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インド音楽

48、悲運の天才:Haddu-Hassu Khan

Tabla drums

Haddu Khan(?〜1875)とHassu Khan(?〜1859)兄弟は、後に述べさせていただく、Rababiya(Tan Sen一族の次男の系譜)のBasat Khanと共に、近世のおそらく最後の伝説的な音楽家と思われます。以後は、流石に神秘的な逸話も奇跡的な逸話も聞かれないのですが、それは必ずしも近現代で科学的考証が進んだからとも言えないと思われます。何故ならば、伝説的な逸話が語られる巨匠たちが、非凡どころか波並ぶ巨匠たちの中でも桁外れな存在であったことも事実のようだからです。

インド古典音楽における「歌合戦」や「腕比べ」の伝統的な風習の多くは、ヒンドゥー音楽文化と、イスラム文化圏西域の音楽文化の対峙構造のようなものでした。

しかしながら、ここで新たにご紹介する兄Hassu Khanと、Bare Muhammmad Khanとの熾烈な「歌合戦」は、Khayalという同じジャンルにおける流派間の確執と、個々の人間同士の確執が生じさせたと言う意味において、きわめて現代的と言えましょう。

Hassu Khanの悲劇は、すでに兄弟の曾祖父の代にアワド王朝の古都ラクナウの宮廷で始まっていました。

兄弟の曾祖父、Makkan Khanは、ラクナウ宮廷トップクラスのKhayal声楽家でKhayal-Lucknhow-Gharana(※)の家元でした、(※)インド古典音楽では、流派のことを、ペルシア語の「家」を意味する「Gharana」と呼びます。

ところが、ラクナウ宮廷では、Khayal-Jaypur-Gharanaの家元Shakkar Khanも高名で、Makkan Khanと双璧をなしていました。そして、事件は、Makkkan Khanの幼い孫、後のHaddu・Hassu兄弟の父となる Kadir Bakhshの毒殺未遂だったのです。

Makkan Khanの息子で、すでに若手声楽家として台頭しつつあったNattan Pir Bakhsh Khanhは、流派存続の危険と争いから逃れ、二人の孫Haddu・Hassu兄弟を連れてグワリオール宮廷に転職しますが、第二の事件は、その宮廷で、Kadir Bakhsh暗殺未遂事件の首謀者と目されるShakkaru Khanの跡継ぎBade Muhammmad Khanとの間に生じます。

Muhammad Khanは、既にグワリオール宮廷で不動の地位を得ていたのですが、そこにNattan Khanと二人の兄弟が来た。面白くないと思って居たところに、数年が経ち、兄弟は急速に成長し評判になり始めた。当然、兄弟は兄弟で、幼かった父を殺そうとした首謀者の一人の存在には神経を尖らせていたことでしょう。

或る時、あろうことか兄弟は、Maharajaに懇願し、六ヶ月間Muhammad Khanの奥義を盗み聴きする機会を得たと言うのです。13世紀に彼のAmir Khusrawが、Allauddin王の王座の下に隠れGopal Nayakの歌を盗み聴きしたことに倣ったのでしょうか?

そして、六ヶ月の後、突然若手兄弟が、自分の技法を模倣して歌い、Jaypur派とLucknow派を合わせたような斬新な作風・技法でのし上がって来たのです。

Muhammmad Khanがどれほど激怒したか想像に難くありません。

哀しい結末はほどなく訪れます。

或るMehfil(玄人衆だけの演奏会)において、Muhammad Khanは、若い二人を大いに褒め讃えます。そして、こう言ったというのです。「大変素晴らしい!お見事だ!」「だが、まさかアレは出来ないだろうな?」「出来たとしてもやらんだろうなぁ」と、

その禁断の技はと或るRagaだけに存在する「稲妻ターン(即興的旋律)」というものですが、その挑発に、兄Hassu Khanは、乗らざるを得ないと考えてしまった。

そして、見事に歌い終わらんとする頃、肋骨が膨れ上がり、血反吐を吐いて突っ伏し、数日後に息を引き取ったというのです。

ご存知のように、イスラム教徒の名前は、幾つかのアラブ名が付けられますから、同じ名前は幾らでもあるのです。しかし、兄が壮絶な最後を遂げた時、弟Haddu Khanの長男が既に生まれていて、名前がつけられていたのならば、奇遇と言いますか、皮肉な運命と言いますか、その名はMuhammadなのです。

そして、そのMuhammad Khanもまた優秀なKhayal声楽家に育ち、Gwalior-Gharanaの急先鋒になったのですが、「これから」という時に若くしてムスリムの禁忌である飲酒に溺れ事故死してしまいます。父であり家元であったHaddu Khanもたいそう気落ちし、数日後に亡くなっています。

(文章:若林 忠宏

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