日であったと伝えられます。それ故、この日におけるシヴァリンガムへのアビシェーカ(洗礼供養)は欠かすことができないものであり、人々は夜通しシヴァリンガムへの礼拝を行います。シヴァラートリは、満月から14日目を迎える夜にあたります。月のない暗い夜から再び月が輝き始める時、三日月を豊かな髪に飾るシヴァ神の象徴を礼拝することは、再生と破壊の中にある永遠性を気づかせてくれるようにも思います。
シヴァリンガム(男性器:男性エネルギー)は、ヨーニ(女性器:女性エネルギー)と共に崇められることが多く、その結合は、誕生や調和の象徴としても崇められます。このマハーシヴァラートリからは、インドの多くの地域で木々が芽吹き多くの花が咲き始めます。この壮大な宇宙の調和の中で繰り返される、生と死を深く感じさせるこの祝祭を通じ、自分自身の内に、始まりもなく、終わりもなく輝く光を見据えたいと感じています。
(文章:ひるま)
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